「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」意味は?
「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」とヘーゲルが言った原文は?
ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ意味・原文は?
「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」とははヘーゲルの「法の哲学」の序文の末尾にある言葉です。
原文は「The owl of Minerva spreads its wings only with the falling of the dusk.」
主旨は「賢き者はその時を知り、その少し前に行動を始める」という意味でしょう。
「ミネルバの梟」は訳者の説明によればギリシャ神話の女神アテナのことで、知性の擬人化だということです。
梟(ふくろう)は、その女神のシンボルです。
その意味するところはヘーゲルにいわせると以下のとおりです
「哲学はもともと、いつも来方が遅すぎるのである。哲学は…現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げたあとで初めて、哲学は時間のなかに現れる」
「存在するところのものを概念において把握するのが哲学の課題である。…個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」
要するに哲学は時代精神を、人が見ることが出来ないものを、過ぎ去ってから目に見えるように取りまとめたものだといっています。
まとめ:ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ意味・原文は?
フクロウという存在が鳥の中でも稀な夜目が利く特性を持っている事を前提に、それを自ら知る賢いフクロウは、その価値を発揮できない昼間でも、寝静まった真夜中でもなく、夜が始まる少し前の夕闇、黄昏に飛翔し、その時を迎える事を指しているのでしょう。
確定した事実を基に活動を開始する意味や、疾風に勁草を知る的な意味も含んでいると思いますが、それだけでは選択されている語の意味合いが不足し、表現に無駄が多く面白味がありません。
前の時代の終わった原因や、終わることに伴う不幸やそれへの対処を含め、新しい時代を連れてくる開拓者を、ただ自分の時を知り「飛び立っただけのフクロウ」に例えた、或いは当事者にはその程度の事なのかも知れないといった意味を含み、彼らのほとんどが必ず訪れるその時を生きて迎える事のない悲しさまでを比喩しているかもしれません。
ミネルバの梟、つまり哲学は、時代が終わってから夕暮れ時に、つまり黄昏に飛び立つ、つまり哲学として形成します。
哲学者は預言者ではありませんから、未来のことは分かりません。それを論じることも出来ません。
哲学は、今あるか、過ぎ去った時代精神を、後から概念に取りまとめ、それを人に目に見える形で示すことしかできません。
ヘーゲルはそういっているのだと思います。
参考:ミネルバの梟は黄昏に飛び立つwiki
ミネルヴァのフクロウは、ローマ神話の女神ミネルウァ(ミネルヴァ、ミネルバ)が従えているフクロウであり、知恵の象徴とされる
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが『法の哲学』(1821年)の序文で「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」(ドイツ語: die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dammerung ihren Flug)と述べたことはよく知られている