映画「崖の上のポニョ」で、どうして宗介は親を名前で呼び捨てにしているんでしょうか?
宗介はどうしてお父さんのことを『耕一』、お母さんのことを『リサ』と呼ぶのでしょうか?
崖の上のポニョで宗介なぜ両親を呼び捨て?リサ・耕一
ジブリの鈴木敏夫プロデューサー「は宗助がリサを呼び捨てにさせるのは、家族間であっても、一個人として自立すべきだということの象徴なのだと思います」と解説しています。
相手を「お父さん」「お母さん」と、個人名ではなく属性で呼ぶのは裏を返せば個人・個性の否定となることともいえるわけです。
極めて現代的な考え方と思いますが、苦情を言う人々もいると思います。いわゆる昭和的な価値観に囚われてる人々はそうなる傾向が強いでしょう。子は親に一定の敬意を払って接すべきで、呼び捨て等けしからん、という価値観ですね。
監督の宮崎さんの経験として、たまたま最近の子供が親を名前で呼んでいるのを見て、なにか違和感というか発見があったのかもしれません。作品に持ち込むアイデアとしてもともとあった可能性も考えられます。
映画「崖の上のポニョ」のストーリーから推測するならば、、リサと耕一は夫婦というよりまだ恋人の関係、それぞれに仕事はちゃんとしているが、過去の宮崎作品に出てきたような典型的な母親・父親像とは違って、未熟さが目立つ。
リサは感情を優先してブチ切れするし、耕一なんてただ大声を上げるだけで何にもしていませんからね。
そして宗助は5歳にしてはありえないほどかなり自立している存在です。
そんな宗助がそんな親を普通に「お母さん」「お父さん」と呼ぶのは違和感がある、と宮崎さんは考えたのではないでしょうか。
宗助が親を名前で呼ぶことによって、リサ・耕一の未熟さと宗助の自立を表しているのだと思います。