「やつがれ」とはどんな意味なんでしょうか?
「文豪ストレイドッグス」の登場人物である 芥川龍之介 が
『お初にお目にかかる。僕(やつがれ)の名は 芥川』
「僕(やつがれ)の希望は或る人からの極つまらぬ一言だ…」
と口にしていますが、僕(やつがれ)の意味は?
「それがし」に某。「やつがれ」に僕。の字が当てられますが、それがし、やつがれの元々の意味はなんでしょうか?
やつがれの意味・由来は?芥川龍之介が文スト(文豪ストレイドッグス)で僕
「やつがれ」は、「奴吾(やっこ・われ)」が転じた言葉で古くは「やつかれ」だったそうです。「やっこのような吾」と自分を謙遜した言葉なのでしょう。
元々、「僕」は「やつがれ」と読んでいたのが、時を経て音読みの「ボク」を当てて現在普通に用いられる一人称になったのだそうです。
「やつがれ」は、現実の世界においては基本的に書き言葉であって、話し言葉の中では用いられません。主に平安頃に多用されました。
「某」は、名前がわからない、 または名前を隠して人や物事をさす語ですから「それがし」は「名前もなきに等しい自分」と謙遜しているのでしょう。
ついでですが「某某」は「なにがし・くれがし」と読んで「だれそれ」の意味だそうです。
それがしは「それ」「が」「し」という構成で
「それ」は少し離れた位置、「が」は「の」と同じく所属・所有の助詞、「し」は方向です。
そのまま言えば「そっちの方向」ということになります。
日本語では昔から人を指すのに直接その人の名前や代名詞を使うことを避けて
その人のいる位置を言うことでその人そのものを表わす表現が多いんですね。
この場合も「そっちの方向(にいる人)」=「それがし」です。
「どこだかわからない方向(にいる人)」=「なにがし」です。
「あれがし」「これがし」も、また「かれがし」も同じようにあったと思います。
どれも微妙な位置関係、そしてそこから転じて人間関係を測りつつ使う語ですね
「それがし」には二つの意味があります。
一つは「私」、つまり一人称代名詞です。
もうひとつは、人物を特定しない曖昧とした表現にする時に用いられる「だれそれ」などです。