中華航空140便墜落事故は、1994年4月26日に発生した航空事故です。台湾の台北から日本名古屋への国際線便で、エアバスA300-600Rが名古屋空港に着陸しようとした際、機体が失速して墜落とは航空機事故。
乗員乗客264名が死亡し、生存者7名が重傷を負いましたが事故の原因は?機長は何人だったのでしょうか?
中華航空140便墜落事故とは?
中華航空140便はエアバスA300-600Rという飛行機で、名古屋空港に着陸しようとしていました。飛行機がアウターマーカー通過し、着陸の準備を進めている最中、自動操縦装置がゴー・アラウンド・モードに切り替わりました。このモードでは、飛行機は着陸せずに再度離陸を試みる状態になります。
しかし、パイロットが飛行機の操縦輪を動かし、オートマチック・フライト・システム(AFS)が作動するなど、自動操縦装置と手動操縦の動作が相反し合いました。その結果、トリマブル・ホリゾンタル・スタビライザー(THS)と呼ばれる部分がアウト・オブ・トリム状態に陥り、飛行機の水平安定が乱れました。また、飛行機の機首を下げようとしたパイロットの意図と、コンピュータによる制御された水平尾翼の動きが逆行し、飛行機は失速してしまい、墜落し炎上する事故となりました。
中華航空140便墜落事故|原因は?
中華航空140便墜落事故の原因はいくつかあります。技術的な側面では、自動操縦と手動操縦の操作が相反してしまったことが挙げられます。また、飛行機のコンピュータがゴー・アラウンド・モードになる際の制御が優先される設計であったため、飛行機の操縦士の意図とコンピュータの動作が衝突しました。また、パイロットが飛行機を操作する際に、コンピュータとのコンフリクトに気付かなかったことも一因です。
人的な原因もあります。副操縦士が誤ってゴー・レバーを作動させ、機体の動作を誤解したり、オートマチックフライトシステムを正しく理解していなかったりしました。さらに、高ストレスな状況下での判断力の制限も影響を与えました。
組織的な要因もありました。エアバス社は同型機の他の事故から学び、自動操縦と手動操縦のコンフリクトを避けるための改修を提案しましたが、中華航空社はこの改修を急ぐ必要がないと判断し、実施しないままでした。また、エアバス社からの情報提供が不足しており、適切な対策が遅れました。
中華航空140便墜落事故|機長は何人?
中華航空140便墜落事故を受けて、飛行機の設計や操作に関する改善策が考えられるようになりました。事故の教訓を元に、飛行機の安全性を高めるための新たな規制や手順が導入されることとなりました。また、飛行機の操縦士や整備士のトレーニングも見直され、安全対策が強化されました。
機長は42歳男性。総飛行時間は8,340時間で、内1,350時間がA300によるものだった。副操縦士は26歳男性。総飛行時間は1,624時間で、内1,033時間がA300によるものだった。
裁判所の平成16年5月27日判決言渡 主文によると、
引用:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/551/007551_hanrei.pdf
(ア) 機長の飛行経歴
機長は,1989年(平成元年)2月1日,被告中華航空に入社した。
入社以前は,台湾空軍の操縦士として1970年(昭和45年)9月から1989年(平成元年)1月まで勤務し,C-47型機等で4826時間30分飛行している。
入社後は,B747-200型機,B747-400型機の副操縦士(飛行時間はそれぞれ,668時間35分,1494時間47分)を経て,被告中華航空においてA300-600R型機の機長昇格訓練(飛行時間260時間53分)を受け,1992年(平成4年)7月31日に機長検定証を取得し,同年12月1日に被告中華航空のA300-600R型機の機長に昇格した(事故前日の4月25日までの飛行時間1089時間34分)。
総飛行時間は8340時間19分,被告中華航空入社後の飛行時間は3513時間49分,A300-600R型機での飛行時間は1350時間27分であった。
(イ) 副操縦士の飛行経歴
副操縦士は,1990年(平成2年)4月16日,被告中華航空に操縦要員の学生として入社した。
その後,自社養成でアメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)のノースダコタ大学において,1991年(平成3年)8月4日から1992年(平成4年)8月30日までの間C-90A型機,C-1900型機などで590時間12分訓練を受け,事業用操縦士の資格を取得した。
A300-600R型機については,フランスのアエロフォーメーション社(被告中華航空から訓練の委託を受けた被告エアバスが再委託)において地上学科,シミュレーターによる訓練及び実飛行時間3時間の訓練を受けた。
その後,台湾において基本飛行4時間の訓練を受けて,1992年(平成4年)12月29日に副操縦士の検定証を取得し,1993年(平成5年)3月22日にA300-600R型機の副操縦士に昇格し,事故前日の4月25日までの飛行時間は1033時間59分であった。
中華航空140便墜落事故|脳みそとは?
「中華航空140便墜落事故」について検索エンジンで調べてみると「脳みそ」というキーワードも提示されます。
これは匿名掲示板の2chに事故の生存者だとする人物の書き込みされたものが由来しているようです。
ただ、この書き込みが本当に7人の生存者の一人なのかどうかは明らかになっていないため、都市伝説として語り継がれているようです。
中華航空140便墜落事故|その後は?
