かぐや姫(映画)で捨丸はなぜ既婚者の設定?

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映画「かぐや姫」でなぜ捨丸は既婚者の設定だったのでしょうか?

捨丸とは妻子を捨てるから捨丸?

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かぐや姫(映画)で捨丸はなぜ既婚者の設定?

映画「かぐや姫」で捨丸が既婚者の設定になった理由は、彼の人間らしい葛藤と現実の厳しさを表現するためだったと考えられます。

捨丸はかぐや姫に幼少期から想いを寄せていました。しかし、彼らの身分の違いや運命の仕打ちから、叶わぬ恋であることを自覚していました。彼の恋心は内に秘められつつも、現実を受け入れて自分の人生を生きるために、盗みを働くことも厭わない平凡な日常を送っていました。その中で捨丸は結婚し、家族を持っていました。

この設定は、現実の葛藤と自己の欲望との間で揺れる普通の人間らしさを表現するために用いられたようです。捨丸はかぐや姫への想いを胸に秘めながらも、現実を受け入れ、奥さんや子供との生活を築いていました。この設定は、純愛の物語にだけでなく、普通の人間の生き様や葛藤を描き出すために用いられたのではないかと思われます。

かぐや姫は月の国から地球に降ろされ、人間の欲や罪を目の当たりにしました。彼女は月の国の清らかな世界から来た存在で、捨丸さえも穢れた人間であると感じたことで、地球に馴染むことが難しくなっていきます。

かぐや姫(映画)の捨丸についてパンフレット解説

パンフレットの中で高畑監督が作品の意図を語っています。
その部分を抜粋要約すると、

かぐや姫は「何のために地球にやって来たか」といえば、姫にとっては、月にはない地球上の自然と人とのあらゆる豊かな「生」を、そしてとくに「愛」を享受するためであり、月の人たちにとっては、罰として地上の穢れを姫に体験させるため。
「どうして帰らなければならなかったか」といえば、ある時点で、姫が心の中で「死にたい!」と叫んでしまったから。
そして地上のすばらしさを満喫することのないまま、みずからの「生」を力いっぱい生きることのないまま、帰らなければならなくなってしまったことを悔やむ。
これが真相だとすると『竹取物語』には「隠された物語」が内包されているはずで、それを探り当てることができれば、物語の基本を変えることなく、そのときどきのかぐや姫の感情もそのままに、面白くてかなり今日的な物語を語ることができるのではないか。
そしてかぐや姫の気持ちを、その悲劇を、より切実なものとして訴えることができるのではないか。
それは地球に生を受けたにもかかわらず、その生を輝かすことができないでいる私たち自身の物語でもありうるのではないか。
いまこそ、『竹取物語』の映画化に取り組みたい。

となります。

この中で高畑監督は輪廻に関する話を一切していませんので、輪廻がテーマではないと思います。
ここを読む限りテーマは「地球に生を受けたにもかかわらず、その生を輝かすことができないでいる私たち自身の物語でもありうるのではないか。」だと思います。

多分、「愛」の部分を強調するためのオリジナルキャラが捨丸なんじゃないでしょうか。

かぐや姫(映画)捨丸wiki

声 – 高良健吾

本作のオリジナルキャラクター。
木地師の子どもたちのリーダー格で、登場時の年齢は絵コンテでは「13歳」と記されている[18]。他の子どもたちや姫からは「捨丸兄ちゃん」と呼ばれる。
山を去ったあと、都で何人かの仲間と物盗りのようなことをしていた(のちに姫と再会した折には、「よんどころなきゃ泥棒まがいのこともやって」と述べている)。姫が月に帰る直前、山を訪れたときには大人に成長し、妻子もいた(姫は妻子を見ていない)。

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