牧野富太郎さんは小学2年生で中退し65歳で理学博士になったという高知が生んだ「日本の植物分類学の父」
NHK朝ドラ「らんまん」の主人公・槙野万太郎のモデルとなりましたが、牧野富太郎の子供・子孫の現在は?
牧野富太郎の子供の現在は?
牧野富太郎さんは日本中を駆け巡り膨大な数の植物を採集し『牧野日本植物図鑑』に代表される多くの書物を著した植物学者。
幼い頃に両親を亡くすと造り酒屋かつ村一番の商家を営む祖父に引き取られ後妻である祖母に育てられています。
19歳で奉公人2名を伴って上京しスエ(すゑ、寿衛)と結婚していますが、高知には本妻がいたようです。
スエとの間には13人の子供をもうけるも6人を失い、さらに研究のためには私財を使い果たし、実家を破産させたあげく、多額の借金を抱えた壮絶な貧乏暮らしをすることになります。
すゑの出自は、安政の大獄で果てることになった井伊直弼の系譜を引く武家だったようで、父(小沢一政)が突如失脚したため、すゑは京都花柳界で育てられたようです
1928年、スエが54歳で死去した際、牧野富太郎は新種のササに「スエコザサ」と命名した。
牧野富太郎の子孫の現在は?
牧野富太郎は13人の子供をを授かり、そのうち6人が早逝しているようです。
長女・香代
次女・鶴代
長男・春世
次男・百世
三男・勝世
三女・己代子
四女・玉代子
このうち長女の香代は石川県出身の実業家・細川正也と結婚。
次女・鶴代(1898年5月12日 – 1970年5月12日)は後に弁護士となります。
19歳の時に額賀二郎と結婚するも離婚し実家に戻ると、母・寿衛子の没後は父の研究と生活をささえています。
牧野富太郎が昭和32年1月18日に逝去すると、東京都は住居跡をすぐに「牧野記念庭園」として保存することを表明していますが、これは当時遺族代表だった次女・牧野鶴代さんから、東京都知事宛に植物標本と樹木の寄付申し込みがあったからのようです。
鶴代の子供・牧野富太郎の孫は牧野記念庭園記念館の学芸員・牧野一
四女・玉代(1910年9月10日 – 没年不明)は川村女学院卒。五交商事、日本造型各元会長・岩佐喜七の妻となります。
玉代からは外孫・岩佐まゆみ(1936年6月9日 – 成蹊学園卒)が誕生。