中華航空140便墜落事故後、すぐに運輸省は航空事故調査委員会を設立し、竹内和之委員長をリーダーにして事故の調査を始めました。事故から2週間後の5月10日、フライトレコーダーやボイスレコーダーの解析を元に、調査の進捗状況を公表しました。
台湾民用航空当局は、事故後、中華航空公司に対していくつかの指示を出しました。5月3日には、エアバス社が提案した改修内容を急いで実施するように指示し、5月7日にはA300-600R型機の操縦士に対して強化訓練と再評価を行うように指示しました。また、具体的な計画書を提出するよう求めました。
中華航空公司は、フライトコンピュータの改修作業を急いで進め、9月7日までに完了しました。さらに、操縦士全員の技能再チェックを行い、A300-600R型機の操縦士については、台湾民用航空局の担当官の立ち会いのもとで実施しました。また、所有する全機に対しては、特別点検を実施しました。
エアバス・インダストリー社も動きました。彼らは、5月5日にA300/A310およびA300-600型機のオペレーターに向けて、オートパイロットが着陸やゴー・アラウンド・モードの際に、操縦士がエレベータ(昇降舵)を動かす際の注意事項を通知しました。12月13日には、ソフトウェア改修の適用を命令する通知を出しました。
さらに、日本エアシステム社に対しても運輸省航空局から指導がありました。彼らは事故機と同じ型式の航空機を使用していましたが、アプローチ中のオートパイロットの選択モードの確認やゴー・アラウンド・モードの解除手順など、エアバスの運用規定に従うよう指導されました。
この事故を受けて、いくつかの対策が取られました。まず、自動操縦装置をいつでも切断できるようにするためのソフトウェア改修が行われました。また、緊急時や異常時にパイロットが適切に対応できるように、オートマチィックフライトシステムも改善されました。乗員の教育訓練も充実し、アドバンスト・テクノロジー機のデザインやオペレーションに関する理解を深めるための取り組みが行われました。さらに、コックピット・リソース・マネジメント(CRM)の訓練も強化されました。
この事故から学び得た知識は、以下の点に要約されます。
- 航空機は最終的にはパイロットの操作によって操縦される重要なものであり、自動化装置がどれだけ進化しても、最終的な判断は人間が行うべきです。
- 自動化システムを操作するには、その仕組みや動作原理を理解することが不可欠です。
- ハイテク航空機のパイロットは、単なる操作者ではなく、システムの管理者としての役割が求められることがあります。
- 緊急時には、パイロットが迅速に適切な対応ができるような警報装置が必要です。
中華航空140便墜落事故|生存者の子供は?
中華航空140便墜落事故7人の生存者は主翼近くの座席の人ばかりだそうです。
頑丈な主翼の桁構造によって墜落の衝撃から守られたと考えられています。
傾いて墜落したため主翼の片側が地面に激しくたたきつけられて折れますが、結果的に逆の主翼部分にかかる衝撃が抑えられることになったようです。
当時3歳の子供だった長谷部弘義さnもいましたが、2023年現在で29歳になり結婚して父親になったと報じられています。
まとめ:中華航空140便墜落事故|原因・機長は何人?脳みそとは?生存者の子供は?
中華航空140便墜落事故は1994年4月26日、台北・中正国際空港(現:台湾桃園国際空港)発名古屋空港行きのCAL140便(エアバスA300-600R型機・登録番号B-1816)が、名古屋空港で、着陸復行を試みた際に自動操縦の着陸復行モードが解除されなかったうえに操縦ミスが重なり失速し、腹打ちになる形で墜落。折り返しの便の燃料も積んでいた機体は大破し爆発、乗客乗員271人のうち264人が死亡し、生還した7人も怪我を負う大惨事となった。
事故当日は快晴で、風もほとんどない理想的な天候だったそうです。
着陸に向けて降下するコックピットには経験豊富な機長と、近々、機長への昇格テストを控えた副機長がおり、着陸は副機長が操縦する予定でした。
副機長が機体を降下させていき滑走路手前でオートパイロットの一つであるオートスラストをオフにしました。
その際、誤ってTOGA(Take Off Go Around)モードのスイッチに触れてしまい、TOGAガオンになりました。
TOGAは着陸時、不具合があった際に安全に再上昇(ゴーアラウンド)をするためのモードで、着陸のために速度を落とし降下しているのに、突然エンジンがフル回転し機首が上がろうとするわけです。
パイロットが上昇下降を操作すると水平尾翼の操舵翼面(エレベーター)が作動しますが、オートパイロットではトリムにて操舵します。
異常を感じたパイロットは急いで対処をするも、なぜそうなったのか、原因がわからず操縦輪を押すことしかできなかったそうです。
人間VSコンピューターが相反する操作をしたとき、現在では、オートパイロットが切れるようになっています。
しかし、今回のエアバス機はそうなっていませんでした。
結果、人間VSコンピューターの戦いの末、ほぼ垂直上昇の姿勢でしたが、機長がTOGAモードに入っていることに気づき、スイッチをオフ。
エンジンが着陸降下時の推力まで落ち込んたことで失速し墜落しました。