世の中にたえて桜のなかりせば意味は?

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「世の中にたえて桜のなかりせば」は古今和歌集に出てくる在原業平朝臣(在原業平:ありわらのなりひら)の句。

同名の映画タイトルにもなっていますが、「世の中にたえて桜のなかりせば」の意味は?

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世の中にたえて桜のなかりせば意味は?

<世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし>

この世の中に全く桜というものが無かったならば、春を迎える人の心は、おだやかでいられるだろうに。(なまじ美しい桜の花があるせいで、いつ散ってしまうだろう、どうか散らないでほしい、とハラハラして過ごすことになる)

在原業平は平城天皇の孫(平城天皇の皇子阿保親王の五男)であり、母は桓武天皇の皇女伊登内親王。六歌仙に名を連ねる凄腕の歌人。

在原業平はもちろん、本気で「桜なんか無かったらいいのに」と思っているわけではありません。

「美しい桜の花よ、どうか散らずに、このままずっと咲いていておくれ」という、はかない花の命を惜しむ思いを、裏返しの形で表現した歌です。

この歌は、「伊勢物語」の第八十二段にも出てきます。(古今和歌集と伊勢物語とどちらが先かは、はっきりしません。)

「伊勢物語」では、まず主人公(在原業平がモデル)が上記の歌を詠みます。それを受けて別の人(誰なのか不明)が、次の歌を詠みます。

<散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき>
※散ってゆくからこそ、いっそう桜は素晴らしいのです。そもそも、この辛い世の中に、永遠に変わらないものなど何があるでしょうか(何もありません)。

こちらは「花の命は短いからこそ値打ちがあるのだよ」という、ツッコミの歌です。現代人の感覚には、こちらのほうがフィットするかもしれません。しかし少し理屈っぽいような気もします。在原業平の歌のほうが、気持ちを強く訴えかけてくるようです。

たぶん在原業平も、そんなことは分かっているのです。でも彼は、こういう風に(理知的というよりは直情的に)表現してしまう人なのだと思います。

「古今和歌集」の編者の一人、紀貫之(きのつらゆき)が、序文(仮名序)の中で歌人たちを論評しているのですが、在原業平については、こう評しています。

<在原業平は、その心余りて、言葉足らず。>

在原業平は希代のプレイボーイとされ、その歌に込めようとする心情が有り余っていて、表現する言葉がついていかない、うまく言えていない感がある、というのです。でもそこが在原業平の個性なのかもしれません。

平安初期に朝廷が作った歴史書に『日本三代実録』があり、これでの業平は、「体貌閑麗、放縦にして拘わらず、略才学無し、善く倭歌を作る」と書かれています。これを現代風に言いなおすと、「見た目はイケメンでスタイルも良いけれど、行動は自由奔放で好き勝手に生きている。頭はあまり良くないけど、良い歌は多く作っている」となるようです。

https://rekijin.com/?p=27002

ちなみに、在原業平は数々の和歌を残していますが、特に有名なのは『小倉百人一首』に選ばれている次の一句ではないでしょうか。

「ちはやふる 神代(かみよ)もきかず竜田川(たつたがわ) から紅(くれない)に水くくるとは」

まとめ:世の中に絶えて桜のなかりせば意味は?

在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」を現代語にすると、

「世の中に全く桜というものがなかったとしたら、春を過ごす心はのどかなものだろうに」となるでしょう。

桜の花を楽しむ喜びというか高揚感を背景にして

「まったくのところ、桜の美しさには心を奪われてしまって、落ち着かないよ」
「桜が咲くと思うとドキドキしてしまうし、散ると思うとハラハラしてしまう、そんな風に心が乱されるほど、桜って魅力的だ」
「いっそ桜がない方が、心が落ち着いていられるよ」

と桜をほめる歌になります。

この歌は伊勢物語に出てきます。惟喬の親王という人が水無瀬というところに行ったときに、たいそう美しい桜があり、
それを見た馬の頭(在原業平)が詠んだものです。

桜の花は雨が降ったり風が吹いたりしたら散ってしまいますね。春になると人はいつ風雨がおこって桜が散るかを気にして
しまって、かえって心がやすまらない。そこで、桜がなかったらもっとのどかなのにと歌いました。

①〈絶えて〉は、もと〈ヤ行下二段「絶ゆ」連用形+接続助詞「て」〉ですが、この用例は、下の、(「あり」に対する否定的な意味の形容詞の)「なかり(なし)」と呼応して、〈まったく…がない〉と、否定的な表現を強める副詞です。

②〈桜の〉は、okですね。名詞「桜」+格助詞「の」(主格)。

③〈なかり〉は、ク活用形容詞「なし」の連用形。okですね?

④〈せば〉は、歌の表現は、上の句の「世の中に絶えて桜のなかりせば」と、下の句の「春の心はのどけからまし」とで、事実に反する仮定のもとに、ある結果を想像する、いわゆる《反実仮想》ですが、この〈せ〉は、a=回想(過去)の助動詞「き」の未然形とする説と、b=サ変動詞「す」の未然形とする説とがあって、ヤッカイ。校内試験に出たら、授業で聞いた解答を! 下接「ば」は、活用語の未然形に接続して、順接仮定条件を表す接続助詞です。

この話には続きがあり、この歌をきいたそばにいた人がこんな歌を読み返します。

散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久かるべき
(散るからこそ桜はめでたいのだ。辛いこの世に何が永遠に残るだろうか。いや、何も永遠に残らない。)

という歌を読み返しています。

参考:「世の中に絶えて桜のなかりせば」の在原業平とは?

在原業平は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人で、平城天皇の孫である阿保親王の五男です。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将で、六歌仙・三十六歌仙の一人です。在原業平は和歌の天才児として、政治方面ではなく歌人として名を馳せた人物でした。

在原業平は、伊勢物語の主人公といわれている人物でもあります。2 また、百人一首にも選ばれた歌人の一人です。

在原業平について評価している人物は多く、その中でも、平安時代の歌人・小野小町は、在原業平の和歌を「天才的」と評価しています。

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