「鞭声粛々夜河を渡る」という漢詩の意味は?
頼山陽が上杉謙信の武勇を詠んだ
鞭声粛粛 夜河を過る
曉に見る千兵の 大牙を擁するを
遺恨なり十年 一剣を磨き
流星光底 長蛇を逸す
とは現代語訳するとどんな意味なんでしょうか?
鞭声粛粛夜河を過るの意味・現代語訳は?合戦川中島(詩吟)
「鞭声粛々夜河を渡る」とは頼山陽の漢詩、「題不識庵撃機山図」の第一句目で上杉謙信と武田信玄が戦った川中島の合戦の4回戦を詠った詩。
鞭声粛粛夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底逸長蛇
<読み>
鞭声粛粛 夜 河を過る(べんせい しゅくしゅく よる かわをわたる)
暁に見る 千兵の大牙を擁する(あかつきにみる せんぺいの たいがをようする)
遺恨なり十年 一剣を磨く(いこんなりじゅうねん いっけんをみがく)
流星光底 長蛇を逸す(りゅうせいこうてい ちょうだをいっす)
敵に気づかれないよう馬を打つ鞭の音もたてないで、静かに夜河を渡るの意。
上杉謙信と武田信玄が戦った川中島の合戦の4回戦を詠った詩。詩吟としてよく詠われています。
不識庵とは、謙信のこと、機山が信玄。
まとめ:鞭声粛粛夜河を過るの意味・現代語訳は?合戦川中島(詩吟)
「鞭声粛々夜河を渡る」という漢詩は、川中島の戦いで上杉軍が武田軍に気づかれないように夜に千曲川を渡ったという故事に基づいています。
鞭声粛々とは、相手に気付かれないように、静かに馬に鞭を打つ様子を表しています。この漢詩は、日本の詩吟の題材としても有名です
【作者】 頼 山陽(1780~1832)
江戸後期の儒者。芸州(広島県)竹原の人。父は安芸藩の儒者で山陽はその長男として1780年大阪江戸堀に生まれ、広島で育った。幼少の頃から詩文の天才を持っていた。18歳で江戸に出て昌平黌に学んだが20歳で広島に帰った。性格的に少し常軌を逸するところ有り転々とした。備後の管茶山の廉塾の学頭等もしたが、再婚後京都に定住した。[日本外史]を前老中松平定信の命により進献し、一躍有名になった。
【解説】 不識庵は越後の上杉謙信、機山は武田信玄、ともにその法号である。両雄の川中島での戦いは1553年の第一回から、最後は1561年の5回に及んでいる。この詩は山陽が自分の[日本外史]の資料から謙信の胸中に同情する形で作られている。