日航ジャンボ機UFO遭遇事件とは、1986年に日航機(JAL)の機長が未確認飛行物体(UFO)を目撃しただけではなく、追尾されたという事件。
ただ機長と副操縦士との見解には相違があったり、アメリカの管制局の意見が二転三転するなど、日航ジャンボ機UFO遭遇事件の真相は謎に包まれたままとなっていました。
日航ジャンボ機UFO遭遇事件とは?
日航ジャンボ機UFO遭遇事件とは、1986年11月17日に日本航空(JAL)のジャンボ貨物機がアメリカのアラスカ州上空で宇宙船らしき未確認飛行物体(UFO)に遭遇し追跡された事件。
JAL機がアラスカ上空でUFOと遭遇?
パリ発アンカレッジ経由東京行きJL1628便(日本航空のボーイング747-246F貨物機)がアメリカ・アラスカ州のフェアバンクス上空・高度約10,000メートルを飛行中の出来事でした。
ボジョレーヌーボー(ワイン)を運ぶ貨物機のため、乗客やCAはおらず搭乗していたのは寺内謙寿機長と副操縦士の為藤隆憲さん、航空機関士の佃善雄さんの3名のみ。
アンカレッジ北東約770キロの地点で、アンカレッジ直行態勢を取った直後、航空機の灯火らしき光が二つ並んで、まるで二匹の小熊がじゃれあうように空中を漂っている様子を機長が目撃。
その後、巨大な母船型UFOが日航ジャンボ機と同じ速度で約7分間も同方向に進み始めたとされ、
アンカレジ北方270キロの地点でUA機と日航ジャンボ機がすれ違った瞬間、宇宙母艦はパッと消えてしまったのだそうです。
母艦を現れてから30分、2つの小型の未確認飛行物体を確認してから50分が経過していました。
その時のUFO体験を、機長が共同通信社に勤務していた友人に話したところ、たちまちUFO遭遇事件として世界各国で報道されることになりました。
アメリカでは日本の管制局に当たるFAA(米連邦航空局)のみならず、CIAやFBI、さらに当時のレーガン政権の科学調査チームも巻き込んでの大騒ぎに発展しました。
JAL機長によるUFO目撃証言
機長によると、母船とみられるUFOのサイズは自機の大きさの3~4倍にも匹敵するほど巨大なもの。
形は球体で、旋回して逃れようとするものの同機と併走するように移動し、時には衝突の危険を感じる150~300メートルの近くにまで、日航ジャンボ機の直前やや上方にUFOは瞬間的に異常接近もしていました。
また母船UFOからは操縦室内を明るく照らすほど強い光が発せられることもあり、寺内機長は顔に若干の熱まで感じたと証言。
UFOの中央部は暗黒で何も見えなかったものの左右は表面が無数のノズルで覆われ、白熱灯に似た色の光を噴出していました。
機内の気象レーダーにもはっきりとUFO姿が写っていることも確認していますが、通常だと金属製の物体なら赤く映るはずがUFOの像はグリーン。
およそ13~14キロほど前方になぜか雲のような透明状のものとしてレーダー上に写っていたそうですが、
フェアバンクス市付近に達すると、地上の灯りに照らされて全体のシルエットが浮かび上がります。
寺内機長によると、直径は日航ジャンボ機の全長の数十倍という、桁外れの大きさだったとのこと。。
JAL機長と副操縦士の意見の食い違い
このUFOについては米国連邦航空局の地上レーダーと米軍のレーダー局も捕捉しており、
FAA(アメリカ管制局)からも「調査のため空軍機の飛行を依頼するか」との提案があったそうです。
ただ副操縦士も機関士も、UFOの存在は否定しています。
■為藤隆憲副操縦士の証言
ライトは確かに見たし、機内のレーダーにも現われていたから何らかの飛行物体が存在したことは確実だが、物体の形は確認できなかった。
■佃航空機関士の証言
アンカレジに着陸するためのデータ計算をしていたところ、寺内機長が『前の方を見ろ』と言った。だいだい色と青っぽい色の二つの光が上下にゆらゆらと揺れるように見えた。
機長の言う宇宙母艦かどうか半信半疑だが、貨物便の乗員はたった3人だけで、オーロラの見える時期でもないので気味が悪かった。
■管制センターの発表も二転三転
為藤副操縦士がアンカレジ航空管制センターに問い合わせたところ「地上のレーダーには何も映っていない」との回答を受けているといいます。;
「付近を飛んでいるのは、JAL機だけ」とのことでしたが、共同通信社は事件後の続報として「UFOと見られる物体の影が事件当時、アンカレジ空港の航空管制センターにも映っていた」と報道。
すると、事件発生から2ヶ月近くが経った翌年の1987年1月9日に前回の報道とは一転して「UFOはレーダーに映っていなかった」という、まったく逆の記事が掲載され、
FAA(米連邦航空局)がレーダー記録を点検してみたところ、レーダーには何も映っていなかったとされました。
JAL機長・寺内謙寿機長は過去にもUFO目撃
実はUFOを目撃したという寺内謙寿機長はこの事件の前後にもUFO目撃談を何度か語っていました。
また、日航ジャンボ機UFO遭遇事件の後にも再びアラスカ上空で「UFO」を目撃していますが、これに関しては、光柱現象の誤認であると認める発言をしています。
日航ジャンボ機UFO遭遇事件の真相は?
