ガルーダ・インドネシア航空421便不時着事故とは2002年に発生した航空事故。
インドネシアのセラパラン空港を離陸したガルーダ・インドネシア航空421便(Garuda Indonesia Flight 421)がアジスチプト国際空港に向かう途中、激しい雨、ひょうに見舞われ両エンジンが停止し、インドネシア中部ジャワ州ソロ川に不時着水しました。
ガルーダ・インドネシア航空421便不時着事故の経緯
2002年1月、ガルーダ・インドネシア航空421便(Garuda Indonesia Flight 421)はロザック機長とハリー副操縦士が操縦していた。
機体はボーイング737-3Q8で、登録はPK-GWA。ガルーダ・インドネシア航空が最初に所有していた機体で、同航空にとって最初の737型機でした。事件当時、同機は13年目の機体だった。
機長は14,000時間以上の勤務経験があり、そのうち5,000時間以上は航空機に搭乗していました。一等航海士のハリー・グナワンは7,000時間以上の経験を持っていました。
ガルーダ・インドネシア航空421便には政府の高官で重要な会議に参加する予定だったスチさんを乗せ、インドネシア・ロンボク島のマタラム・セラパラン空港を離陸するとジャワ島のジョグジャカルタ・アディスジプト空港に向かっていた。
最初の降下中、乗務員は予定していたルートに沿って雷雨が発生したため、機体は安全な雨雲が薄いエリアに突入したが、天候は急変した。
レーダーを見るとなぜか激しい乱気流と非常に激しい降水量と雹を伴う雷雨のエリア危険なエリアに入り、エンジンが止まって停電。
機長達は一旦、燃料供給を切っていたが機体は落ちていく一方。その間、機長たちはエンジンの再始動を二度試みるが失敗し、APU非常発電装置を起動したもののすでにバッテリーが上がってしまい電力をすべて喪失。
交信も不能のまま事態は好転しなかったが、積乱雲を通過することができた。機長達は地図と地形を照らし合わせたが、目の前にはぬかるんでいるために着陸不可能な田んぼが広がっていた。
あと数分で大地に激突する中、ロザク機長は進行方向にあった空港への緊急着陸を試みるが既に空港を通過してたためソロ川へ不時着を決意。
川の反対側に向かい、橋が無い所に機体を急旋回させると高度を下げながら1つ目の橋をこえ、次の橋の間の川の直線部分、橋の間に飛行機は着陸することができた。
スチさんは血だと思っていたが、床には水が広がっていた。乗客は1名を除いて助かったが、世界中に6千機ある機体を調査しなければならなかった。
ガルーダ・インドネシア航空の乗組員が、フラップも動力もない状態で、長年の経験と感覚を頼りにボーイング737を浅い川に着陸させることができたのは、驚くべきことでした。
ガルーダ・インドネシア航空421便不時着事故の原因は?
全ての電力を喪失したガルーダ・インドネシア航空421便はレコーダー類も停止してしまい、不時着水するまでのパイロットたちの行動を記録した完全なデータは残りませんでした。
ボイスレコーダーも嵐に突入した辺りから、機体に打ち付けた激しい雨風や雹による酷い雑音のため、パイロットたちの会話はほぼ聞き取り不能でした。
推定される原因としてNTSC(国家運輸安全委員会)は、
1)天候回避中に激しい雹と雨に見舞われ、両エンジンが炎上したこと
2)エンジンの性能を超えた降雨の中にいたため、エンジン再点火を2回試みたが失敗したこと
3)2回目の再点火の際、機体の電力が切れたこと
の3点を挙げています。
パイロットがレーダーの使い方について正式なトレーニングを受けていなかったことが指摘され、誤解を招くような測定値にならないようにしなければならない。
2つのセルの間にあると思っていた部分が、実はセルの中で最も強い部分だった。
その後の調査でエンジン停止の原因は雹だと判明した。
航空機はレーダーシャドウで巨大な積乱雲を認識できなかったため嵐に突入していた。
ガルーダ・インドネシア航空421便は乱気流に乗って激しく揺さぶられ強い雨風と硬い雹が打ち付けられました。
この際に雲海の中には巨大な雹の塊があったと思われ、高度18,000フィート (5,500 m)を飛行中にもかかわらず対地接近警報装置が誤作動していた。
機長らは気象レーダーで確認したところ、2つの強い気象セルが見えました。彼らはその間が「安全なルート」として飛ぶことにしたものの、実は1つの大きなセルが目の前にあったのだ。
雨雲によってレーダー波の届かない影の部分であり、実際には嵐がかなり激しい場所でした。
機体は嵐の真っ只中に突入し、エンジンは設計の想定を超える降水量と、硬い雹を吸い込んだためにオーバーヒートした
また、事故機に搭載されていたバッテリーの端子の一つに異常があり、このために、本来ならば電圧が24V以上なければならないところ、再始動時に機長が確認した時は22V以下しかなく、エンジンは再起動に必要な電力を確保できなかった
やがて操縦困難に陥り、両エンジンの燃焼が停止した。
過去の事故を調べてみると、1988年のタカ航空110便でも同型機が事故を起こしていた。
事故後、エンジンは改良されていたが原因はコックピットボイスレコーダーに隠されていた。
レコーダーでは地上接近警報の音が鳴っていたが、旅客機のコンピューターは機体の下に地面のようなに硬いものを検出していた。
それは地面と認識してしまうほどの大量の雹だった。実験の結果、想定を遥かに超える量の氷と水がエンジンの中に入ってエンジンが停止していた。
さらにレーダーが本来、赤であるのを緑に表示したのは大量の雨が電波を妨げるレーダーシャドーが起きていた。そして不時着の前からエンジンも故障していたので、事故が起きたという。
ガルーダ・インドネシア航空421便不時着事故のその後
ガルーダ・インドネシア航空421便は機体後部から着水したため、損傷の激しい箇所にいた客室乗務員一人が命を落としたものの、着水した場所は水深が水深1メートルと浅かったため、乗員乗客は近くの桟橋まで泳ぐことができました。
また、機体も完全には水没せず、物的証拠の確保も難しくはなかったことが、その後の事故調査には追い風となりました。
ロザク機長は当時を振り返りこのような絶望的な状況下でも決して諦めない気持ちだったと語り、結果的に一名が命を落としたものの、機長は後に副操縦士と共にインドネシア政府から表彰されている。
ガルーダ・インドネシア航空は421便の事故が発生するまでの過去10年間のも事故が多発していたことから、2007年にはEU圏内に乗り入れが禁止となってしまっていました。
以降、ガルーダ・インドネシア航空は安全管理や危機管理を抜本的に見直し、徐々に評判も開腹。
2年後の2009年、EU圏内への乗り入れ禁止は解除され、2010年には、スカイトラックス社によるワールド・エアライン・アワードで「世界で最も改善された航空会社(World’s Most Improved Airline)」に選ばれています。
■ガルーダ・インドネシア航空421便の事故概要
日付 2002年1月16日
概要 激しい雨、ひょうによる両エンジンのフレームアウト
現場 インドネシア 中部ジャワ州ソロ川
乗客数 54
乗員数 6
負傷者数 13
死者数 1 (客室乗務員)
生存者数 59
機種 ボーイング737-3Q8
運用者 ガルーダ・インドネシア航空
機体記号 PK-GWA
出発地 セラパラン空港(インドネシア)
目的地 アジスチプト国際空港(インドネシア)