グッチ・マウリツィオはグッチ創業者のグッチオ・グッチの孫にして3代目ブランド継承者でもありましたが、1995年に何者かによって暗殺されました。
この事件の犯人はグッチ・マウリツィオの元妻、パトリツィア・レジアニでした。
グッチ・マウリツィオ暗殺事件の背景
グッチ・マウリツィオ暗殺事件の発端となったのはやはり、グッチ創業者のグッチオ・グッチが遺した巨額の遺産とブランド「グッチ」という金の卵をめぐる親族間の争いにありました。
1921年に創業したイタリアの高級服飾系ブランド
「GUCCI」と言えば、ファッミリービジネスを行っていた事と併せて
創業者のグッチオ・グッチは1881年にイタリア・フィレンツェで帽子製造を営む家に生まれました。
若い頃に産業革命によって文明も文化も最先端だったイギリスの滞在した経験をベースに、第一次世界大戦後の1921年、バッグや馬具などの高級皮革製品を扱う会社を設立します。
皮革製品への強いこだわりと、品質の高さ、革新的で洗練されたデザインは瞬く間に人気のお店に成長し1923年に「GUCCI」の店名を掲げるようになります。
第二次世界大戦が始まると、物資不足から、皮革の入手が困難となる逆風に見舞われるものの、グッチオは皮革の代用品としてキャンバス地にコーティング、持ち手部分に竹を使用した製品を発表。
これが思わぬ人気を博し、今でもグッチ(GUCCI)を代表するアイテム「バンブー」へと継承されていきます。
終戦後には、イギリス、フランス、アメリカなどに世界各国に店舗展開し、世界的な有名ブランドへと成長しました。
一代にして世界的なブランドを築いたグッチオ・グッチは1953年に72年の生涯を閉じますが、グッチオには6人もの子供がいたことから、その後は兄弟間での確執と後継者争いが絶えることはありませんでした。
グッチオの死後、2代目グッチ(GUCCI)の事業を主に継いだのは、三男のアルドと五男のルドルフォです。
三男アルドは、グッチオ生前の頃からグッチ(GUCCI)の経営に携わっていて、海外進出を進め世界的な地位にブランドを確立させる手腕を発揮していました。
グッチ(GUCCI)の代表作であるビットモカシンや香水などのラインナップも三男アルドが進めたものです。
一方の五男ルドルフォは、若い頃は家業とは関りを持たず映画俳優を目指していました。
ただ役者として芽が出ずにいたことから、父親のグッチオから誘いを受けてグッチの経営に携わるようになります。
ルドルフォは俳優時代に培った人脈を活かし、大物女優たちにグッチ(GUCCI)商品を使用してもらうプロモーションを積極的に手掛けたことが、父であるグッチオに高く評価されていました。
後継者に指名された三男のアルドと五男のルドルフォの2人は、お互いに社長の座を奪い合う形になったものの、どちらも譲らず最終的には経営権を握るグッチ(GUCCI)の株をに分割することで決着します。
実質的な経営は三男アルドがが担ったものの、三男のアルドと五男のルドルフォの二人の兄弟の経営権をめぐる確執や対立が強まっていき、のちに一族の衰退をたどる歴史の始まりになります。
兄アルドから、経営の実権を奪う日を夢見たルドルフォでしたが、道半ばで亡くなると、ルドルフォの一人息子であるマウリツィオに50%の株が相続されます。
三男アルドは50%のうち40%を自分が所有し、残りの10%をアルドの3人の息子ジョルジョ、パオロ、ロベルトにそれぞれ3.3%ずつ分割して所有させていました。
創業者の孫たちである第三世代になってから、グッチ一族の最高責任者の座をめぐる争いが加速し始めます。
グッチが孫の世代に代替わりすると、社長に就任したのはアルドの息子で、グッチ一族の異端児と呼ばれた次男のパオロでした。
デザイナーとしての才能は、他の兄弟に比べ抜きん出ていたものの、「万人にグッチを」という考えのもと中流階級まで顧客層を広げるブランド「パオロ・グッチ」を独断で立ち上げます。
結果的にそれまでのグッチの高級路線、ハイブランドな企業イメージは損なわれてしまい、売上が低迷するようになります。
これが父アルドの逆鱗に触れ、パオロはグッチから追放されるものの、グッチ株を50%所有する従兄弟・マウリツィオと結託し、父親のアルドを社長の座から引き摺り下ろすというクーデターを起こします。
そしてパオロからバトンタッチする形で3代目の社長に就任したのが、マウリツィオでした。
もちろん、アルドも黙ってはいません。マウリツィオが父親のルドルフォから株を引き継ぐ際に、父親のサインを偽造させて株を相続したと告訴します。
マウリツィオもいったんは社長職を離れることになりますが、パオロが父親アルドの脱税を告発したことから、マウリツィオがグッチ会長職に復権を果たします。
しかし、ここまでグッチ一族では傍流の立場に追いやられていたアルドの長男ジョルジオと三男ロベルトは、マウリツィオがグッチを経営することはどうしても許しがたいものがあったようです。
アラブ資本の資産投資会社「インベストコープ」へ自身のグッチ保有株を売却すると、なんと次男パオロまでグッチ株を売却してしまいます。
グッチ株の過半数が一族の手から離れるという一連のお家騒動によって「グッチ」というブランドの評判はガタ落ち。
会長のマウリツィオも経営に対する意欲をすっかり失ってしまったことから、グッチの株をすべて手放すことを決めます。
こうして、グッチ一族はブランド「グッチ(GUCCI)」と関わりがなくなりましたが、1995年に世界に衝撃的なニュースが流れました。
グッチ・マウリツィオ暗殺事件の真相・犯人は?
