万寿姫とは江戸時代中期の将軍・徳川家治と御台所・五十宮倫子の次女。
幼名は千代姫、通称は万寿姫、法名は浄光院殿心月寿昌大姉。ドラマ「大奥」最終回にも登場しましたが万寿姫はどのタイミングで生まれたのでしょうか?
万寿姫(大奥)wiki|将軍・徳川家治と御台所・五十宮倫子の次女
万寿姫は、宝暦11年(1761年)3月22日に江戸城西の丸で誕生しました。父の家治は10代将軍、母は御台所・五十宮倫子です。倫子は公家出身で、家治の正室として迎えられました。
万寿姫の幼少期
万寿姫は幼い頃から病弱で、宝暦13年(1763年)には天然痘にかかり、命を落とす可能性もありました。しかし、倫子の懸命な看病により、一命を取り留めました。
万寿姫の婚約と早世
明和5年(1768年)、万寿姫は尾張藩世嗣・徳川治休と婚約しました。しかし、明和10年(1773年)4月25日、万寿姫は13歳という若さで病により亡くなりました。
万寿姫の死後の影響
万寿姫の死は、家治と倫子にとって大きな悲しみとなりました。また、尾張藩にとっても大きな損失でした。万寿姫が治休と結婚すれば、両家の関係がより強固なものになると期待されていたからです。
万寿姫に関する史料
万寿姫に関する史料は多くありません。しかし、いくつかの史料から、万寿姫が病弱ながらも、家治と倫子に愛された娘であったことがうかがえます。
万寿姫(大奥)wikiまとめ
万寿姫は、ドラマ「大奥」でも登場しますが、万寿姫の死因は、天然痘の再発説や、結核説などがあります。
なお万寿姫が生まれたタイミングについて、上様が亡くなった後に妊娠したことが分かります。上様が元気な時に出来た子です。
通常妊娠がわかるまでには時間がかかります。
心労が重なると生理がとまることもあるので妊娠に気づきにくいこともあります。
ドラマのシーンで気持ち悪そうにしながらお腹を触るシーンがあります。だいたいつわりとなると妊娠3ヶ月~5ヶ月くらいが多いです。
大奥が火事になり、その3ヶ月後に上様にもらった方位磁石を持って「私はどうしたらいいのでしょう」と自分自身に問いただしてる時に、胎動に気づきました。
そして、生前の上様の言葉を思い出し子供を産んで育てて行く決意をされるのだと思います。
なので、数ヶ月前にはまだ上様は元気だったということですよね。
その後お品が倫子の身の回りの世話をするのに呼び寄せられたので、その後出産したのでしょう。
この辺はドラマオリジナル脚本なので実在する万寿姫やその他の子供たちの出生の年式は異なります。