秋野暢子さんは若い頃、その清純なたたずまいから「吉永小百合の再来」と称された女優。
ドラマ、映画のほかバラエティー、舞台など活躍の場を広げる秋野暢子さんの気になるプロフィールをまとめています。
秋野暢子wikiプロフィール
生年月日: 1957年1月18日
年齢:66歳
出生地: 大阪府大阪市中央区
身長: 170 cm
血液型:A型
所属事務所:カフナロック
出身小学校:大阪市立弘治小学校(2015年に閉校)
出身中学校:四天王寺中学校
出身高校:四天王寺高校
元夫: 田代冬彦(1983年 ~ 2001年)
大阪・ミナミの裕福な呉服屋の末娘として誕生しますが、父親が知人の借金を肩代わりすることになり店も家も失うことに。
物心ついたころにはかろうじて残った蔵で貧乏な生活していたそうです。
秋野暢子の元夫は田代冬彦
秋野暢子さんも元夫はTBSホールディングス執行役員、東通代表取締役社長の田代冬彦さんです。
1983年に当時まだTBSテレビのプロデューサーだった田代冬彦さんと結婚し、10年後の1993年に夏子さんを授かっています
2001年に田代冬彦さんと結婚19年目で離婚をしてシングルマザーとして娘を育ててきました。
田代冬彦さんは秋野さんと離婚した翌年に一般女性と再婚すると現在はTBSHD執行役員グループ経営企画局付兼東通代表取締役社長を務めています。
秋野暢子の若い頃
1974年にNHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』のウェイトレス役でデビュー。
1975年にはNHK連続テレビ小説『おはようさん』のヒロインに抜擢
1976年 TBS『赤い運命』では主演の山口百恵さんのかたき役を熱演。
この役の反響がすごかったらしく、私生活では娘に石を投げられたり、母親は商店街でモノを売って貰えなかったそうです。
1977年 「愛はみなし児」にて歌手デビュー
1986年 映画『片翼だけの天使』で第60回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞
秋野暢子の現在
<秋野暢子>がん治療で自らスキンヘッドに 医師の言葉にあぜん 「徹子の部屋」で
女優の秋野暢子さんが、2月13日午後1時から放送される黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演する。
秋野さんは昨年、けい部食道がんを公表し、放射線と抗がん剤治療を終え仕事に復帰した。「健康自慢の自分がなぜ病気に?」と初めは戸惑いもあったが、気持ちを切り替え、治療で髪が抜ける前に自らスキンヘッドにした。しかし、医師の思わぬ言葉にあぜんとしたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/860ee22b49805ab2068fee4e225218a7d2b9b5a1
秋野暢子さんは2022年6月にステージ3の頸部食道がんなど5つの重複がんが判明。
8月に全30回の放射線治療が、10月には全4クールの抗がん剤治療が終了。4カ月半に及ぶ闘病生活を乗り越え現在は仕事を再開しています。
ちなみに自身が終末を迎えた際に、残された家族が困らないよう判断や手続きに関する必要な情報を記した「エンディングノート」を60歳になってから毎年年末に書き換えているそうです。
60歳で「日本尊厳死協会」に入会して「延命はしないでほしいという意思表示です」ともコメントしています。
現在はボランティア活動に力を入れ、2018年には一般社団法人「0(ぜろ)から100(ひゃく)」を設立しています。
秋野暢子のツイッターやインスタグラム
秋野暢子のツイッター
秋野暢子のインスタグラム
秋野暢子のフェイスブック
秋野暢子の高校や大学、中学の学歴は?
秋野暢子さんの通っていた高校・大学は次のとおりです。
出身小学校:大阪市立弘治小学校(2015年に閉校)
出身中学校:四天王寺中学校
出身高校:四天王寺高校
四天王寺中学・高校は中高一貫校では大阪で最も難しい進学校として知られています(偏差値は71~75)
小学校では「吃音」を抱えていたということで声を出すことができず、いじめられっ子だったようですが小学校の学芸会で観客や同級生から拍手喝采を浴びたことから中学校で、演劇部に入部。
そして、対人恐怖症と声が出せない病気を克服しました。
演劇部では公演が近くなると四天王寺の境内にある亀の池の前に全員が立って、大きな声でせりふをいったり、ランニングで境内を走ったりしていたそうです。
高校在学中にはこの演技力が注目されてNHKテレビ小説「おおさか・三月・三年」にウェイトレス役で出演しています。
秋野暢子の身長・体重は?
秋野暢子さんの体重については具体的な数字は公表されていないものの身長は170㎝です。
秋野暢子の現在・若い頃まとめ
秋野暢子は1959年に生まれ、1970年代後半から1980年代にかけて女優として活躍しました。若い頃は、清楚で美人として知られ、多くの人気ドラマや映画に出演していました。
秋野暢子のデビュー作品は、1978年に放送されたドラマ「特別機動捜査隊」で、その後も「太陽にほえろ!」「西部警察」「熱中時代」「あぶない刑事」など、多数の人気ドラマに出演しています。映画においても、「ミッキーの初恋」や「ハツカネズミの時間」などに出演し、演技力を発揮しました。
1993年12月24日に長女が生まれますがその前には流産した経験があります。
流産については、具体的な詳細は公表されていませんが、秋野暢子が自身の著書で「とてもつらい体験だった」と述懐していることが報じられています。結婚生活についても、具体的な詳細は明らかにされておらず、秋野暢子本人も過去に「私生活については語りたくない」と公言しています。