二・二六事件の時の積雪量
満州鉄道の線路の幅
という問題が早稲田大学の受験で出題されることがあると言われています。
二・二六事件の積雪量|受験で早稲田の日本史
早稲田の日本史は、マニアしか取れないような問題が出題されることがあります。
早稲田の日本史は、何も単に知識を深めれば良いのではなく、自分の知識から論理的に推論する力が問われるようです。
ちなみに、二二六事件発生時の東京の積雪量は22㎝のようです。
デジタル台風:二・二六事件の天気 - 過去の天気図
2月4日には暴風雪が東京を襲い、積雪は32センチに達しました。2月23日にも大雪が降って、積雪36センチを記録。そして事件のあった26日朝6時の天気図を見ますと、日本列島の南を低気圧が進んでいます。関東地方に雪が降る「南岸低気圧」のパターンです。12センチの残雪の上に、再び雪が降り積もり、この日の最深積雪は22センチでした。
満州鉄道レール幅|受験で早稲田の日本史
満州国営鉄道の軌間(左右のレール敷設間隔)は当初は1435mmに統一されていました。
ロシアが建設した満州里ー綏芬河間、新京ー哈爾浜間も昭和12年までに1435㎜軌間に改軌されました。
南満州鉄道は軌間1524mmのロシア規格で建設されましたが、日露戦争中日本陸軍の手により1067㎜軌間に改軌され、南満州鉄道開業後1年で1435mm軌間に改軌されました。
金正日ルートと言われる安奉線は軍用鉄道として762mm軌間で建設されましたが、明治45年までに1435mm軌間に改軌され、鴨緑江橋梁の完成と共に、日本の特急運転開始と同時に釜山―奉天間に直通列車が走り出しました。
満州鉄道の線路の爆破量が足りないと線路を破損させることが出来ず予め軍が調べておく必要があったのでは?という点から早稲田の日本史で出題されたことがあるようです。