楠野喜江(らんまん民権ばあさん)の実在モデルは?平塚らいてう?市川房枝?

スポンサーリンク
当サイトはアフィリエイト広告を使用しています。
デフォルト 0未分類

楠野喜江とはNHK朝ドラ「らんまん」の登場人物の一人。

政治結社「声明社」を支援する通称「民権ばあさん」という楠野喜江の実在モデルは?

スポンサーリンク

楠野喜江(らんまん民権ばあさん)の実在モデルは?平塚らいてう?市川房枝?

NHK連続テレビ小説「らんまん」の第16話から楠野喜江が登場。

楠野喜江は早川逸馬の政治結社「声明社」支援者で夫を早くに亡くして自身が税金を納めてきたという役どころ。

楠野喜江という人物は実在はしていなかったものの、このころの日本で積極的に政治参加していた女性といえば、

平塚らいてう:新婦人協会を結成し、雑誌『青鞜』を発行して、女性の社会進出や参政権を訴えた。
市川房枝:日本婦人有権者同盟を結成し、普通選挙法改正運動に参加した。
西田文子:日本社会党の創立者の一人で、戦後初の女性国会議員となった。

などがいます。

平塚らいてう

平塚らいてうは、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、女性解放運動家です。

本名は平塚明(はる)で、1886年(明治19年)に東京で生まれました。

日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部を卒業し、1911年に渡米して女性の社会進出や参政権を目の当たりにしました。

帰国後、1914年に婦人文芸誌『青鞜』を創刊し、「元始、女性は太陽であった」という有名な言葉を発表しました。

その後も新婦人協会や日本婦人有権者同盟などの組織を立ち上げて、女性の解放や平和運動に尽力しました。

戦後は日本社会党の幹部として活動し、1971年(昭和46年)に85歳で亡くなりました

市川房枝

市川房枝は1893年に愛知県の農家に生まれました。

母の置かれた立場や父と母の関係に影響されて、女性の権利について考えるようになりました。

小学校教員、新聞記者を経て、1919年に平塚らいてうらと新婦人協会を結成しました。

その後も婦人参政権運動や平和運動に取り組み、戦後は参議院議員として活動しました。1981年に88歳で亡くなりました

まとめ:楠野喜江(らんまん民権ばあさん)の実在モデルは?

【らんまん】島崎和歌子、土佐の女性役に「黙っていられない。役作りいらずでした」

俳優・島崎和歌子が楠野喜江役で出演するNHKの連続テレビ小説『らんまん』(月~土曜、午前8時)について、出演が決まった時の思いや撮影に参加した感想などをコメントした。

 物語は神木隆之介が主演し、江戸末期に生まれ、激動の時代に、草花を愛し、夢に向かって人生を真っすぐに歩んだ植物学者・槙野万太郎の生涯を描くオリジナル作品。島崎は物語の舞台となる高知県出身で、朝ドラは1999年の『すずらん』以来、2度目の出演。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ebdee4cc55ef14ed8896cdc1a1a4b68ec6c52fa9

日本の女性が参政権を獲得したのは、1945年(昭和20年)12月に公布された「選挙法改正令」によってです。

その後、1946年(昭和21年)4月に行われた第22回衆議院議員総選挙が、日本の女性にとって初めての投票機会となりました

タイトルとURLをコピーしました