国語の現代文で芥川龍之介の「羅生門」を習うと、下人のその後の行方についてレポートや感想を提出する課題・宿題が出さることがあります。
羅生門の物語が終わり、その後の下人はどんな人生を送ったのでしょうか?
羅生門で下人はその後の感想・作文は?
芥川龍之介の羅生門に出てくる、下人のその後・結果を読者に委ねているのがこの小説の核心です。
弱肉強食の世の中で、自分のことしか考えない人間の姿や、そうしなければ生きていけない世の中の理不尽さを描き出した作品です。
おそらく下人は強盗または窃盗を繰り返していると思います。
下人は髪の毛を抜いている老婆を見て、こんな奴のいるなら俺もずるく生きよう、いや、あんな見苦しい人間にはなりたくない、というような2つの葛藤に苛まれたと思います。
自分としてはずるい人間になりたくないと思う気持ちが強く、下人にも盗みなどの犯罪に手を染めてほしくないと思いましたが、やはり人間は弱いものです。
いざその状況となれば生きることに必死になり、良心を狂わせてしまうと思います。
国語で羅生門の下人のその後のストーリーを想像して作文を書けといった課題が出た場合、まず「老婆のへりくつ」について賛成か反対かを考えましょう。
「老婆のへりくつ」に賛成なら、衣服を奪って逃げた下人の態度にも賛成で、その行き着く先は、大悪人になるか、それとも、のしあがって成金になるか、いずれにしても「弱肉強食」「自分勝手」のかたまりのような人物になるでしょう。しかしそれは、人情や義理や優しさといったものを、どこかに置き忘れている人物かもしれません。
「老婆のへりくつ」にあなたが納得できないなら、下人が衣服を奪って逃げたことを「気の迷い」だったってことにしてあげて、あとで反省して、衣服を返そうを羅生門に戻ってくる、なんてお話にできます。でも、衣服をとられた老婆はすでに死んでいた、とかにすると悲劇。衣服を返してもらった老婆が姿を仏かなにかに変えて、下人を救ってやると、日本昔話的な、あるいは宗教話的なハッピーエンドにできます。
そのうえで、下記のような例文も考えられそうです。
■
その後、下人は盗賊として名を馳せるようになった。
悪事の限りを尽くしたのち、彼は死に、地獄へ落ちた。
釈迦はある時、極楽の蓮池を通してはるか下の地獄を覗き見た。幾多の罪人どもが苦しみもがいていたが、その中に下人の姿を見つけた。下人は生前に様々な悪事を働いた泥棒であったが、一度だけ善行を成したことがあった。小さな蜘蛛を踏み殺そうとしたが思いとどまり、命を助けてやったのだ。それを思い出した釈迦は、地獄の底の下人を極楽へ導こうと、一本の蜘蛛の糸を下人めがけて下ろした。極楽から下がる蜘蛛の糸を見た下人は「この糸をつたって登れば、地獄から脱出できるだろう。あわよくば極楽に行けるかもしれない」と考える。そこで蜘蛛の糸につかまって、地獄から何万里も離れた極楽目指して上へ上へと昇り始めた。ところが糸をつたって昇る途中、ふと下を見下ろすと、数限りない地獄の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは糸は重さに耐え切れず、切れてしまうだろう。それを恐れた下人は「この蜘蛛の糸は俺のものだ。お前達は一体誰に聞いて上ってきた。下りろ、下りろ」と喚いた。すると次の瞬間、蜘蛛の糸が下人のぶら下がっている所から切れ、下人は再び地獄に堕ちてしまった。
その一部始終を見ていた釈迦は、下人の自分だけ地獄から抜け出そうとする無慈悲な心と、相応の罰として地獄に逆落としになってしまった姿が浅ましく思われたのか、悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。
まとめ:羅生門で下人はその後の感想・作文は?
芥川龍之介の「羅生門」の下人のその後の行方は、明確には書かれていません。しかし、小説の終わりで、下人は雨の中を強盗を働きに行く姿が描かれています。このことから、下人はおそらく、自分の利益のために悪事を働き続けるだろうと推測できます。
下人は、羅生門の下で雨宿りをしているときに、老婆が死体の髪を抜いているのを見ます。下人は、老婆の行為に驚き、不快に思います。しかし、下人はすぐに、老婆と同じように、自分の利益のために悪事を働こうと考えるようになります。
下人は、雨の中を強盗を働きに行くとき、自分は老婆と同じような人間になっていることを自覚しています。しかし、下人は気にしません。下人は、自分が生きていくためには、悪事を働かなければならないことをわかっているからです。
下人のその後の行方は、明確には書かれていません。しかし、下人はおそらく、自分の利益のために悪事を働き続けるだろうと推測できます。下人は、自分にとって都合の良いように真実を曲げることができ、また、他人を傷つけることにもためらわない人間です。このような人間が、社会で生きていくためには、悪事を働かなければならないでしょう。
下人の物語は、人間の利己主義と悪の根深さを描いた物語です。また、真実の意味と、社会で生きていくためには何が必要かを問う物語でもあります。