「筑前守」とは?読み方は?
「筑前守」とはどのような官位になるのでしょうか?
筑前守とは?官位は?羽柴筑前守と筑前の関係は?
「筑前守」は、日本の歴史上、さまざまな意味を持つ役職名です。
古代から中世にかけて日本の地方行政で用いられた役職のひとつです。具体的には、福岡県北西部にあたる地域で「筑前」と呼ばれる地域の長官としての役割を指します。
古代から平安時代にかけて、筑前守は筑前地方の政治を担当する役職であり、実際の地方行政を行っていました。ただし、後には名誉称号のような存在となり、地域の政治とは直接関係のない人物も名乗るようになりました。
律令制における国司
7世紀後半から8世紀初頭に始まった律令制では、日本全国は国と呼ばれる単位に分けられ、それぞれの国に国司と呼ばれる官職が置かれました。
国司には、守、介、掾、目の四等官があり、守は国の長官として行政・司法・警察などの権力を握っていました。
筑前守は、現在の福岡県の北西部にあたる筑前国の国司の長官を指します。
名誉称号としての官職名
鎌倉時代以降になると、実際の統治権は守護に移り、国司は名目的なもの、つまり名誉称号になっていきます。
しかし、室町時代や戦国時代には、有力武士や大名が勝手に国司の官職名を名乗ることもありました。
例えば、織田信長は上総守、羽柴秀吉は筑前守を名乗っていました。
江戸時代の武家官位
江戸時代になると、将軍は大名や大身旗本に朝廷を通じて官職を授けるようになります。
官職は一種の称号となり、代々受け継がれるようになりました。
例えば、土佐藩の山内家は代々対馬守を名乗っていました。
筑前守も従五位下相当の武家官位として、江戸時代に多くの大名や旗本が名乗っていました。
筑前守|守の官位の意味・役割は?
7世紀後半から8世紀初頭に始まった律令制では、日本全国は国と呼ばれる単位に分けられ、それぞれの国に国司と呼ばれる官職が置かれました。
国司には守、介、掾、目の四等官があり、守は国の長官として行政・司法・警察などの権力を握っていました。
守は、中央政府から派遣される官吏であり、任期は4年でした。
守の役割と責任
守は、国の長官として、以下の役割と責任を担っていました。
国内の行政事務を統括する
司法権を行使する
警察権を行使する
税金を徴収する
中央政府への報告を行う
守になるための条件
守になるためには、以下の条件を満たす必要がありました。
五位以上の位階を持つ
一定以上の年齢である
学問や武芸に秀でている