安彦考真さんは2020年で引退を宣言しているJリーガーですが、年俸はなんと120円という驚きの経歴の持ち主。
しかもJリーグデビューしたのが40歳を超えてからという半端ないエピソード目白押しなんですが、そんな安彦考真さんの気になる高校や結婚した嫁などプロフィールを調査しました。
安彦考真wikiプロフィール
名前:安彦考真(あびこ たかまさ)
生年月日:1978年2月1日
出身:神奈川県相模原市南区新磯
中学校:相武台中学校
高校:神奈川県立新磯高等学校
身長:175cm
体重:74kg
安彦考真さんがサッカーを始めたのは小学校入学前の幼稚園のときですが父親の影響で野球もしていたそうです。
父親とはキャッチボールの練習、友だちとはサッカーの練習といった感じでスポーツに打ち込んでいましたが、
サッカーの方で中学3年の夏には相模原市の大会に優勝し県大会に出場を果たしています。
進学した高校では陸上部の顧問の勧めで1年の冬から2年の春までの約半年間はサッカー部を離れて一時的に陸上部に入部。
徹底的に走りこんで下半身を中心に肉体改造に取り組んだ結果、50メートル走7秒台から6秒台に縮まり、安彦考真さんがJリーグでも通用するスピードや突破力を身に着けるドダとなりました。
ただ高校は決してサッカーの強い学校だったわけではなく高校2年のインターハイ予選では日大藤沢に0対12で大敗を喫したこと。
ただ翌年の0対3まで縮められたことだけが安彦考真さんにとって高校サッカー部時代の唯一誇れる実績だそうです。
安彦考真の経歴
安彦考真さんは高校在学中に単身でブラジルへサッカー留学をしています。
親は当然「高校を卒業してからでも良いだろ」と反対をしていたものの時間をかけて説得した結果「自分でお金をためていくなら行っても良い」ということになり、
安彦考真さんは朝2時に起きて自転車で配達をする生活を半年くらいは続け、多い時には月9万円くらいは稼いだそうです。
ちなみに、安彦考真さんがなぜサッカー留学する地域としてブラジルを選んだのかというと、86年から90年までブラジルでプレーしたカズこと三浦知良に触発されたからです。
バイトの後に朝練に行って授業はずっと寝るといった生活だったそうですが、ブラジルに渡航するには十分な金額に達したため、
高校3年時に念願のブラジルへサッカー留学が実現しサンジョゼというユースチーム(18~20歳)に所属。
その後はいったん、帰国をするものの19歳だった1996年に現地のグレミオ・マリンガとプロ契約を結ぶことになります。
当初は1カ月で帰国するスケジュールだったところ、チームのサイドバックが怪我をしてしま同じポジションだった安彦考真さんに白羽の矢が立てられ
監督から「残ってくれないか」とオファーを受けたそうです。
両親に何も相談せずに残ることを残留を決め、すべての手続きが終わった後に事後報告をして承諾を取り付け、
後はリーグ開幕を待つだけといったところで、安彦考真さんのサッカー人生を大きく左右する事件が起きます。
練習中に前十字靭帯を断裂する大けがを負ってしまい、結局、ブラジルでプロデビューはかなわずに契約が解除。
すぐには帰国せずに現地に残ってU-12の選手の指導などしてから日本に戻り、
縁がつながってジーコの兄であるエドゥーのもとで選手兼コーチ兼通訳として働き始めます。
前十字靭帯の傷もだいぶ回復してきたこともあり、エドゥーのスタッフとして働くかたわらで現役復帰を目指して
清水エスパルスとサガン鳥栖の入団テストも受けるものの、まったく歯が立たず不合格。
日本のサッカーのレベルが目に見えて底上げされていることに衝撃を覚えたそうです。
その後、大宮アルディージャの通訳として3年間程働くと北澤の個人事務所のマネジメントに所属し、「FOOT」というサッカースクールの立ち上げに参画。
さらに通信制高校の中央高等学院と東京ヴェルディが強度運営する「中央高等学院中央アートアカデミー高等部」のbiomサッカーコースの立ち上げにディレクターとして参加。
サッカーの裏方として働く期間がずいぶん長くなっていた安彦考真さんですが「中央高等学院中央アートアカデミー高等部」で、
とある生徒との出会いでサッカープレイヤーとしての情熱が再燃します。
サッカーが好きだったけれど中学3年間は不登校だった生徒がわざわざ学生寮に入ってまでサッカーコースに合流。
その生徒に安彦考真さんは「これからは時代が変わるから、今とは違った生き方を考えよう」、「もし大学に行きたければ、それがなぜなのかを考えよう」と言った話をしたそうです。
すると、その生徒が「クラウド・ファンディング」で1500円の出資を募って本を買うというチャレンジに挑み、
