赤井英五郎さんは、あの「浪速のロッキー」の異名を持つ元プロボクシング選手・赤井英和さんを父親に持つボクサー。
2021年3月にプロ転向を表明し話題となっている赤井英五郎さんの気になるプロフィールをまとめています。
赤井英五郎wikiプロフィール
名前:赤井英五郎
出身地:東京都世田谷区
生年月日:1994年9月22日
年齢:26歳
身長:179㎝
体重:77㎏(平常時)
スタイル:右ファイター
所属:赤井組
赤井英五郎さんは、9歳の時からラグビーを始めると、小学6年生(12歳で)アメリカ・ハワイに留学。
中学ではラグビー、高校ではバスケットボールとアメリカンフットボールをプレーしています。
2015年にボクシングを始める為にアメリカの大学を休学し帰国をすると、帝京ジムでボクシングの練習をスタートさせています。
ちなみに、赤井英五郎さんはなぜボクシングをやってこなかったのかというと、「子どものころから父のことを言われて比べられて、それが嫌でやらなかった」と話しています。
逆に、今まで避けてきたはずのボクシングをなぜ20歳を過ぎてから始めようと思ったのかというと、「どういうスポーツなんだろう」という気持ちが湧いてきて試しにやってみたところ、ボクシングの魅力にすぐにとりこになってしまったそうです。
赤井英五郎の成績
■アマチュア戦績
8勝(4KO)6敗
■参考:父親・赤井英和の戦績
アマチュアボクシング:56戦 44勝 22KO・RSC 12敗
プロボクシング:21戦 19勝 16KO 2敗
獲得タイトル:アマチュアボクシング、インターハイ・ライトウェルター級優勝、アジアジュニア選手権ライトウェルター級優勝
赤井英五郎2015年9月にアマチュアボクサーとしてデビューすると、2連勝を飾り、日本アマ最高峰の舞台「全日本アマチュアボクシング選手権」への出場切符を手に入れます。
第84回全日本アマチュアボクシング選手権では初戦で勝利を収めるとベスト8進出を果たしています。
そして迎えた2018年12月の全日本社会人選手権ではミドル級(75kg以下)で3試合連続でレフェリーストップという文句なしの成績で優勝しています。
決勝の越川龍選手との対戦ではボクシングを初めて4年ながら積極的な姿勢を見せ、1ラウンドで勝負を決めています。
赤井英五郎の東京五輪は?
赤井英五郎さんの父親・赤井英和さんはモスクワ五輪でのメダルの期待を背負っていたものの、当時の政治情勢の影響で日本は出場辞退(ボイコット)となり、オリンピックへの出場を果たせませんでした。
赤い親子にとって悲願ともいえるオリンピック出場をかけて、赤井英五郎さんは2019年のボクシング男子の東京五輪予選代表選考会を兼ねた全日本選手権に東京五輪のミドル級に当たる75キロ級で出場。
同じ年の5月に左アキレス腱(けん)を断裂し、練習再開は9月と大きく出遅れていたものの、初戦の新穂陵(駒大)選手との対戦では、右の強打を浴びせまくって1回1分13秒、棄権に追い込んだ。
これまで父親譲りの強烈なフックの連打などで相手をなぎ倒し、快進撃を続けていた赤井英五郎さんですが、準々決勝では東洋大学の田中廉人選手を相手に、ほとんど見せ場を作ることができないまま敗退。
東京五輪出場の夢はかないませんでした。
赤井英五郎がプロ転向!
赤井英和の長男がプロ転向 父の夢継ぎ世界王座狙う
「浪速のロッキー」と呼ばれた元プロボクサーの俳優赤井英和(61)の長男英五郎(26)が15日、名門・帝拳ジムからプロデビューすることを表明した。アマチュアで目指した東京オリンピック(五輪)出場の可能性が19年に消滅。父が歩んだ道を追うようにプロ転向を決断した。今年の東日本ミドル級新人王にエントリーし、プロデビューする予定。大けがで引退を余儀なくされた父が届かなかった世界王座獲得を将来的な目標に掲げた。
父譲りの強打を誇る赤井がプロ転向する。アマで目指していた東京五輪の夢が19年11月の全日本選手権で絶たれると、すぐプロ転向への気持ちがわき上がったという。「ボクシングを続けたい気持ちだった。いずれプロになろうと思っていた」。19年に左足アキレス腱(けん)を断裂し、20年2月には左手首の手術を受けたため、昨年は治療に専念。アマ時代から練習で通っていた名門・帝拳ジムを所属先に選択し、満を持して今年からプロボクサーとしての活動を開始する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/72afe6984a80f8d262efbdd0980da475f09b260f
赤井英五郎さんにとって、次なる目標は父親・赤井英和さんのプロ成績を塗り替えることで、
父親がマークした12連続KO勝利を目指しているそうです。
赤井英五郎のツイッターやインスタグラム
赤井英五郎のツイッター
赤井英五郎のインスタグラム
赤井英五郎のフェイスブック
赤井英五郎の高校や大学など学歴は?
