国語の教科書「少年の日の思い出(ヘルマン・ヘッセ作)」で僕とエーミールのどっちが悪い?
エーミールが悪い理由は?またエーミールはなぜ怒らなかったのでしょうか?
少年の日の思い出でエーミールなぜ怒らなかったのか?
国語の教科書「少年の日の思い出」では、いくら冷たい対応でもエーミールはさなぎから返した大切なチョウをぐちゃぐちゃにされた被害者です。
主人公の少年がしたことは、刑法でいえば住居への不法侵入、窃盗、器物損壊です。
僕とエーミールの性格が対比するように描かれていて、例えば美しいもの(ちょう)に対しての欲望の在り方が対比しています。
僕は、ちょうをたくさん欲しがり、荒い扱いをします。それに対して、エーミールは、小さく貧弱な収集で、とても大切にしています。それが行動や性格に表れていると思います。
この主人公は当時蝶の模型を集めていましたが、ある日友達のエーミールがかなり希少な蝶を捕まえてしまい、それに嫉妬してしまいます。
そして、その蝶を自分のポケットに入れて、ぐちゃぐちゃにしてしまいます。
それを主人公を隠そうとしました。
結果そのことが親にばれてしまい、最終的には謝りにいきますが、エーミールは激怒せず軽蔑な目つきで最後は主人公を完全に見放します。
このエーミールという少年は文中には狡賢い子として登場していますね。
というより頭のきれがよく器用というか・・・
つまりこの子は激怒するほどの事柄でも冷静に冷淡に怒るというかきれますね。
ですから本人つまりエーミールの性格上そういうエーミールなりの激怒だったんではないでしょうか?
普通な子では激怒するところはエーミールは軽蔑するようになるということでしょう。
少年の日の思い出でエーミールが悪い?
国語の教科書「少年の日の思い出」で僕とエーミールのどっちが悪いのかというと、ポイントは、エーミールの
「けっこうだよ。僕は君の集めたやつはもう知っている。そのうえ、今日また、君が蝶をどんなに取り扱っているかということを見ることができたさ。」
というセリフです。
主人公は蝶の標本を妹にしか見せていません。ではなぜエーミールは主人公の集めたやつを知っているのでしょう?主人公がエーミールの部屋にこっそり入ったのと同じように、エーミールもまた主人公の部屋にこっそりはいって標本を見ていたとしか思えません。しかし、それならなぜエーミールは「僕は君の集めたやつはもう知っている。」なんてことを言ってしまったのでしょう?
頭のいいエーミールです。普通ならこんな犯行の自供のようなことは言わないでしょう。
おそらく、エーミールが本当に隠したいのは、主人公の部屋にこっそりはいって標本を見たということではないのでしょう。エーミールはもっと絶対に隠し通さなければいけない悪事を働いている可能性があります。
“絶対に隠し通さなければいけない悪事”
そのことで頭がいっぱいだったから、頭のいいエーミールでも、うっかり、小さい悪事の自供のようなことを言ってしまったのではないかと思います。
問題は当事者の一方的な証言のみでどっちが正しいかを判断することが、正しくないということ。
それでは、エーミールの行った、絶対に隠し通さなければいけない悪事とは何か?
残念ながら、これは小説からは読み取れません。
でも、
「けっこうだよ。僕は君の集めたやつはもう知っている。そのうえ、今日また、君が蝶をどんなに取り扱っているかということを見ることができたさ。」
というセリフは絶対に怪しいです。
エーミールは親達から見ると「非の打ち所のない優等生」だが子供達から見ると「鼻持ちならない奴」というような記述があったと思うし「そうか君はそんな奴だったんだな」というセリフからも金持ちで賢いが、冷徹で皮肉屋な少年という印象を持たせるような作者の意図が垣間見られます。
けれど、潰されたクジャクヤママユを一生懸命直そうとしているところからきっとチョウに対しては情熱を抱いていたのかもしれません。