ジャン=クロード・ロマンはジュネーブの世界保健機関(WHO)に勤務している医師。
プライベートでは大学時代から交際していた女性と結婚し、2人の子供にも恵まれ周囲からは非の打ち所がない家庭を築いているように見えました。
が、実はジャン=クロード・ロマンの経歴は嘘まみれだったことがばれたことから、最悪の結末を迎えることになります。
ジャン=クロード・ロマンはWHO医師?
ジャン=クロード・ロマン(jean claude romand)はジュラ県ロン=ル=ソーニエの裕福な家庭に生まれ、教育熱心な両親の影響もありリヨン大学医学部に進学。
大学在学中には後に結婚することになる同じ医学部のフロランスという女性と交際していました。
そして卒業を控えたある日、就職先を友人に尋ねられたロマンは、医学会最高峰の『WHO (世界保険機関) 』に決まった話し、大学卒業後はめでたく恋人のフロランスと結婚
その後、夫婦には長女キャロリーヌと長男アントワーヌという2人の子供も生まれ、絵にかいたように順調な人生を歩んでいました。
ジャン=クロード・ロマンはフランスのアン県プレヴザンにある自宅から、毎日『WHO』の本部があるスイス・ジュネーブに通い、週末には友人を呼んでホームパーティを開く毎日。
オフィスの一階には銀行、旅行代理店、そして図書館がある。
ジャン=クロード・ロマンは勤勉でまじめな男で、暇さえあれば、この図書館に通い、時間の許す限り、医学の知識の宝庫で医学の勉強に没頭していました。
そんな彼の姿を数多くの人が見かけ、家庭では家族をとても大切にする優しいパパでもありました。
そしてスイス銀行には高金利の『WHO』職員専用の口座が存在していることから、両親や親戚、友人には「自分の『WHO』の口座で運用すれば金利が18%もある。そこに預けて運用してみてはどうだ?」と話を持ち掛けて、資産運用の代行のようなこともしていました。
そんな生活を18年続けてきたジャン=クロード・ロマンでしたが、ある女性が隣に引っ越しをしてきたことで、幸せな毎日に終わりの時がやって来ます。
アンナという女性は、夫がジャン=クロード・ロマンと同じく『WHO』に務める夫がいました。
そして、ロマンの妻・フロランスがアンナから話しを聞くと、知らない話を聞くようになります。
ただ妻フロランスはロマンからは仕事関係の人間との接触をさせず、医者は、緊急な手術がある、出張が多いなど言って、WHOへ電話をかけることを固く禁じられていました。
自分の知らない話があって当然だと思っていましたが、あまりにも知らない事が沢山あり、ロマンから聞いている話とは食い違っていることも多い…
しかも、この頃、ロマンの給料の入金も滞り始めていて、銀行からその旨を知らせる手紙が家に届いていました。
これらの事で不審に思ったフロランスは、意を決して『WHO』に電話すると、ロマンという人間は現在はおろか過去にさかのぼっても、どこにも所属していない事が発覚します。
この事をフロランスはジャン=クロード・ロマンに問い詰めると、ロマンは適当な事を言ってとりあえずごまかします。
だが、すでに隠せないと悟るや否や、凶行に出るのでした。
ジャン=クロード・ロマンのWHO医師は詐欺だった!
ジャン=クロード・ロマンはWHOに務めてもいなければ医師でもありませんでした。
リヨン大学医学部には在籍していたものの、実は大学の進級試験に失敗し落第したことを引き金に大学は卒業できませんでした。つまり彼の学歴は大学中退で医師免許も当然、持ってはいませんs。
ジャン=クロード・ロマンはフロランスと交際をしていたものの、ある日彼女から別れを告げられてしまい、その時のショックで何も手につかなくなってしまったのでした。
そこで恋人の気持ちを再び自分の方へと手繰り寄せるために、順調に進級しているふりをして挙句の果てには「WHO医師」という肩書を名乗りフロランスとの復縁にこぎつけます。
大学を卒業後、ジャン=クロード・ロマンは表面上『WHO』に働いている振りをしているだけの無職にも関わらず、なぜ家族を養うことができたのか?
