ムーランルージュ新宿座wiki|ドラマ化で山口正太郎など

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「ムーランルージュ新宿座」で活躍した戦前のアイドルとされる「明日待子」さんのドラマがNHKで放送されました。

山口正太郎なども「ムーランルージュ新宿座」の舞台に立っていました。

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ムーランルージュ新宿座wiki|ドラマ化で山口正太郎など

「ムーランルージュ新宿座」は昭和のレビュー史を語るになくてはならない存在。

昭和初期、テレビもない時代に一斉を風靡したアイドル・明日待子さん13歳でデビューした舞台。

ムーランルージュの青春

「ムーランルージュ新宿座」には駆け出し時代の由利徹、森繁久彌も在籍する中、明日待子さんは看板娘となり一流企業のポスターに次々と抜擢

若い学生のファンが沢山いて彼女目当てに通い詰める。AKB48の原型のような存在、アイドル第1号となっていました。

客席では早稲田と慶應が待子を巡り大喧嘩したこともある

1931年(昭和6年)に浅草・玉木座の支配人だった佐々木千里によって開館しますが1945年の東京大空襲で劇場が火事で焼失したことがきっかけで1951年(昭和26年)5月に閉館

客席数430の小さな劇場でありながら、戦争を挟んだ20年もの間、一貫して質の高いエンターテインメントを提供し続け、多くの俳優、劇作家、歌手を輩出。

歌と踊りとバラエティの文化を築き日本の演劇史に歴史を残した

ムーランルージュ新宿座の山口正太郎は?

ムーランルージュ新宿座の舞台に立っていた一人、山口正太郎はwikiには

「1944年10月頃、レイテ島の戦いにて戦死」

とりますが、最期の地はミンドロ島のようです。

■当時の在籍者
作家
龍胆寺雄 (1931年オープン時、文芸部顧問)
吉行エイスケ (1931年オープン時、文芸部顧問) – 女優・吉行和子の父。
楢崎勤 (1931年オープン時、文芸部顧問)
島村竜三 (1931年オープン時、文芸部長) – 前カジノ・フォーリー文芸部長
伊馬鵜平 (伊馬春部、1932年入団) – 「日本のルネ・クレール」(村山知義評)
小崎政房 (1933年入団) – 京都での俳優時代に有馬是馬と組み、大都映画では「松山宗三郎」名義で俳優、1946年空気座
穂積純太郎
齋藤豊吉
横倉辰次
山田寿夫
細野羚児
小沢不二夫 – 1946年空気座
阿木翁助 – のちに日本テレビ放送網常務取締役

■俳優・歌手
高輪芳子 (1932年10月31日デビュー)- 歌手、同年12月12日に作家の中村進治郎(『新青年』)とガス心中
有馬是馬 (1932年入団)
森野鍛冶哉 (1932年入団)
ムサシノ漸 (宮坂将嘉、1930年代初期入団) – ムーラン解散後は劇団民藝に所属。のちに三崎千恵子と結婚。1997年死去。
山口正太郎 (1930年代初期入団) – 1944年10月頃、レイテ島の戦いにて戦死。
鳥橋弘一 (1930年代初期入団)
轟美津子 (1930年代初期入団)
春日芳子 (1930年代初期入団)
三国周三 (1930年代初期入団)- のちに水町庸子と結婚。
水町庸子 (1933年入団)
望月美恵子 (望月優子、1930年代初期入団)
小柳ナナ子 (1933年入団)- 1920年1月30日生。本名:佐藤サヨ。看板スターの一人。ムーラン解散時まで在籍。2005年6月死去。
明日待子 (1933年入団)- ムーランのアイドル。有馬が発掘し映画にも出演。「身近に会えるアイドル」の嚆矢で、小田急ロマンスカーの元祖である「週末温泉急行」列車の車内放送用レコードを吹き込んだ事でも有名。現在は日本舞踊正派五條流宗家家元の五條珠淑として札幌市中央区在住していたが、2019年7月14日死去。
姫宮接子(1935年入団) – 1920年7月29日生。本名:林縫子。東京府日本橋区(現・東京都中央区)出身。石川県珠洲郡飯田町(現:珠洲市)生まれとも。看板スターの一人。のち東京吉本に移籍し、タップダンサー、のち映画女優としても活躍。1940年に姫美谷接子と改名するが、1946年に復帰後は芸名を元に戻す。
大空千尋
藤尾純 – 東宝系映画の俳優。女優・中原早苗の父。
水島道太郎
武智豊子 – ピエル・ブリヤント出身
左卜全 (1935年入団)
有島一郎(1936年入団) – 1946年空気座、のち三木鶏郎グループ
宮城けんじ – 大都映画出身
由利徹 (戦前入団)
益田喜頓 (戦前入団)
三崎千恵子 – 松竹演芸部歌手出身
竹久千恵子
外崎恵美子
春日八郎
沢村いき雄
市村俊幸
水谷八重子 (初代)
千石規子 – 水谷八重子一座
郷宏之 (青木湯之助)
矢田茂
若水ヤエ子 (1946年入団)
三木のり平
藤原釜足
楠トシエ (1949年入団) – のち三木鶏郎グループ
森繁久彌 (1949年入団)
谷幹一 (1950年研修生入団)
鈴懸ぎん子 (1936年入団) – 俳優高勢実乗の娘。ムーラン在籍時はアイドル路線で「ムーランの名花」と言われ、後の色川武大が大ファンだった。戦後は吉本新喜劇に移籍。高勢ぎん子の芸名で老け役に転じ、長く活躍した。

ムーランルージュ新宿座wiki|場所はどこ?

ムーラン・ルージュ.(Moulin Rouge)

ムーランルージュ新宿座のあった場所は、東京市淀橋区角筈、いまの新宿3丁目「新宿国際会館ビル新宿国際劇場ビル」のあたり。
(旧町名:余談:角筈の町名はいまはありませんが、区の行政区分というか図書館の名前などに残っています)」

現在の住所でいえば東京都新宿区新宿3丁目36-16。

ちなみに、NHK朝ドラ「なつぞら」でもムーランルージュ新宿座をモチーフとした「新宿ムーランルージュ」が出てきます。

『なつぞら』では、上京したなつが、終戦直後より離れ離れになっていた兄・咲太郎(演:岡田将生)と再会を果たす。咲太郎はこれより前、新宿ムーランルージュを復活させるべく奔走するなか、他人にカネをだまし取られ、川村屋の光子に多額の借金をしていた。彼がそんな行動をとったのは、ムーランルージュの元踊り子で、現在は新宿の路地裏でおでん屋を営む岸川亜矢美(演:山口智子)のためだった。亜矢美は、戦争で両親を亡くした咲太郎の母親代わりとなって面倒を見てくれた彼の恩人である。

https://bunshun.jp/articles/-/12199

「ムーラン・ルージュ」とは、本家のフランス・パリのモンマルトルにある「ムーラン・ルージュ」と同様に、フランス語で「赤い風車」という意味

NHK朝ドラ「なつぞら」でも新宿ムーラン・ルージュで活躍した岸川亜矢美(山口智子)が営む小料理屋の名前も「赤い風車」でした。

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