秋山俊子とはドラマ「天皇の料理番」で篤蔵(実名は徳蔵)の嫁。
秋山徳蔵がヨーロッパから帰国した時に下宿していた秋山家の1人娘で、双葉女学校に通うキリシタン(クリスチャン)ということでしたがドラマ「天皇の料理番」で篤蔵と結婚したのも秋山俊子なんでしょうか?
秋山俊子wiki|徳蔵(篤蔵)の嫁で天皇の料理番
「天皇の料理番」で篤蔵(実名は徳蔵)は次男で家を継ぐ必要が無かったため、下宿していた秋山家の1人娘・秋山俊子と大正2年7月に結婚して秋山家の養子に入り、秋山性になっています。
ただドラマでは篤蔵はまだ十代です。
wikipediaなどによると秋山徳蔵は、1888年(明治21年)8月30日に生まれ、16歳で料理修業の為上京し、1909年(明治42年)、21歳になるその年から本格的な西洋料理修行のため私費でフランスに渡航し、修業して帰国後の1914(大正3)年に26歳で結婚となっています。(結婚前の徳蔵さんの苗字は高森。)
ドラマにある様なエピソードは書かれていないのにおかしな点がありますが、ドキュメンタリー番組ではなく、創作を加えたドラマだからでしょう。
ちなみに、秋山徳蔵の子供はどうなったのかというと、男の子2人は兵隊さんになったようですが、終わる直前に2人とも帰ってきたみたいです
堺正章さん版「天皇の料理番」では、二人の間に子は出来ず、関東大震災、それからしばらくして、病を患い、俊子さんが亡くなってしまいます。
足をわるくした新太郎が開いた洋食屋でカツレツを食べ、涙する篤蔵の姿が印象的。小説とは俊子の設定も違います。
吉原の大門、産婆とはいえ、あんな風に一人くぐっていけないはず。門番いない感じだし、出入り自由に出来たはずないと思います。
背中の子は、篤蔵とは無関係。
秋山俊子wiki|徳蔵(篤蔵)の嫁で天皇の料理番にネットの口コミは?
ドラマ「天皇の料理番」で篤蔵(実名は徳蔵)の嫁・俊子さんは江の出身で、料理人を目指す前に結婚したという設定は、ドラマオリジナルです。
原作では、別の人と結婚。敏子(※小説版の名前の表記。)は、事実と同じく、帰国後の下宿先のお嬢さんで、再婚相手です。実際の秋山徳蔵さんは、帰国後の結婚が初婚のはず。
ドラマ制作側が、意図して、原作とドラマオリジナルの設定をして、俊子を創りあげています。