平尾龍磨とは愛媛県今治市にある松山刑務所の大井造船作業場から海を泳いで本州に逃走した脱獄犯。
広島県尾道市の向島で住宅の屋根裏に潜んで捜索を逃れていましたが、逃走から22日ぶりに身柄が広島市南区の路上で確保されました
平尾龍磨の現在は?どんな生い立ちでどんな罪だったんでしょうか?
平尾龍磨(脱獄犯)wiki|なぜ脱獄?
愛媛県今治市にある松山刑務所の大井造船作業場から脱獄した平尾龍磨は
「刑務官の前で冗談を言ったことで目をつけられ、受刑者のリーダー的な役割を与えられなくなったため」
と述べています。
大井造船作業場は開放型施設と呼ばれ、受刑者の再犯防止の切り札とされていました。
塀も鉄格子も、部屋の鍵すらない。部屋の移動も自由。受刑者は一般の作業員と一緒に鉄板加工や溶接などの作業をする。そうした作業を体験して資格を取り、社会復帰につなげる。
その効果は明らかで、2016年の刑法犯の再犯率は48.7%と過去最悪だったが、「開放型」ではわずか6.9%だったそうです。
模範囚が集まる大井造船作業場では初犯の受刑者の中から、IQテストで優秀な成績を収めたり、面接や家族との文書のやりとりで逃走の意思を示さないことが確認された者だけが、刑務官の推薦によって入所することが許されています。つまり、彼らは「受刑者のエリート集団」と言えます。
この作業場では「自治会」と呼ばれる制度があり、受刑者に会長などの役職を与えています。その結果、作業場内でヒエラルキーが形成されたようです。元受刑者によると、「自治会」では「寮長」と呼ばれるトップに絶対服従しなければならず、新入りは通常、次の新入りが入るまで「ペイ」と呼ばれますが、寮長に目をつけられると「ペイ」の期間が延びることもあります。一般の刑務所とは比べ物にならない厳しいルールが存在し、それを破るとペナルティが待っているのです。
また、「シャリ詰め」という罰もあります。一般の刑務所では食事のおかずや週末のデザートを取り上げられる「シャリ上げ」が行われますが、大井造船作業場では逆に、超大盛りのどんぶり飯3杯を食べなければないという「シャリ詰め」という罰があります。通常のどんぶり飯の量の6杯以上に相当し、受刑者は苦しい思いをしながらも、吐きながらそれを食べなければなりません。
さらに、寮長や先輩の受刑者に対して意見を言ったり異を唱えたりすることは、「山返し」と呼ばれ、非常に厳しい扱いが待っています。
平尾龍磨(脱獄犯)の生い立ちは?
名前:平尾龍磨(ひらお・たつま)
出身地:福岡県直方(のおがた)市
家族構成:両親、妹、祖母
「あだ名がルパン。運動神経はすごかった」と中学時代の友人
今回の逃走については同級生たちの間では、「妹の1人が交通事故にあって入院しているらしい、その妹に会うために脱獄したんじゃないか」と、そんな噂が流れていたそうです。
平尾龍磨(脱獄犯)の罪は何した?
連続窃盗犯(懲役2年6か月位)
2013年7月30日までに九州県内で閉店の理容室に侵入しレジや引き出しから金品を奪うという手口で窃盗を繰り返していました。
その他、福岡、佐賀、熊本などで金庫破り、車上荒らしなど、120件以上の窃盗歴あり。
総被害額・・・400万円だそうです。
『生活費と遊ぶ金が欲しかった』と供述しており、高校の同級生と共に逮捕されています。
ただ脱獄した際、車を盗み、逃走した際に「車お借りします 傷はつけません すみません」というメモを残した、ともニュースで放送されていました。
まとめ:平尾龍磨(脱獄犯)wiki現在|生い立ちは?罪は何した?
平尾龍磨が脱獄した際、刑期の残りはあと1年10か月だったそうです。
模範囚とあれば仮出所が認められます。大体、刑期の8割勤め上げれば基本的には仮出所の審査があります。
ただ脱走したことで仮出所は絶対にありえませんし、車を盗んだこと(窃盗再犯)で追起訴・実刑は免れません。
裁判では逃走、窃盗、住居侵入などの罪に問われ懲役4年(求刑・懲役6年)の実刑が確定。
そして、平尾龍磨が脱獄を図った松山刑務所の大井造船作業場では自治会制度を廃止したそうです。
ちなみに、1989年に起こった、熊本刑務所から逃走した婦女暴行事件の受刑者(懲役18年)に関しては、実刑確定から実に4年もの間逃げおおせ、最終的には680km離れた神戸市内で逮捕されました。