エイドリアン・シェリー(Adrienne Shelly)はケリー・ラッセル主演の映画『ウェイトレス ~おいしい人生のつくりかた』の監督。
2006年11月にニューヨークで殺されたエイドリアン・シェリーについて「世界が騒然!本当にあった(秘)衝撃ファイル」で紹介されました。
■世界が騒然!本当にあった(秘)衝撃ファイル放送内容
2006年、アメリカ・ニューヨーク州。
人気女優のエイドリアン・シェリーが死亡したというニュースが全米を駆け巡った。
バスルームで首を吊って亡くなっているエイドリアンを夫が発見。
警察は自殺と判断するが、夫は「妻が自殺するはずがない!」と再捜査を強く要望。
警察が捜査を進めると、エイドリアンをつけまわす怪しいストーカーや、恨みを持つ容疑者が浮上!果たして事件の真相とは!
引用:https://tv.yahoo.co.jp/program/105151010
エイドリアン・シェリーの死因は殺害?犯人は?
エイドリアン・シェリーは1989年に映画デビュー。
1994年からは短編映画の制作も始め、2006年には初の長編作品『ウェイトレス ~おいしい人生のつくりかた』を監督した。
プライベートでは会社経営者と結婚し、2004年に長女を出産するも、2006年のハロウィンの夜、11月1日に自宅で死亡した。
エイドリアン・シェリーは、3歳の娘のためにパーティーを開いた後、仕事のためにニューヨークのウェストビレッジにあるオフィスに向かいますが、彼女の夫であるアンディ・オストロイがバスルームでエイドリアン・シェリーがシーツからぶら下がっているのを発見。
当初は自殺かと思われたが、首を吊ったとされる結び目に違和感があったことやバスルームに残されたリーボックのスニーカーの足跡はエイドリアン・シェリーのモノではありませんでした。
法医学者の検死によってエイドリアン・シェリーが首を絞められていたことが明らかになりました。
エイドリアン・シェリー殺害犯人の動機・判決は?
捜査の結果、エイドリアン・シェリーがオフィスとして使用していたアパートで階下の工事に伴う騒音トラブルにより、ディエゴ・ピルコという19歳の作業員に殺害されたことが判明
シェリーを押したところ、彼女はテーブルに倒れた
エイドリアン・シェリー殺害事件の公判では、犯人は警察に電話して国外追放されるのではないかと恐れたと証言していたものの、実際には盗みに入ったところで彼女に見つかり殺害したことが明らかになります。
さらに首吊り自殺に見せかけようとしたことも明らかになると過失致死罪を認め、最高で懲役25年の可能性がある。
エイドリアン・シェリーの死後、夫のアンディは女性映画製作者のための映画学校奨学金と補助金を与える非営利団体「エイドリアン・シェリー財団」 (Adrienne Shelly Foundation) を設立した
エイドリアン・シェリー財団は女性映画製作者に助成金を出し続けています。
これらの助成金の1つは、映画「ノマドランド)Nomadland)」でオスカー最優秀監督賞を受賞した2人目の女性となった クロエ・ジャオ(Chloe Zhao)が受け取っています。
アジア人として初めてゴールデングローブ賞監督賞を受賞、アカデミー賞では作品賞と監督賞を受賞した。
エイドリアン・シェリーまとめ
エイドリアン・シェリーはロシア系ユダヤ人の両親の間に、ニューヨーク市クイーンズ区で誕生。
2人の兄弟がおり、出生時の名前はエイドリアン・レヴァイン (Adrienne Levine) であった。
ロング・アイランドで育ち、幼い頃から舞台などに出演。ボストン大学では、コミュニケーション学科で映画制作を専攻した。
1989年に映画デビューし、ハル・ハートリー監督作品などインディペンデント映画中心に出演した。
マンハッタンのワン・オン・ワン・スタジオでの演技指導や、ネイキッド・エンジェルス、ウェストベス・シアター・アリスズ・フォース・フロアーなどの劇団に戯曲を提供したほか、ニューヨーク大学で演技・脚本などの講義の教授を務めた。
マーケティング会社会長兼CEOのアンディ・オストロイと結婚し、2004年に長女を出産した。
1994年からは短編映画の制作も始め、映画『ウェイトレス ~おいしい人生のつくりかた』を監督したが自宅で死亡が確認されています。