もののけ姫|シシ神(デイダラボッチ)は最後になぜ死んだ?

スポンサーリンク
当サイトはアフィリエイト広告を使用しています。
デフォルト 0未分類

映画「もののけ姫」の最後でなぜデイダラボッチとなたシシ神は死んだのでしょうか?

サンが「シシ神は死んでしまった」とって言ってましたがそもそもシシ神は死んだ?

物語のラストでは石火矢で撃ち飛ばされた首を取り戻したのものの、朝日を直接浴びたシシ神は消滅してしまいましたがなぜ死んだのでしょうか?

スポンサーリンク

もののけ姫|シシ神(デイダラボッチ)は最後になぜ死んだ?

映画「もののけ姫」でデイダラボッチとなったシシ神は、太陽の光を浴びると消滅してしまうことが作中で語られています。

ジコ坊「見ろ……生命を吸ってふくらみすぎたのろまな死神だ。陽にあたればやつは消えちまう」

パンフレットには「シシ神は月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す」とあります。

シシ神は生と死の象徴で、命を吸い取り、その命を新たに授けるという生死のサイクルをダイダラボッチの姿で行っていました。

そのダイダラボッチの姿は夜限定みたいで、日が昇ると鹿の姿になります。

首を奪われたことで暴走状態になり、鹿の姿に戻ることが出来なくなったシシ神は、朝日を浴びて消滅してしまう寸前で首を取り戻しましたが、暴走状態時に命を吸い取り過ぎてパンクしてしまいました。

パンフレットには「シシ神は月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す」とあります。

パンクすることで草木は蘇ったけど、『穏やかな、恐ろしくない森』になってしまいました。

日本人はそうやって、恐ろしい森を恐ろしくない存在にして作り替えてしまいました。

宮崎駿はそのあたりを表現したかったようです。

宮崎駿はパンフレットのインタビューで、「結局、この映画は歴史の上で人間がやってきたことを再現してるだけ」と言っています。

シシ神は死んだわけではないけれど、パンクして吸い取り過ぎた命が弾けたことで、死んだ森が再生します。だけど恐ろしくない森(草原)になってしまった。それが日本人が歴史の上でやってきたこと。って感じです。

シシ神とは?|もののけ姫

シシ神は、アニメ映画「もののけ姫」に登場する架空の神様です。この作品に登場する他の山の神々とは異なり、シシ神は神話的で不思議な力を持っています。

シシ神は、生と死を操る神であり、傷や病気、呪いを癒すこともできる一方で、無差別に命を吸い取り大量の殺戮を行うこともあります。彼の体液に触れると呪いのアザができるという特異な特徴もあります。また、彼の能力には多くの謎があり、「血にあらゆる病を治す力がある」「首に不老不死の力がある」「森の化け物たちの総大将」といった憶測が飛び交っていますが、どれも真相は明確にされていません。

シシ神の能力は多岐にわたり、水上歩行やタタリ神の勢いを抑え込む威光、石火矢の弾が首を貫通しても即座に治る力、地上を歩くと一歩ごとに草が生い茂り、すぐに枯れていくなどの特徴があります。彼の力はさまざまな形で現れ、物語の中で主人公のアシタカ達を導く役割を果たすこともあります。

夜間になると「デイダラボッチ」と呼ばれる巨大な姿に変身します。この姿は人型であり、頭から背中に多数の角を持ち、半透明な体には宇宙や星々を思わせる縞や渦巻き模様があります。デイダラボッチは夜の間に森を徘徊し、命を回収しながら森を育て、日の出の前に元の姿に戻ります。

しかし、デイダラボッチの姿は夜そのものであり、朝日を浴びることはシシ神にとって危険です。彼の存在は神話の中でありながら、宮崎駿監督は「下級の神として描いた」と語っています。他の動物神と比べても、シシ神の力や存在が特異な部分があるようです。

シシ神のモデルは?|もののけ姫

シシ神のモデルは、諸星大二郎の漫画『孔子暗黒伝』に登場する解明獣や、宮崎駿自身が影響を受けたと公言している『ネバーエンディングストーリー』のフッフールなど、複数の存在が考えられます。

解明獣は、巨大な鹿の頭と、人間の身体を持つ神秘的な存在です。森を守護する神として描かれており、シシ神との共通点が多いです。

フッフールは、鳥の身体と、人間の頭を持つ神秘的な存在です。言葉を話すことができず、その思考は人間には理解できないとされています。シシ神も、人間の様な顔をしていながら何を考えているのか想像しにくいという点で、フッフールに似ています。

シシ神は、これらの存在を参考に、宮崎駿が独自に創作したキャラクターだとされます。

まとめ:もののけ姫|シシ神(デイダラボッチ)は最後になぜ死んだ?

サンがシシ神は死んでしまったと言った後、アシタカが

「シシ神は死んではいない。シシ神は命そのものだから。生と死を両方もっているのだ。」

というようなことを言っています。

首を返した後、夜が明けてもディダラボッチ倒れてたので、多分あのときに肉体は滅びたのではないかと思いますが、シシ神は人間や動物をはるかに超越した存在であり、命そのものだから、生きることも死ぬこともないのでしょう。

シシ神にとっては、肉体が滅びることはたいした問題ではないのではないかと思います。

ジコ坊が「見ろ。命を吸って膨らみすぎたのろまなシシ神だ。火に当たれば奴は消えちまう。」

と言いましたが、これは朝日が出るまで首を返さなかったらのことです。

アシタカ達は朝日が出る直前ギリギリで首を返しました。この時点でディダラボッチから昼の姿(シシ神)に戻ればシシ神は今までどおりの昼の姿で過ごすことが出来るのですがシシ神の姿に戻る前に朝日が照らされジコ坊の言うようにディダラボッチは消えてしまいました。

でも消えたからといってシシ神が死んだわけではありません。

姿かたちは違ってもシシ神は「命そのもの」ですから。

また別の姿で森に住んでいると思います。

タイトルとURLをコピーしました