戦国武将の年齢差|織田信長,徳川家康,豊臣秀吉は?

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戦国武将の年齢差について

織田信長
徳川家康
豊臣秀吉

の3人の年齢差は?

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戦国武将の年齢差|織田信長,徳川家康,豊臣秀吉は?

織田信長:1534年生まれ
豊臣秀吉:1537年生まれ
徳川家康:1543年生まれ

織田信長と豊臣秀吉は3歳差。豊臣秀吉と徳川家康は6歳差。織田信長と徳川家康は9歳差です。

本能寺で明智光秀が織田信長を倒した時点での、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康それぞれの年齢は

光秀 55歳(1582年当時)
信長 49歳(1582年当時)
秀吉 46~47歳(1582年当時)
家康 41歳(1582年当時)

最終的に生きた年齢順

家康 75歳(1616年没)
秀吉 63歳(1598年没)
光秀 55歳(1582年没)
信長 49歳(1582年没)

ただし明智光秀の出自は定かでなく、名前が載っている系図でも、光継-光綱-光秀、頼典-光圀-光秀、頼典-光隆-光秀となり、父親の名でさえも三通りに分かれます。

そして、その享年は、『明智軍記』だと五十五、『当代記』では六十七となります。

6歳の竹千代(家康)が、今川家に人質に差し出されたとき、いろいろあって、戸田さんという人にさらわれて、織田家の人質となります。

そのとき、吉法師(信長)は、14歳、。

お嫁さんをもらった年でもあります。

彼女(吉乃)の紹介で、仕官しにやってきた、サル似の小男は、十七歳の藤吉郎(秀吉)ふところで、ぞうりを温められた信長は、二十歳。

桶狭間の戦いのとき、信長は、二十六歳、今川家の属将、松平元康(家康)は、十八歳、今川の支城を支えていたと思われます。

藤吉郎も、出陣していたのでしょうが、華々しい活躍は、なかったもよう、二十三歳で、来年には、ねねさんが、お嫁に来てくれます。

信長、三十五歳の朝倉攻めのとき、浅井に裏切られ、まさかの金ヶ崎撤退戦、命と引き換えにしてもいいから、出世を狙おうとした、藤吉郎は三十一歳。

ともに、「殿(しんがり)」を申し出た家康は、二十八歳。

まとめ:戦国武将の年齢差|織田信長,徳川家康,豊臣秀吉は?

徳川家康を基準に戦国武将の年齢差をまとめると、

徳川家康(1542年)

○徳川家臣
石川数正(1533年)+9
酒井忠次(1527年)+15
本多忠勝(1548年)-6
榊原康政(1548年)-6
井伊直政(1561年)-19
鳥居元忠(1539年)+3

○戦国武将
織田信長(1534年)+8
豊臣秀吉(1537年)+5
武田信玄(1521年)+21
上杉謙信(1530年)+12
今川義元(1519年)+23
毛利元就(1492年)+50
北条氏康(1515年)+27
島津義弘(1535年)+7
伊達政宗(1567年)-25
長曽我部元親(1538年)+4

○五大老
前田利家(1538年)+4
毛利輝元(1553年)-11
小早川隆景(1533年)+9
宇喜多秀家(1572年)-30
(上杉景勝(1555年)-13)

○関ヶ原・大坂の陣関係
豊臣秀頼(1593年)-51
石田三成(1560年)-18
小早川秀秋(1582年)-40
安国寺恵瓊(1538年)+4
真田信繁(幸村)(1567年)-25
毛利勝永(1577年)-35
長曽我部盛親(1575年)-32
後藤又兵衛(1560年)-18

○その他
黒田如水(1546)-4
藤堂高虎(1556年)-14
明智光秀(1528年)+14

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