創業者グッチオ・グッチの孫にあたる3代目グッチ社長のマウリツィオ・グッチはすべての株を手放した後、1995年にマフィアに殺害されるという衝撃的なニュースが報道されます。
マウリツィオが朝、オフィスに入るところを、多くの目撃者のいる中で射殺されました。
犯人は階段の上から降りて来るマウリツィオに駆け寄ると、足元から頭に向けてピストルで撃ちます。
三発の銃撃を放ち銃弾は太腿の付け根から入り頭を貫通したことからマウリツィオはその場で即死。
犯人は玄関に立っていたポーターのジュゼッペ・オノラトにも2発、発砲したため、後に裁判ではオノラトの証言が決定的な証拠として採用されます。
事件は長らく犯人を特定できず、迷宮入りとなっていたものの、その数年後、実行犯を雇った黒幕が捕まりました。
その黒幕と言うのがなんと、マウリツィオの妻パトリツィアでした。
パトリツィオ・レッジアーニのグッチ・マウリツィオ暗殺動機は?
マウリツィオの妻パトリツィアは、大変な野心家だったようで、グッチ一族の財産狙いでマウリツィオに近づき、虎視眈々とグッチの権力を狙っていました。
アルドとパオロの親子喧嘩を見逃さず、夫マウリツィオとパオロを共謀させて二人の保有株を合計することで過半数を制し、アルドをグッチのトップ座から追い落とすアイデアはパトリツィアの発案でした。
アルドは社長を解任され、次期社長にマウリツィオが就任すると、パトリツィアは念願の社長夫人としての地位を手に入れ「レディー・グッチ」と呼ばれるようになります。
しかしパトリツィアとマウリツィオ・グッチの13年間の結婚生活は決して夫婦円満というものではなかったようです。
2人の娘を授かるものの、マウリツィオとパトリツィアの2人は経営方針を巡って争いが絶えず、夫婦関係は破綻。
マウリツィオは家を出て別の女性と別居し、子供たちは、母親のパトリツィアが養育をすることになります。
マウリツィオはグッチ株をすべて手放しグッチの経営から退いたとはいえ、莫大な財産がありました。
離婚して別の女性との再婚してしまうと、パトリツィアや2人の娘が受け取れるはずの財産がほとんど奪われることになります。
パトリツィアがマウリツィオを暗殺したのあhその財産が他人にいかないようにするため、そしてレディ・グッチという野望が崩れてしまったためと見られています。
グッチ・マウリツィオ暗殺事件の犯人逮捕のきっかけは?
マウリツィオを暗殺したマフィアはパトリツィアによって雇われたことが分かりますが、しばらくは真相は闇に包まれていました。
パトリツィアの名前が捜査線上に浮かび上がってきたのは、事件後、マフィアとの間で「暗殺の報酬額」によるトラブルが起きたことから。
暗殺を実行をした犯人らは暗殺の報酬としてパトリツィアから6億リラの報酬金を受け取ることで合意していました。(日本円にして約3,900万円相当)
ところが実際にはパトリツィアが支払ったのは5億リラ(日本円にして約3,300万円)だったことから揉めていることが捜査官が仕掛けた「カルロス作戦」で判明します。
「カルロス作戦」ではコロンビアの犯罪者のふりをした刑事が、グッチ・マウリツィオ暗殺事件のリーダー(指示役)を務めたイヴァーノ・サヴィオーニに接触。
「殺人を依頼した人を恐喝して報酬金を釣り上げよう」という計画を持ちかけ、リーダーのサヴィオーニが黒幕と連絡を取らせるように仕組みます。
サヴィオーニがヒットマンのニンニを伴ってパトリツィアの家に向かい、密会している現場に捜査員が踏み込んで緊急逮捕。
サヴィオーニとパトリツィアの間でどのようなやり取りがあったのかは警察はすべて把握していて、後は現場を抑えるのみとなっていました。
パトリツィアはマウリツィオ・グッチを殺害した殺人の依頼の主犯として殺人容疑で1997年1月30日に逮捕されます。
逮捕当初は、100%無実を主張したものの、懲役29年の有罪判決が下り、刑務所へ収監されました。
パトリツィア以外の実行犯並びに指示役それぞれの判決は次のとおりです。
○ベネデット・セラウロ共同正犯執行者:懲役28年11カ月の求刑、現在は出獄して自由。
○イヴァーノ・サヴィオーニ殺人計画教唆共犯:懲役20年の求刑、彼も現在は出獄。
○オラツィオ・チカーラ殺人幇助:懲役26年の求刑、服役中に刑務所で亡くなった。
○ジュゼッピーナ・アウリエンマ殺人計画教唆共犯:懲役19年6カ月の求刑、13年服役し、2010年7月にサンヴィットーレ刑務所を出獄。現在は出所。
パトリツィアはその後、服役開始から18年後となる2016年に釈放されています。
映画「ハウス・オブ・グッチ」は「グッチ」を創業したグッチ一族の騒動を映画化した作品ですが、パトリツィアは映画の内容については難色を示しているとか。
リドリー・スコット監督、レディー・ガガ出演を務め2021年に全米で公開予定となっています。