2022年4月に杉浦貴選手との対戦で手足が動かない重傷を負うことになった大谷晋二郎の気になるプロフィールをまとめています。
大谷晋二郎(レスラー)の現在|怪我は?
救急搬送の大谷晋二郎選手、所属団体が現在の容態を発表…「現在、意識はあり、医者の問いかけに応じられている状況」
プロレス団体の「ZERO1」は11日、公式ホームページとツイッターを更新し10日の両国国技館大会で試合中の事故で救急搬送されたエースの大谷晋二郎選手(49)の容態について報告した。
【大谷晋二郎選手の負傷について】と題した発表では「本日の両国大会、試合後、緊急搬送となりました、大谷晋二郎選手の負傷状況ですが、現在、意識はあり、医者の問いかけに応じられている状況です」と報告した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a082d50d12f45d4cb55a0f24e1c4e805ff9bba9
大谷晋二郎さんはZERO1の20周年&21周年記念大会『押忍PREMIUM~ZERO1・20周年&21周年記念大会』に出場。
左腕の骨折から7カ月ぶりに復帰して2戦目にして世界ヘビー級王者の杉浦貴との一戦。
ジャーマンスープレックスでコーナーへ投げつけられると大の字になった大谷は意識はあり会話もできるが体が動かない様子となり救急搬送されることになりました。
大谷晋二郎(レスラー)wikiプロフィール
名前:大谷晋二郎(レスラー)
生年月日:1972年7月21日
年齢:49歳
身長:181cm
体重:97kg
出身地:山口県山口市出身
出身高校:山口県鴻城高等学校
プロレスに対して非常に熱い思いと強い誇りを持っており、プロレスを馬鹿にする・否定する人間を徹底的に嫌う
また「熱さ」を前面に出す反面、大谷が教育係を務めた真壁刀義によると、後輩に対して「無理を言わない。」「理に適ったことを言う。」といった理知的な一面を併せ持つ。そんな大谷を真壁は尊敬してやまないという。
コーナーに座り込んだ相手の顔面を靴底で何度もこすり上げる。ダメージそのものより相手に屈辱感を与えるのが目的の技「顔面ウォッシュ」を開発したのが大谷晋二郎さんとされています。
大谷晋二郎(レスラー)の若い頃の髪・経歴は?
大谷晋二郎さんは若い頃、今では信じられませんが金髪のプロレスラーでした。
それが近年頭髪の後退が進んでおり、負担を和らげるためか、染めていた髪を黒に戻している。
ちなみに、風呂上りには娘さんが寂しくなった髪を健気に櫛でとかしてくれるそうです。
大谷晋二郎(レスラー)の経歴は?
1992年2月に新日本プロレスに入門。同年6月25日の福島市体育館の山本広吉(現・天山広吉)戦でデビュー。
ただ若い頃は巡業に行ったらコインランドリーを探し回ったり、時には夜中に民家に行って洗濯機を貸してもらうなど雑用に追い回される日々。
橋本真也の付き人を2年間務め、その間、アニマル浜口からは「どんなに疲れていても毎日一言で良いので記入するように」と渡された日記帳には「殆ど先輩の悪口ばっかり」と後に本人が2019年のインタビューで語っています。
デビュー間もない頃から伸びのあるドロップキックとキレのあるジャーマン・スープレックスと十八番である顔面ウォッシュ、そして何よりも先輩レスラーに臆することなく向かっていくことから、いつしか「炎の戦士」の異名を持つように。
1997年には第5代のジュニア7冠、IWGPジュニア王座を奪取するなど新日本のスター選手の仲間入り
2000年に海外遠征をし、カナダ・カルガリーで肉体改造後、オールスタープロ認定インターコンチネンタル王座を獲得し、ヘビー級タイトル初戴冠を果たした。
2001年に新日本を離脱し、同年すぐに新日本を離脱し、橋本真也、高岩竜一と共にZERO-ONEを旗揚げ(旗揚げ戦は村上一成に敗北)
以後、同団体の看板選手として団体だけでなく様々な団体に参戦し活躍している。
ZERO-ONEでは元FMWの田中将斗と共に「炎武連夢(エンブレム)」を結成し、2002年にはプロレス大賞の最優秀タッグ賞を受賞した。
2005年にはZERO1-MAXを発足、代表となり、「一所懸命」(「一生懸命」とは異なる)を社是として掲げる。
大谷晋二郎(レスラー)のツイッターやインスタグラム
大谷晋二郎(レスラー)のツイッター
大谷晋二郎(レスラー)のインスタグラム
大谷晋二郎(レスラー)のフェイスブック
大谷晋二郎(レスラー)の高校や中学は?
大谷晋二郎選手の通っていた中学については学校名は明らかになっていないものの、山口県鴻城高等学校時代にレスリングで国体・インターハイともにベスト16の実績を残した。
卒業後に上京しアニマル浜口ジムに入門した際、両親に猛反対されたため、貯金したお年玉5、6万円を持って家出同然だったそうです。
大谷晋二郎(レスラー)の結婚した嫁や子供は?
大谷晋二郎さんは2013年に百貨店勤務の一般女性(当時34歳)と結婚することを発表しています。
新橋の行きつけの串焼き屋で大谷晋二郎さんのファンだった嫁の方から声をかけられたのが交際を始める馴れ初めとなったそうです。
披露宴には約400人もの大人数が出席。新日本プロレス入門前の師匠・アニマル浜口氏をはじめ、若手時代に付け人を務めた佐々木健介&北斗晶夫妻、天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学ら新日本プロレス勢、ノア勢、女子も含めた各団体の選手が祝福に駆けつけた。
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/235748/
ちなみに、子供は少なくとも娘が1人いるようで、2021年ころのインタビューで「保育園年長になった娘とまだ一緒に風呂に入っている」と話しています。