結果的には300円しか集まらなかったものの、安彦考真さんは少年の努力する姿に再びショックを受けます。
「その生徒に負けたような気がした」と感じた安彦考真さんは、胸の奥に秘めていたプロ契約を引っ張り出し、
生徒と同じくクラウド・ファンディングを活用してプロチームの練習に参加するための出資を募ります。
「85万円」を目標としていたところ、結果的に目標を上回る「121万円」を集めることに成功し無事に水戸ホーリーホックの練習に参加、
そして40歳にしてJリーガーの夢をかなえることに成功します。
ただ水戸ホーリーホックでは結局、天皇杯も含め公式戦出場ができないままーズン終了後に契約満了で退団し、2019年にY.S.C.C.横浜へ完全移籍。
YSCC監督のシュタルフ 悠紀 リヒャルトさんとは「中央高等学院中央アートアカデミー高等部」のサッカーコースを監督をしていたこともあって面識があったのが追い風になったようですね。
安彦考真さんがJリーガーとしてデビューを果たしたのはプロ2年目の2019年3月10日、ガイナーレ鳥取との開幕戦。
ジーコ(元鹿島アントラーズ)を超える41歳1カ月9日で「Jリーグ最年長デビュー」を果たし、20109年シーズンは8試合計71分の出場。
2020年もチームに残留を表明しているものの「チームに貢献できるようなプレーはできなかった」として年俸120円という異例の契約となり、
2020年限りで現役を退くことも合わせて明らかにしています。
ブラジルでは練習から激しく削ることは当たり前だと話し「『どの指でシュート打ってる?』とか聞かれるんですよ。おれは親指で打ってるとか。全身をどう使うかの感覚は彼らの全て
安彦考真のチーム歴
グレミオ・マリンガ(ブラジル)
JSSC(ジャパンスポーツサイエンスカレッジ)
エドゥサッカーセンター
ブレッサ相模原(神奈川県リーグ)
南FC(神奈川県リーグ)
エリースF.C.(関東1部)
水戸ホーリーホック
Y.S.C.C.横浜
安彦考真のツイッターやインスタグラム
安彦考真のツイッター
@abiko_juku
安彦考真のインスタグラム
@abitakamasa
安彦考真の高校や大学など学歴は?
安彦考真さんの通っていた高校はサッカーでは無名の新磯高等学校ですが、安彦考真さん自身が望んで進学をしたわけではありません。
中学時代に大会優勝をけん引した実力者として、地元のサッカー強豪校で知られる麻布大学付属淵野辺高等学校のセレクションに合格したものの、
中学校の成績や内申点が悪く過ぎて推薦から漏れてしまい、いける高校が新磯高等学校しかなかったそうです。
渕野辺高校に進学できないと分かった時点で、ブラジルに行くことも考えていたそうですが、この時はさすがに折れたようですね。
さらにブラジルからケガで帰国をした際も、日本体育大学の推薦入試を受けるも不合格
仕方なくアルバイトを掛け持ちしながら、OBとして高校の練習に出向き、後輩の指導しながらサッカーを続けていた時期もあるそうです。
ちなみに、麻布大学付属淵野辺高等学校といえば、
小林悠選手(川崎フロンターレ)
太田宏介選手(FC東京)
といった選手も在籍していたほどで、意外なところだとシュウペイ(ぺこぱ)も同じ学校のサッカー部でした。
ただ安彦考真さんと麻布大学付属高校はその後、奇妙な縁でつながり、2歳下の弟で同高校を卒業していた安彦篤さんが監督に就任するとコーチとして招かれます。
桐蔭学園などの強豪を破って2013年、2014年とサッカー部を2回連続でインターハイに連れていくという指導者としてもすぐれた実績を残しています。
安彦考真の結婚した嫁は?子供はいる?
調査中
安彦考真の経歴を見る限り、結婚を考える暇なんてなかったんじゃないでしょうか。
安彦考真が年俸120円の理由は?
安彦考真さんが中央高等学院中央アートアカデミー高等部にbiomサッカーコースで指導していたところ、
お金に余裕ができて、恵比寿駅から徒歩2分にある家賃30万円高級住宅に住んでいたそうです。
そんな生活をなげうって2018年に年俸120円のJリーガーとしてデビュー。
月収10円というわけですが、練習に必要なものはチームが用意してくれるものの生活に関しては貯金を切り崩していたんじゃないでしょうか。
2019年はさらに契約更改の席では「期待に応えられていない」と自ら申し出て10分の1の年俸12円に減らすようにフロントに要望するものの、ピッチ外での貢献を評価され現状維持。
追い打ちの書けるように2020年には月約20万円を受け取っていたスポーツベンチャー「アセンダーズ」との契約延長も自ら断り、
現在は神奈川県相模原市にある実家に戻り、練習には父親の軽自動車を借りて通っているそうです。