島崎藤村の詩
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし」の意味について。
現代語訳するとどういった意味になるのでしょうか?
小諸なる古城のほとりの意味・現代語訳|島崎藤村の詩
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし」の意味は簡単に言うと、
小諸の古城のほとりに来た。
雲は(寒々として)白く、旅人は(早すぎた春を)悲しんでいる
(春になれば)緑なすはこべも、まだ生えず、若草も芽さえふいていない。
白金のふすま(雪の山々)に囲まれた丘に、淡雪が解けて、流れているなぁ
小諸(こもろは地名)の古い城跡のほとりで
雲は白く旅人(藤村)は哀しい気持ちでたたずんでいる
早春とはいえ緑に色づいたハコベはまだ伸びておらず若草の上に座ることはできないほどだ。
目の前の山の背に雪が銀色に光っているが
それも陽に溶けて、泡のように消えやすい雪も溶け流れている。
小諸なる古城のほとりの情景
島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり」は、明治32年(1899年)に小諸義塾で教師をしていた藤村が詠んだ詩です。
この詩は、小諸城跡の懐古園で目にした風景を題材に、旅愁と人生の儚さを表現しています。
詩の冒頭では、小諸城跡のほとりで、白く輝く雲を背景に、旅人が憂いに沈んでいる様子が描写されています。
まだ春が浅い時期で、緑のハコベや若草も芽吹いておらず、雪解け水で濡れた丘陵地帯には淡雪が流れています。
暖かい陽光が差し込んでいるものの、野には春の香りはなく、かすんだ空の下、麦はわずかに青々としているだけです。
旅人たちは、そんな風景を横目に、畑の向こうを急ぎ足で通り過ぎていきます。
■時間経過と心情の変化
日が暮れると、浅間山も見えなくなり、どこからか寂しさを募らせる草笛の音色が聞こえてきます。
旅人は、千曲川沿いの旅館に上がり、濁り酒を飲みながら旅の憂さを慰めようとします。
小諸なる古城のほとりの全文|島崎藤村の詩
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁?(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし
千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ
小諸なる古城のほとりの意味まとめ|島崎藤村の詩
この詩は、旅先の風景を通して、人生の儚さや旅愁を表現した作品です。
作者は、小諸城跡の風景を目の当たりにすることで、自身の過去や未来について思いを馳せたのでしょう。
そして、旅の寂しさや人生の儚さを、淡々とした言葉遣いで表現しています。