第六天魔王の由来・意味は?なぜ織田信長?

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織田信長の「第六天魔王」とは、どんな意味なんでしょうか?由来は?

織田信長はどうして「第六天魔王」と名乗っていたのでしょうか?呼ばれていた?

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第六天魔王の由来・意味は?なぜ織田信長?

織田信長はなぜ「第六天魔王」と自称していたのかというと、1573年4月20日付で書かれたフランシスコ・カブラルに宛てたルイス・フロイスの書簡にそれは書かれています。

ルイスフロイスの記録だと元亀三(1572)年の西上に際して甲斐の武田信玄との書状にある署名で、先に武田信玄が

「天台座主沙門信玄(テンダイノ・ザスシャモン・シンゲン)」

と署名してきたことに対して返信に書いたのが

「第六天魔王(ドイロク・テンノマウオ・ノブナガ)」

という署名です。

これは、武田信玄が天台座主沙門=我こそは仏法の守護者!みたいな中二病全開の署名をしてきたことに対しての織田信長からのジョークです。

「はいはい。それなら私は魔王ね。」

みたいなあしらい方のジョークが「第六天魔王」です。

ただしルイス・フロイスが書いた伝聞情報なので真偽のほどはわかりません。

■第六天魔王
天魔とは第六天魔王波旬(はじゅん、サンスクリット語: ??????? p?p?yas、より邪悪なもの)、すなわち仏道修行を妨げている魔のことである。天子魔(てんしま)・他化自在天(たけじざいてん)・第六天魔王(あるいは単に魔王)ともいう。つまり仏教の敵を第六天魔王という文化がもともとあった。

以下が第六天魔王と言われていた人々。

安日長髄、葦原高丸、安倍広庭
蘇我入鹿、後醍醐天皇、足利尊氏
足利義教、細川政元、織田信長

延暦寺関係は
足利尊氏(延暦寺で後醍醐天皇と交戦)
足利義教(延暦寺高僧を騙し討ちで斬首)
細川政元(延暦寺焼き討ち)
織田信長(延暦寺焼き討ち)

まとめ:第六天魔王の由来・意味は?なぜ織田信長?

第六天魔王というのはルイス・フロイスの記録の中に出てくるもので、敵対した武田信玄が信長宛の書状の中で、自らを「天台座主沙門 信玄」と名乗ったことに対応し、返書で「第六天魔王 信長」と署名したものです。

天正元年三月十九日(1573年4月20日)付フランシスコ・カブラル宛ルイス・フロイス書状に書かれていますが、その最後辺りに、

「(前略)信玄が遠江および三河の国へ侵入する前に面白いことが起こりました。

すなわち信長に一書を送った時、自分の名を揚げようとする慢心から、封筒の上にテンダイノザス・シャモン・シンゲンとしたためたのです。

(中略)

信長はこれに対してドイロクテンノ・マウオ・ノブナガ、(後略)」

と書かれています。

天台座主沙門と「私は仏教の守護者!」とちょっと中二病っぽい署名をしてきた武田信玄に対して、「ハイハイ。それじゃ私は魔王ね。第六天魔王っと」というような感じでややバカにして返しているように見受けられます。

これはあくまで伝聞でフロイスの書簡にあるエピソードに過ぎません。

第六天魔王は、キリスト教のサタンと違って、元になったのはお釈迦様大好き人間です。
伝説では、釈迦は入滅する際に、食事を絶つのですが、釈迦の最後を見届けようと多くの人が集まります。
その中に、釈迦を非常に尊敬する人物がいて、彼は釈迦に食事を持ってきます。
釈迦としては、食事を絶っているのに、持って来てどうするの? って話ですが、彼が釈迦を敬愛しているのは間違い無い事です。
結局、釈迦は食事を断り入滅しますが、食事を持ってきた人物はその後、特殊な仏法の守護者になります。
つまり、修行をしている僧に、堕落するように呼び掛け、それに耐えた者にだけ、強い守護を与える神。
それが、第六天魔王で、他化自在天です。

信長としては、堕落した比叡山を懲らしめたけど、ちゃんと修行している僧は、しっかりと保護するよというアピールした事も考えられます。
実際に比叡山焼き討ちに関しては、出土品から、大した火事では無かったと言われています。

参考:第六天魔王とは

仏教の世界観では 三界といってこの世を大きく三つに分けます。
無色界 (欲も色も離れた精神のみの世界)
色界 (欲にはとらわれないが色(物質 肉体)のある世界)
欲界 (欲望にとらわれた世界)

欲界は地獄界や我々のいる人間界ですが、天界の下層6天(欲天)を含みます。
その欲天の最上天が他化自在天(第六天)で、
その他化自在天、つまり欲界を支配しているのが「第六天魔王」です。

この魔王は、元はヒンズー教のシヴァ派の神ですが、
仏教に取り入れられて第六天魔王になりました。
仏道修行者を色や欲で惑わし、天魔、天魔波旬とも呼ばれます。
つまり仏敵、欲界最強の魔王です。

信長の異名としては一向宗との争い、延暦寺焼き討ちの頃から、仏徒らにそう呼称されたようです。

「第六天魔(ダイロクテンマ)」は「古事記」から既に使用されている名称で
神では無く人では「安日長髄(アビナガスネヒコ)」に使用されています。
ちなみに、この「長髄」が「織田家」「伊達家」「安倍家」「安東家」などの
先祖とされます。また「神」か?「人」か?では曖昧ですが
古事記の「葦原高丸」も「第六天魔」と名づけられています。

そして時代が下がって最初に「第六天魔」を自称するのが
朝臣「安倍広庭(アベノサミマロ)」という人物です。
最初は自分達から名乗っていないそうですが
「政敵(仏教より)」から名づけられ後に「第六天魔で何が悪い!」と子孫に
名称を残し「第六天の子孫」を自称しだしています。

結果、その子孫である「安東氏」「松前氏(蠣崎氏)」なども自称しています。

更に時代が下がり「日本朝敵事」という書物にいたっては30名が
「第六天魔」にされており「平将門」から「曽我入鹿」など盛りだくさんです。

また「太平記」では「足利尊氏」ももちろん「第六天魔」とされ
驚くことに「後醍醐天皇」にいたっては後半で自身が「第六天魔」となり
襲い掛かってきます。「天皇(神)」から「第六天魔」になったのはこの方だけに思います。

そして時代が下がると「足利義教」「細川政元」などが比叡山や民衆などから
「第六天魔」と呼ばれ「織田信長」もそのように揶揄されたいきさつがあります。

第六天魔王の由来・意味は?なぜ織田信長?ネットの口コミは?

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