ブーリン家は実話・実在?アンやメアリーは?

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映画『ブーリン家の姉妹』は実話をもとにしているんでしょうか?

昔のイギリス王室が舞台となっていますがブーリン家は実在したんでしょうか?

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ブーリン家は実話・実在?アンやメアリーは?

結論から言うと、ブーリン家は実話で実在はしていますが、まったく映画の通りではないようです。

ブーリン姉妹の姉であるアン・ブーリンは出生が1501年頃 です。一方、マリー・アントワネットは生年月日が 1755年11月2日 なので、歴史的に古い人なのはブーリン家の姉妹になります。

尚、妹のマリー・ブーリンは西暦で1543年に亡くなっているようですので

映画は1500年代の事ではないでしょうか?今からざっと500年前ですね。

メアリーは12才くらいだった1520年、国王ヘンリー8世の遠縁で側近だった24才のウィリアム・キャリーと政略結婚しました。その4年後に長女キャサリンが生まれました。
いつ頃ヘンリー8世はメアリーに目をつけたのかは、実際明確にはなっていないそうです。メアリーが国王の子”ヘンリー”を産んだのですが、認知はされていません。

それは、ヘンリー8世がアンとの結婚を画策している時で、人妻でありアンの姉妹のメアリーに子供を産ませたことを公にはできなかったからだそうです。
そのメアリーが産んだヘンリーは、エリザベス1世の代になって、ハンスドン卿として高位につきました。

アンが結婚する前、ヘンリー8世には妻キャサリンがいましたが、彼女が産んだメアリーが先にメアリー1世として女王になりました。映画「エリザベス」の冒頭に登場しています。
彼女の崩御を受けてエリザベスが女王になりました。

まとめ:ブーリン家は実話・実在?アンやメアリーは?

メアリーが生んだ、国王の息子はその後庶子として育ったようです。エリザベスが女王になったのはかなり複雑なイギリスの歴史があってウィキペディアによる女王の王女時代について「1533年9月、ヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの間に生まれた。父ヘンリー8世はアン・ブーリンと結婚するため、最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚をローマ教皇国に要請したが、法王はキャサリンの甥であった神聖ローマ皇帝カール5世との国際関係を考慮し、許可が下りなかった。ヘンリー8世は己の希望を通すため教皇と断絶、イングランドが「独立した帝国」であることを宣言して、新たにイングランド国教会を樹立した。そして国王至上法によって、イングランド国内においては、国王こそが政治的・宗教的に至高の存在であると位置づけた。

しかしアン・ブーリンは1536年、反逆罪でロンドン塔にて斬首刑に処せられた。母の処刑後、異母姉メアリー1世同様、エリザベスは私生児扱いとされたが、父王の最後の妃となったキャサリン・パーの嘆願により王女に復権され、キャサリンの元で養育される」とあります。又、「エリザベスは一時ロンドン塔に幽閉されるなど冷遇され続けたが、過激なプロテスタント優遇政策をとらせた異母弟エドワード6世、カトリックへの回帰を宣言してプロテスタントを迫害したメアリー1世らが死去した後、1558年11月17日に即位」しました。

ヘンリー王はアン・ブーリンを処刑したその日その時に新たな「ハワード家の女性」に王妃になって欲しいとプロポーズしました。

ちなみにその後、「王妃」(別の人物)を更に2人(1人だったかも)程死刑にしてます。

王は最初からアンを殺すつもりで納得なんてしてません、彼は自分に逆らったあるいは不貞を働いた人物を決して許しません。

「助けてやる」と言ったのはメアリーの命の事です、メアリーだって「罪深いブーリン家」の一員で長い間アンと一緒にいて彼女の悪事に関わった可能性だってあるんですから、罪に問われても不思議はなかったはずです、少なくともヘンリー王にとってはそうです。

彼はメアリーがアンの助命を懇願しているのを十分に理解していながら、「(メアリーの命は)許す」と言ったんです、彼女とアンが安堵した後に絶望する事が分かっていなからワザとそう答えたんです。

確かアンの処刑が行われる寸前に暢気に散歩に出かけるらしきヘンリーの姿が映っています。

ハワード叔父も非情な人物でしたけど、一番残酷な人物は間違いなくヘンリー王です。

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