赤井英五郎さんの通っていた学校名は明らかになっていないものの、小学校6年からアメリカ・ハワイで過ごしています。
高校ももちろんアメリカの学校に進学しており、大学はアメリカ・カリフォルニア州ウィディア大に進学しています。
赤井英五郎の身長・体重は?
赤井英五郎さんの身長体重は次のとおりです。
身長:179㎝
体重:77㎏(平常時)
ミドル級は75㎏以下なので、赤井英五郎さんに関しては試合前の減量はそれほど大変ではなさそうですね。
ちなみに、父親の赤井英和さんの身長は公式プロフィールでは177㎝となっているので、背の高さにほとんど差はありませんね。
赤井英五郎の家族は?父親・母親・兄弟姉妹は?
赤井英五郎さんの父親は、元プロポクサーで俳優・タレントとしても有名な赤井英和さんです。
■赤井英和のプロフィール
生年月日:1959年8月17日
年齢:60歳
出身地:大阪市西成区
最終学歴:近畿大学商経学部
所属事務所:プランニングメイ
出身高校:浪速高校
最終学歴:近畿大学商学部
浪速のロッキーと呼ばれた。
子供の頃から情に厚く喧嘩では負け知らずとして知られた赤井英和さんは高校からボクシングを始めると、高校三年生でアジアジュニアアマチュア選手権で優勝
アマチュア時代には勝率8割という圧倒的な戦績を残してプロ転向すると、とんとん拍子で勝ち進みます。
ただ、1983年7月7日にはWBC世界スーパーライト級王者ブルース・カリー(米国)に初挑戦して7回TKO負けを喫すると、
1985年2月5日には2度目の世界挑戦の前哨戦となる大和田正春と対戦しますが、7回KO負けを喫します。
この時、脳出血を起こして意識不明の重体となった。緊急手術を受けて一命を取り留めたものの、死のふちをさまよった結果、引退を余儀なくされました。
以降はテレビ番組に多く出演するようになり、俳優タレントとして活躍。高級住宅地として知られる成城には6億円とも8億円とも言われる豪邸を立てるほどになりました。
赤井英五郎さんがボクシングを始めるにあたっては、父親の赤井英和さんの大けがを目の当たりにした母親・桂子さんは大反対。
それに対して、赤井英和さんは大喜びで、なんと1か月後には自宅の地下に500万円を掛けてトレーニングジムを作ってしまったそうです。
そんな赤井英和さんには兄弟がたくさんいます。
赤井沙希さんは赤井英和さんと前妻との間に生まれた娘(1987年1月24日生まれ、34歳)なので異母兄弟。
タレント・プロレスラーとして活躍していますが、沙希さんが2,3歳の時に両親が離婚したため、デビューするまで面識はなかったそうです。
母親がボクシングのトレーナーをしていたことから、自然と格闘技が好きになり現在はDDTで人気プロレスラーとして活躍しています。
芸能界にも10代でデビューしていて2006年には旭化成のキャンペーンモデルに抜てきされています。
格闘技の方は2013年8月のDDT両国大会でプロレスデビューし、2014年のプロレス大賞で女子初の新人賞を受賞。得意技はケツァル・コアトル。
赤井英和さんと佳子さんの長女にあたるのが赤井つかささんです
名前の由来は、赤井英和さんが出演した宮沢りえさん主演ドラマ「東京エレベーターガール」で、
宮沢りえさんの役柄の名前が「沢木つかさ」だったことから、
単身赴任中の既婚者という設定で出演していた赤井英和さんはその名前をすっかり気に入ったと言われています。
赤井つかささんは「2017 ミス・ユニバース・ジャパン」東京大会最終選考会にて特別賞に選ばれます。
赤井英和さんの次男は、過去に俳優もしていたこともある赤井英佳さんです。
2015年の日本テレビ系『24時間テレビ』内のドラマで親子共演を果たしていますが、どうやらカリフォルニア在住のようです。
さらに、英佳さんの下に、実は双子の娘さん、ももこさんとさくらこさんも誕生していますが、
未熟児で臓器が十分に発達していなかったことから、それぞれ生後3日、7ヶ月でその短い生涯を終えています。
赤井英五郎の彼女は?
調査中
赤井英五郎さんのプライベートについて調べられる範囲ではスキャンダルが報じられたこともなければ彼女に関する情報は一切ありませんでした。