女性園芸家が殺されたハロウィンの日の殺人事件犯人がテレビ番組「世界が騒然!本当にあった(秘)衝撃ファイル」で紹介されました。
1984年ににアメリカで起こった事件で31歳の妊婦とともにお腹の中にいた妊娠8ヶ月の胎児の命まで奪われることになりました。
女性園芸家ハロウィン殺人事件の経緯
1984年10月31日のハロウィンの夜、アメリカのカルフォニア州にあるサンノゼという街で子供たちが恒例の仮装パーティーで盛り上がっていました。
妊娠8か月のドリーン・アーバートと娘のディアナ・アーバートは、夫のチャールズ・アーバートが自宅でキャンディを配っている間、トリック・オア・トリートに連れ出し、
家に帰ったところ、チャールズは足りなくなったキャンディーを追加するために酒屋に出かけていて15分ほど家を留守にしていました。
事件が起きたのはそのわずかな時間でした。
午後9時頃、アーバートさん宅の玄関をノックする大きな音がして、ドリーンがドアを開けるとオオカミのマスクをかぶった男が「お前を殺してやる」ナタで妊娠中のドリーン・アーバートに襲い掛かります。
ドリーンは娘ディアナに「ソファの後ろに隠れなさい!」と避難するように伝えたので不幸中の幸いにも、命を落とすことはありませんでした。
店から戻ったチャールズ・アーバートが玄関の鍵が開いているのに気づいた。中に入ると、残忍に切り刻まれた妻ドリーンの姿と血まみれの恐ろしい光景が広がっています。
ドリーンは大きな刃物で頭と体を何度も殴られ、左手は完全に切断されていた。生後8ヶ月の胎児は腹部から摘出され、バラバラに切断されていたという。
床には大量の血が流れていてチャールズは滑って転んでしまうほどで、警察当局がが現場に到着した時にはチャールズがヒステリーを起こして血まみれになっている姿で発見されています。
女性園芸家ハロウィン殺人事件の容疑者は?
警察はアーバートの家の玄関で狼のマスクを発見。
血の跡がブロックの下まで続いているのを発見しましたが、そこで突然止まっていたことから犯人は車に乗って逃げたのではないかと推測します。
救急隊員が到着した時にはドリーンにはまだ脈があったものの病院に向かう途中で死亡し、
警察は取り調べてのために容疑者の一人として夫のチャールズを拘束していますが、捜査を進めていくうちにドリーンの元旦那・ウィリアム・マイケル・デニスも容疑者として浮かび上がってきました。
近くのロッキード工場で噴霧器の仕事をしていたマイケル・デニスは、理学療法士だったドリーン・アーバート(当時は別の姓)と出会い、数ヶ月後に結婚しました。ドリーンはすぐに男児ポール・デニスを出産しています。
しかし育児のすれ違いから2人は1977年に離婚します。マイクは息子との時間を大切にしていたものの、ドリーンが息子の第一親権を保持し、週末にはマイクを訪ねてくるようになります。
ドリーンは離婚からすぐに立ち直ると地元のカーペット店のオーナー、チャールズ・アーバートと結婚します。
女性園芸家ハロウィン殺人事件の犯人はマイク?
警察当局はアーバート夫妻とマイクとの間に問題があったことを知ると、アーバートの家から2マイルも離れていないマイクの家に急行。
すると、私道に止めてあったマイクのトラックの中を覗き込むとハンドルとキーとギアシフトノブに血が付いていることを確認。
マイクの家をドアをノックすると、返事こそないものの、水が流れる音は聞こえています。
警察は「誰かが証拠を洗い流すか、洗い流そうとしているのではないか?」と思いを巡らせていたところ、ようやくマイクがローブを着て姿を現しました。
当局が妻の殺害を伝えると、マイクは平然とした様子で、事件について話し合うために中に招き入れます。
捜査官はマイクの右手に包帯を巻いているのに気付きましたが、「ナイフで遊んだ時にできたんだ」とマイクは主張しています。
マイクは「隠すことは何もない」と言い、家宅捜索をさせることに同意すると、捜査官は家中で結婚を発見し、その場で緊急逮捕。
重要証拠として金物店のレシートと18インチの鉈のラベルを押収するとともに、ガレージにはチャールズのための手作りの棺桶が2個、
ドリーンのための小さな棺桶が1個、死体袋、重り、サンフランシスコ湾の地図も見つかっています。
ただ、マイクは元妻の殺害を否定し、手元にこれだけの証拠にもかかわらず、彼を逮捕・立件するには不十分としてなんと48時間後に釈放されます。
女性園芸家ハロウィン殺人事件の真犯人は?
いったんは釈放されたマイケル・デニスでしたが、彼の血液型と、犯行の際に怪我を負っていた犯人の血液型が一致したことから、1984年11月5日にあえなく逮捕されています。
他にもアーバート家で発見されたオオカミのマスクが、前年のハロウィンパーティーでマイクが着用していたものだということが、
近隣住人の手元に残っていた写真から特定されたことがマイケル・デニスの犯行だという決定的な証拠の一つとなりました。
数々の証拠から事件は計画的犯行だったとして、マイケル・デニスには有罪判決が下され、死刑が宣告されます。
裁判ではドリーン・アーバート殺害を第1級殺人(計画的殺人)、胎児殺害は第2級殺人(故意による計画外殺人)と認定され、
マイク・デニスはサンクエンティン州立刑務所の死刑囚監房に収監され1999年9月に、ガス室で死刑が執行されています。
女性園芸家ハロウィン殺人事件の犯人の動機
マイク・デニスの計画は サンマテオ橋の湾に捨てることだったようですが、なぜ犯行に及んだのでしょうか?
チャールズ・アーバートと殺害されたドリーンは引き取ったポールの他に1979年に娘のディアナ・アーバートを授か地家族4人で暮らしていたものの、楽しい時間は長くは続きませんでした。
3年後の1980年2月、4歳のポールがプールを囲むフェンスを乗り越えて水の中に落ちる事故が発生。
当時ドリーンたちは家にいたたものの、手遅れになるまで事故に築かず発見が遅れてしまったことから、プールから引き上げられたポールは意識不明の重体で、病院の処置も徒労に終わり短い人生に幕を下ろします。
マイケル・デニスはドリーン・アーバートと再婚相手のチャールズを恨んで不法死訴訟を起こすまでになり、1982年3月に裁判が行われましたが、
陪審員は アーバート夫妻に有利な判決を下し、夫婦はマイクとの関りを絶つことになります。
マイケル・デニスは幼少期、重度の難聴を患っていました。そのせいで吃音にも悩まされていました。
当時を知る友人は、マイケル・デニスは補聴器を使ってさえも日常生活を送ることが大変そうだった、と証言しています。そういった事情から、人と話をすることも少なかったようです。
マイケル・デニスは離婚後、うつ病にもなっており、生活と精神状態は悪化する一方。
ロッキード社の噴霧器の職を失い、仕事を続けるために減給を受けいれざるを得ない状況となった上に、ポールの事故死も重なってますます心がボロボロになっていきます。
マイクはいつしか「息子は殺された」と思うようになっていたようです。
女性園芸家ハロウィン殺人事件はホラー映画がモチーフ?
ジョン・カーペンター監督は1978年に、ホラー映画『ハロウィン』を発表しています。
殺人鬼ブギーマンことマイケル・マイヤーズをメインとした映画は大ヒットし、今日ではスプラッター映画の代表作とされています。
この映画では、マイケル・マイヤーズがマスク姿の仮装で衆人に紛れるというシーンが描かれました。マイケル・デニスの殺人は、奇しくも映画が現実になったような事件となったのです。