セウォル号沈没事故では、2014年4月16日に、全羅南道珍島郡の観梅島(クヮンメド)沖海上で「セウォル号」が転覆・沈没した事故。
乗員乗客合わせて476人中295人が亡くなられ、生存者は172人ですが助かった生徒はどうやって生還したのでしょうか?
セウォル号沈没事故の背景と経緯
セウォル号は韓国の大型旅客船で、修学旅行中の高校生325人と引率の教員14人を含む乗客476人が乗船していました。2014年4月15日午後9時頃、仁川港から済州島へ向けて出港しましたが、濃霧による視程低下のため約2時間遅れていました。
■経緯
2014年4月16日午前8時49分頃、セウォル号は観梅島の近くで突然右に旋回し、船が傾き始めました。その後、さらに北に向けて旋回し、急激な旋回により船体は横倒しになりました。この事故では、乗客の少年が携帯電話を使って消防に通報し、海洋警察に転送されましたが、結果として乗員・乗客の死者299人、行方不明者5人を出す大惨事となりました。
セウォル号沈没事故|助かった生徒はどうやって生還?
事故発生時、船長や乗員、沿岸警備隊の対応に不備がありました。船が傾き始めた時、乗員は「その場にとどまるように」という指示を出していました。しかし、一部の生徒や乗客は自分の判断で脱出を試み、救助されたことが生存につながりました。例えば、キム・ドヨンさんは友達と肩を組んで海に飛び降り、海洋警察のボートに向かって泳いで助けを求めました。また、チョン・デジン君は胸まで水が上がった時に泳ぎ始め、救命胴衣を着けたまま海に出ました。
■運良く避難できた生徒:
一部の生徒は運良く避難経路を見つけ、救助されました。例えば、避難経路が近くにあったり、他の乗客と協力して脱出したことが考えられます。これらの生徒は、自己判断で動いた結果、助かることができました。
■助かった生徒たちの証言
〇キム・ドヨンさん:
「水が膝の高さくらいになった時、友達と2人1組で肩を組んで海に飛び降りた。海上警察に向かって叫んでみたが、結局海洋警察のボートがあるところまで泳いで行った」と述べています。
〇チョン・デジン君:
「船が傾くのを見て弟のボッジン君と一緒に廊下に飛び出した。胸まで水が上がった時、本能的に泳ぎ始め、救命胴衣を着けたため、うまく潜れなかったが、なんとか潜りドアを二つ潜り抜けて海に出た」と説明しています。
セウォル号沈没事故|助かった生徒はなぜ助かった?
セウォル号沈没事故では、多くの犠牲者が出ましたが、一部の生徒が助かった理由にはいくつかの要因がありました。主な要因は以下の通りです。
■自己判断と行動:
助かった生徒たちは、船内放送の指示に従わず、自分の判断で行動しました。これは非常に重要な要素であり、自己判断が命を救う結果となりました。
乗務員の指示に従って船内にとどまった人々は多くが犠牲になった一方で、自分で状況を判断し行動した生徒たちは生存することができました。
■運と環境:
避難経路が近くにあったり、他の乗客と協力できる状況にあった生徒たちは助かりました。
運も大きな要素であり、適切な避難経路にアクセスできたことが生存につながりました。
まとめ:セウォル号沈没事故|助かった生徒は何人?どうやって生還?なぜ助かった?
2014年4月16日に韓国で起きたセウォル号沈没事故は、多くの命が失われた悲劇的な出来事でした。この事故で、なぜ一部の生徒だけが助かったのか、その要因について考えると
■自力で脱出した生徒
多くの犠牲者が出た要因の一つとして、船長や乗組員の指示に従って船内に留まったことが挙げられます。しかし、一部の生徒は、自らの判断で脱出を試み、救助されました。
■運良く避難できた生徒
一部の生徒は、運良く避難経路を見つけ、救助されました。
事故発生時、比較的船首側にいた生徒は、船が沈む前に避難経路を見つけやすかった可能性があります。
また、他の乗客と協力して脱出したり、偶然空いていた窓を見つけたりした生徒もいたでしょう。
■韓国社会における年功序列
韓国社会では、年功序列を重んじる風潮が強く、目上の人や権威のある人には従うものという考え方が一般的です。
このような風潮が、生徒たちが船長の指示に従い、避難を遅らせてしまったという側面もあるかもしれません。