鰐淵晴子さんはバイオリニストとして幼少期から注目されさらに女優としても子役のころから数多くの作品に出演。
2022年9月には「徹子の部屋」に出演し孫2人への愛と亡き両親への感謝を語った鰐淵晴子さんの気になるプロフィールをまとめています。
鰐淵晴子の家族は?父親・母親は?
鰐淵晴子の家族は
元旦那:タッド若松
父:鰐淵賢舟
母:鰐淵ベルタ
子供:鰐淵理沙(娘)
孫:2人
となっています。
父は新潟県長岡市出身のバイオリニスト・鰐淵賢舟
母はハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母・ベルタ
鰐淵賢舟さんは米国、プラハ音楽院などに15年間留学し、1938年プラハ音楽院を卒業。
日本交響楽団にも参加した、バイオリニストです。
母はハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母・ベルタさんでウィーン出身の音楽家・ツィターの名人だったそうです。
ちなみに、鰐淵晴子さんは東京大空襲の約1カ月後に防空壕(ごう)の中でうまれたそうです。
鰐淵晴子の結婚した旦那(夫)や子供は?
鰐淵晴子は結婚歴は2回で離婚歴も2回と現在は独身のようです。
最初の結婚は1968年。
23歳の頃。
最初の夫は服部時計店(現セイコー)の御曹司、服部(?)さん。
離婚は翌年の1969年でした。
結婚して別れて、次の旦那がカメラマンのタッド若松。
鰐淵晴子さんは1968年にアメリカへ渡っており、その時に出会いました。
1972年ににニューヨークで極秘挙式。
27歳の頃でした。
1度目の結婚では子供はいなかったようで、二人目の夫で写真家タッド若松との間に鰐淵理沙をもうけています。
タッド若松は写真家として活躍した人物で、1960年代に渡米して本格的にアメリカの超一流のファッション写真家の下でスキルを磨いた人物です。
離婚したのは1986年のようです。
鰐淵晴子の子供は?
鰐淵晴子さんの子供は娘が1人います。
1973年6月に長女となる理沙さんを出産しています。
娘の鰐淵理沙さんは洗足学園大学声楽科卒業後、ドイツ・ケルン音楽大学で声楽を学び、ドイツ・アーヘン市立歌劇場の歌手として活動。
2000年9月、日仏共同製作されたミュージカル『ダ・ヴィンチ~光の翼』のヒロイン、モナリザ役に抜擢。
鰐淵理沙は現在は2014年に結婚した一般人男性との間に2人の子供を授かっています。
鰐淵晴子は現在、孫がいるおばあちゃん。
「徹子の部屋」では娘夫婦とは隣に住んでいることから孫2人と毎日のように顔を合わせていて、スタジオに遊びに来ていた孫たちを黒柳さんに紹介していました。
鰐淵晴子は女優になってほしいという願いを持っているそうです。
鰐淵晴子の経歴
1952年7月公開の映画『母子鶴』で若尾文子さんの少女時代を演じて、7歳で映画初出演。
1955年、『ノンちゃん雲に乗る』の主演で本格的に女優活動を開始
映画『銀嶺の王者』(松竹、1960年)では、主演を務めたオーストリアのトニー・ザイラー(1956年コルティナダンペッツォオリンピックでアルペン3冠王)に英語・ドイツ語の能力を認められ相手役に抜擢。
1960年代前半の松竹を代表するスターとして活躍し正統派美人として『原節子の再来』と評されました。
1970年に自身初となるヌード写真集「Ipy Girl Ipy / イッピー・ガール・イッピー」を出版
2000年9月、ミレニアムイヤーを記念し、日仏共同製作されたミュージカル「ダ・ヴィンチ~光の翼」のヒロイン、モナリザ役に抜擢されます。
ドイツの大学卒業後、2007-2010年は、ケルン室内オペラでソリストとして、また、2011-2014年は、アーヘン市立歌劇場にてアンサンブルの歌手として活躍していました。
2014年からは日本に活動拠点をうつしてします。
2015年6月にNHK放送 「テレビでドイツ語」、2016年BS 日テレ「イチオシ!2泊3日の旅」にも出演しました。
鰐淵晴子wikiプロフィール
名前:鰐淵晴子
本名:鰐淵晴子
生年月日:1945年4月22日
年齢:77歳(2022年9月現在)
出身地:東京都
身長:165㎝
活動内容:女優、歌手、バイオリニスト
所属グループ:なし
所属事務所:アートプロモーション
家族構成:鰐淵理沙(娘)
出身高校:大西学園高校
出身大学:洗足学園大学声楽科卒業
最終学歴:ケルン音楽大学声楽家(修士)及び音楽教育学科(修士)卒業