臼井興胤さんのコメダ珈琲店の現社長を務めていますが、これまでに日本マクドナルドやセガといった企業を渡り歩いてきました。
プロ経営者としてキャリアを積み重ねている臼井興胤さんの気になるプロフィールをまとめています。
臼井興胤のコメダ珈琲とは
コメダ珈琲店は名古屋発祥のフルサービス型喫茶店で1968年に加藤太郎氏による個人経営の店として開店。
コメダという名前は実家が米屋だったことにちなんでいて、街のリビングルームとして、“くつろぐ、いちばんいいところ”というコンセプトのものと、
1970年から東海地方を中心にフランチャイズ(FC)展開。
コメダ珈琲店の店内は温かみのある木とレンガを基調とされ、ゆったり座れるソファー、多くの新聞や雑誌類など、くつろいで過ごせる店づくりとなっています。
価格は全国統一されているわけでなく、店舗によって異なっていますが、
開店から11時までは、ドリンクを注文すると焼き立てのトーストと、「ゆで玉子」「たまごペースト」「おぐらあん」のいずれかが無料で付くモーニングサービスを提供しています。
臼井興胤wikiプロフィール
名前:臼井興胤(うすい おきたね)
出身地:愛媛県松山市
生年月日:1958年10月31日
年齢:62歳
出身高校:東京都立富士高等学校
最終学歴:防衛大学校(中退)→一橋大学商学部
臼井興胤さんは小学校の頃から米国の文化に憧れを持っていて「社費で海外のビジネススクールに留学させてくれるから」という理由で新卒で三和銀行(後の三菱UFJ銀行)に入行。
実際にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の金融大学院(金融専攻)に留学してMBA(経営学修士)を取得すると、そのまま米国勤務となりり5年間をアメリカで生活しています。
1993年にセガ・エンタープライゼス(後のセガ・ゲーミング)に転職し、1997年から1999年に退社するまでの間はセガ取締役コンシューマー事業本部副本部長に就任しています。
その後は、ベンチャーキャピタル、ナイキを経て、スカウトを受けて日本マクドナルドにCOOとして入社。
臼井興胤さんはもともと「マクドナルド」に関心が強く、マクドナルドの映画や原作の単行本をすべて読んでいたそうなので、
マクドナルドのCOO就任は喜びもひとしおだったと思いますが、当時のマクドナルドの経営方針をめぐって結局、1年余りで退任することになり、訴訟にも発展する騒ぎとなりました。
2007年には再びセガに復帰して社長に就任していますが、2012年に米グルーポン社東アジア統括副社長に就任しています。
臼井興胤の経歴
臼井興胤さんがコメダ珈琲の代表取締役社長に就任したのは2013年7月1日のこと。(2014年から株式会社コメダホールディングス代表取締役社長も兼務)
臼井興胤さんは店舗で身分を隠してアルバイトした経験があるほか、社長となった現在も毎週木曜日の朝6時から9時まで本社1階にある店舗で店員の一人として接客に当たり、現場重視の姿勢を貫いています。
経営者としては徹底した現場主義で知られ「良いビジネスを展開するにはお客様の近いところで意思決定をする」ことを信条としているようです。
2016年には外食産業記者会外食アワードで外食事業者部門を受賞すると同時に、
東京証券取引所一部及び地元の名古屋証券取引所一部に上場を果たしていm佐生。
臼井興胤の高校や大学など学歴は?
臼井興胤さんは父親が転勤族だったこともあり小学校の頃から転校(6回)を繰り返していたそうです。
高校に上がるころには東京に落ち着いたようで、東京都立富士高等学校に入学すると、大学は「飛行機のパイロットになりたい」という志望から防衛大学校に進学。
ただここで方針転換をして中退すると一橋大学商学部に入りなおして卒業をしています。
臼井興胤の家族構成は?母親と父親の仕事は?
臼井興胤さんの父親は丸善石油の社員で、出身地は製油所のあった松山だったそうです。
臼井興胤さんが中学校に上がった時にはアブダビ(アラブ首長国連邦)への赴任が決まっていますが、さすがに家族を同行させるのは難しかったようで父親が単身赴任。
結局、臼井興胤さんが大学を卒業するまで日本に帰って来ることはなかったそうです。
臼井興胤の国籍は家族で韓国人なの?
臼井興胤さんの国籍は99%以上の可能性で日本人だと思われます。
臼井興胤という名前の武将が臼井家の中興の祖だったようで、臼井興胤さんの息子でちょうど30代目にあたるそうです。
臼井興胤の年収は?
2019年2月期の取締役4名に対する報酬総額は1億5203万円とされていることから、
社長を務める臼井興胤さんの年収は5000万円~7000万円程度とみられます。
他にも
中国客美多好食股?有限公司董事(社長)
株式会社エイチーム社外取締役
といった職も歴任していることから、臼井興胤さんの年収は7000万円規模とみられます。