日航ジャンボ機UFO遭遇事件で機上レーダーに雲状のものとして映った物体の正体は何だったのでしょうか?
1986年当時の報道では氷晶を含んだ雲で光柱現象だったという見方が主流で、さらにアメリカ管制局による「F-15を飛行させるか?」という会話は交信記録も存在しないとされました。
UFOの正体自然現象?
航空機の気象レーダーでは金属などで出来た硬い飛行物体は赤色に映るとされ、
雲などは、反射が弱いために緑色に映る仕組みになっているそうです。
米航空宇宙専門誌編集者のフィリップ・J・クラス氏によると事件があった日の惑星の位置関係から、
「地平線から10度ほどの位置にあった木星と、その同方向にあった火星の見間違いではないか」と指摘しています。
ただ、単なる惑星がジャンボ機を追い掛けることはまず考えられませんし、機内を照らすほどの光もありません。
もう一つの有力な説として考えられているのが「太陽柱」でした。
「太陽柱」とは、細かい氷晶が太陽光を反射して、太陽の虚像を作り出す自然現象。
地上ではダイヤモンドダストとも呼ばれ、日出または日没時に零下20度以下になると月光や地上の光でも光の柱が見えることがあるそうです。
UFO目撃は隠蔽工作された?
日航ジャンボ機UFO遭遇事件で一石を投じることになったのは2001年にアメリカのワシントンD.C.で行われた「UFOディスクロージャー・プロジェクト」の公聴会でした。
日航ジャンボ機UFO遭遇事件の真相を知るとされる証言者(NASA関係者や退役軍人、政府関係者、航空メーカーの技術者など)が現れたことです。
『ディスクロジャープロジェクト』で連邦航空局職員であり事件当時を含む1981年~1988年にかけて事故調査部長だったジョン・キャラハンより、日航機長の報告を裏付ける証言が為されました。
証言によると日航ジャンボ機UFO遭遇事件の後、FBI、CIA、および当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン直属の科学調査班が緊急招集
キャラハン他連邦航空局関係者22名を含めた報告会議が開かれ、この会議の終わりにおいて、参加者全員に対してCIAから緘口令が宣告されたとのこと。
公式には本事件は存在せず、この会議も開催されなかったこととして封印されただけではなく、
レーガン大統領がマスコミに圧力をかけたといわれていてHAARPによる何らかの秘密実験との関連を指摘する説もあります。
■HAARPとは
日本語では「高周波活性オーロラ調査プログラム」と訳されていますが、人為的に気象を操作することにより敵対する国家や地域に損害を与えることを目的とした気象兵器の一種とされています。
寺内謙寿の現在は?
航空自衛隊出身でF-86Fパイロットだった寺内謙寿機長はその後、UFO騒ぎの責任を取らされたかのように地上勤務に異動させられていますが、3年後くらいにはまた現場復帰をして飛行機に搭乗するようになっています。
メディアでは日航を辞職し北海道に移住した説や、『11PM』出演後に急死したのではといったデマが流れていました。
日本航空を定年退社の2006年には週刊新潮(12月7日号)に「日航貨物機、巨大UFO母船に遭遇事件」についてインタビューに答えていて、
自分が釧路湿原に移住したというデマを垂れ流すテレビ番組を観ながら、「失言で湿原へ移住し、悔恨(開墾)するってか」と駄洒落で笑い飛ばしたという。「勝手な人が勝手なことを言っていて凄かった」と、寺内氏は当時の狂騒ぶりを振り返る。