「井の中の蛙大海を知らず」の続きについて。
「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」という続きがあるという説もみられますが、どんな意味になるんでしょうか?
「井の中の蛙大海を知らず」の続き|「されど空の青さを知る」の意味は?
「井の中の蛙大海を知らず」**は、狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らないという意味のことわざですが、このことわざには、実は「されど空の青さを知る」という続きがある?
この続きは、もともと中国の古典には存在せず、日本で後付けされたものです。
この続きの意味は、狭い世界にいるからこそ、深い知識や知見を得られることもある、ということです。
例えとして、井戸の中の蛙は、大海を知らない代わりに、空の青さを深く知ることができる、というように説明されます。
このことわざは、
一つの分野を深く追求することの大切さ
視野を広げることの大切さ
「井の中の蛙大海を知らず」の由来・意味
「井の中の蛙大海を知らず」のことわざは、中国の思想家である荘子の著書「秋水篇」に由来します。
原文では、以下のように書かれています。
「井蛙不可以語於海者、拘於?也。」
これは、「井戸の中の蛙に海のことを話しても理解できないのは、蛙が狭い井戸という空間にとらわれているからだ」という意味です。
ことわざの意味
このことわざは、
自分の知識や経験が限られていると、広い世界を見渡すことができない
狭い世界に閉じこもっていると、視野が狭くなり、物事を多角的に捉えることができない
という意味を表しています。
現代社会では、インターネットや情報技術の発達により、世界中の情報にアクセスできるようになりました。
しかし、その一方で、情報過多により、自分の興味のある分野の情報ばかりに触れてしまい、視野が狭くなるという問題もあります。
このことわざは、
常に新しい情報や知識に触れ、視野を広げることの大切さ
異なる視点から物事を考えることの大切さ
を思い出させてくれます。
「井の中の蛙大海を知らず」の続き|「されど空の青さを知る」は後付け
日本では、
「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」
「井の中の蛙大海を知らず されど天の深さを知る」
のように、「井の中の蛙大海を知らず」の後に「されど空の青さを知る」または「されど天の深さを知る」という続きが付けられることがあります。
この続きは、もともと中国の古典には存在せず、日本で後付けされたものです。
この続きの意味は、狭い世界にいるからこそ、深い知識や知見を得られることもある、ということです。
例えとして、井戸の中の蛙は、大海を知らない代わりに、空の青さを深く知ることができる、というように説明されます。
ただ、この続きは、
一つの分野を深く追求することの大切さ
専門性を磨くことの重要性
を教えてくれます。
「井の中の蛙大海を知らず」の続き|「されど空の青さを知る」の由来は近藤勇(新選組局長)?
「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」ことわざは、新選組局長近藤勇の言葉としてドラマなどで紹介されることがあります。
しかし、これは誤りです。
このことわざは、近藤勇の言葉ではなく、日本で後付けされたものです。
大河ドラマの『新選組!』で近藤勇を演じた香取慎吾に、脚本を書いた三谷幸喜が言わせたフィクションです。
川平慈英のヒュースケンが、近藤に「日本が開国しなければ、世界から取り残される。日本には井の中の蛙大海を知らずという言葉があるだろう」と、説く。その後、暗殺されそうになるヒュースケンを近藤が逃がしてやるのだけれども、別れ際に礼をいうヒュースケンに、次のように問うんです。「ヒュースケンさん、さっきの言葉には続きがあるのをご存知ですか?」と。
そして、首を横に振るヒュースケンに「井の中の蛙大海を知らず。されど空の高さを知る」と、近藤は噛み締めるように言い、ニコっと笑って去って行きます。
ドラマでは、近藤勇が、
狭い世界に閉じこもるのではなく、広い世界に出て視野を広げることの大切さ
一つの分野を深く追求することの大切さ
をこのことわざで表現しようとしたのかもしれません。
しかし、このことわざは、本来、
視野が狭い人
自分の経験や知識に固執する人
への
忠告
戒め
として使われるものです。
そのため、ドラマでの使い方は、本来の意味とは少し異なるといえます。
「井の中の蛙大海を知らず」の続き|「されど空の青さを知る」まとめ
「井の中の蛙大海を知らず」という言葉は、狭い世界に閉じこもっていても、広い世界のことを知らないという意味です。
しかし、続きとされる「されど空の青さを知る」の部分は、狭い環境で生活しているからこそ、その環境の中で得た深い知識や洞察があることを表しています。
具体的には、このことわざは、狭い範囲に閉じこもっている人々でも、その中で得た知識や経験は他の人とは異なるということを示しています。
つまり、一つの分野に特化して深く掘り下げることで得られる知識や理解が、他の人々には理解できないような価値を持つことを意味しています。
例えば、研究者や職人など、特定の分野に深く精通している人々は、一般の人々が気づかないような微妙な変化や事象に気づくことができます。
そのため、「井の中の蛙」であっても、「空の青さ」や「深さ」を知ることができるのです。
この言葉は日本において中国の古典から派生していますが、具体的な続きの部分については諸説があります。
しかし、「されど空の青さを知る」というフレーズは、狭い世界に閉じこもっていても、その環境で得た知識や経験は他の人とは異なる価値を持つことを表しています。
この言葉は、かの新撰組の局長である近藤勇が遺した名言として一般に広く知られていますが、実際には近藤勇の言葉ではないことがわかっています。
元々は、「井の中の蛙大海を知らず」ということわざで、この出典は『荘子』外篇の秋水篇にあります。このことわざは、見識が狭く広い世界を知らないことを表しています。
後半の「されど空の青さを知る」は、日本に伝わってから後付けされたものとされています。日本人特有の感覚や文化に基づいて付け足されたものであり、実際には荘子の原文には含まれていません。
この言葉が近藤勇に関連付けられたのは、大河ドラマ『新選組!』での演出によるものです。香取慎吾が近藤勇を演じ、脚本を書いた三谷幸喜が台詞に取り入れたことで、近藤勇の言葉として広く認識されるようになりました。