まず彼は学生時代に両親に買ってもらったアパートを勝手に売却。30万フランを手に入れ、当面をしのぎます。
次に資金源としたのが自分と妻の両親の資産で、WHO職員専用のスイス銀行の口座で運用するという建前でだまし取っていました。
さらにフロランスの父が亡くなった時は、すぐにその家を売却し、約130万フランものお金を手に入れます。
こうして手に入れた総額360万フラン(当時の日本円にして約8,280万円)を手に入れると、その一部を給料として家族に渡していたのでした。
ジャン=クロード・ロマンは、自分のウソがばれないために細心の注意を払い続けます。
毎日、暇さえあれば家に電話をするほど家族を愛しているとみられていたジャン=クロード・ロマンでしたが、実は自分の嘘がばれていないかを確かめるものでした。
WHOで働いているかのようみせかけるために、必ずWHOのオフィスがある銀行で金を引き出して出入記録を残していました。
図書館に通っていたのも医者を装うための医学知識を身につけることが目的で、帰宅する際には家族にWHOの医師という嘘をつくための小道具として、置かれている無料パンフレットを必ず持参。
フランス人のバカンスは家族そろって過ごすことが多いことから、ジャン=クロード・ロマン家族のバカンスの予約もチケットの手配も必ず、WHOにある代理店で行います。
WHOの医師は国際会議で海外出張も多い仕事ですが、ジャン=クロード・ロマンは飛行機の便名や出発時間を確認すると、出張を偽るために空港近くのビジネスホテルに身を寄せます。
ここに何日も泊まり、決して外出することはせず訪れた国の話を家族にするために、ガイドブックを買って、覚えこんではやはり家族への電話。
ロマンは嘘をつき始めてからずっと、いかなる職にも就いておらず、暇な時間には喫茶店で雑誌や新聞を読んだり、森林を散歩して過ごしていた。
こうして、20年近くも、嘘に嘘を重ね、家族をだまし続けたジャン=クロード・ロマンも、ついに妻フロランスにすべて虚構だったことを悟られます。
精神的にも金銭的にも追い詰められたロマンは、ついに凶行に及びます。
1993年1月9日夜、ロマンはまずフロランスを鈍器で撲殺。
続いて娘キャロリーヌ (7歳) と息子アントワーヌ (5歳) を射殺。
その後、ジャン=クロード・ロマンはその足で80キロメートル離れた両親家に向かい、両親を殺害した。自分が愛したものすべての命を奪った。
自宅へ戻ると、子供たちの遺体を夫婦の寝室に運び家に火を放ちます。
ジャン=クロード・ロマンも用意していた睡眠薬を飲み、自分もろともすべてを焼き尽くし、嘘で塗り固められた人生を消し去ろうとします。
しかし幸か不幸かジャン=クロード・ロマンは近隣住民の通報により駆け付けた消防隊により救い出され一命をとりとめます。
ジャン=クロード・ロマンのその後の経緯
ジャン=クロード・ロマンは警察により尋問を受け、恐ろしい殺害手口と重ね続けた嘘の数々を自供します。
ロマンは家族5人殺害で逮捕された。
裁判に臨んだときのジャン=クロード・ロマンには、WHOの医師として証していた時の自信にあふれた表情のかけらもなかった。
彼は、法廷で失望される恐怖に襲われたと供述した。家族の命を奪った後、ジャン・クロードはメモを残していた。そこには「ごめんなさい。ごめんなさい。小さな不公平が狂気を招く」と書かれていた。
また、その間に騙し取った金額の合計は約400万フラン (約4億円) という途方もないものになっていた事もわかった。
ロマンは法廷で「僕はモンスターだ。生きているのが辛い」と供述し、反省の意を示した。
ジャン=クロード・ロマンは最低収容期間22年という条件付の、フランスで最も、重い、無期懲役(逮捕された1993年から2015年まで)をいいわたされた。
1996年7月2日、ロマンには最低22年は仮釈放のない (1993年から2015年の22年間) 、フランスで最も重い終身刑が言い渡された。
ジャン=クロード・ロマンの生い立ち
1954年2月11日、ロマンはフランス・ジュラ県ロン=ル=ソーニエで、裕福な家庭に生まれた。
父親は公務員のエメ、母親をアンヌといい、両親は賢く優秀であった。
一人っ子だったロマンは子供の頃から両親から溺愛されながらも、厳しいほどの教育を受けます。
両親は学校のテストでの失敗を許さず、勉強して一流の大学を出て、エリートにならないと人生は終わりだと幼いロマンを躾た。
その為、ロマンは失敗を極度に恐れるようになり、失敗した場合それを隠すような内向的な性格になってしまった。
しかし、ロマンはそんな両親の期待に応え、頭の良い賢い少年へと成長し、周囲から「神童」と呼ばれるまでになった。
やがて、フランスで、パリ大学につぐ名門リヨン大学医学部へ進み、ここまでは誰が見ても彼の人生はすべてが順調でした。
しかし、フロランスに振られてしまったことから、彼の歯車は狂い始めます。
ショックで勉強が身に入らず、とうとう大学の進級試験にも落第。
息子の進級が気になっていた母が試験の結果を聞いてきますが、この時つい「試験にはちゃんと受かった」と嘘をついてしまいます。
しかし、このちょっとした嘘が、後の彼の人生を大きく狂わせていくことになります。