秋山利輝さんは現代でも新入社員を雇用する際に「丁稚制度」を貫く秋山木工の社長。秋山木工は家具を制作している会社ですが、取引先は超一流ばかり!
一流の職人を育てることを生涯のミッションとしている秋山利輝さんの気になるプロフィールをまとめています。
秋山利輝wikiプロフィール
名前:秋山利輝
生年月日:1943年(昭和18年)
出身地:奈良県明日香村
秋山利輝さんの生まれた実家は食べるものは麦飯とたくあんとしかないというほど苦しい生活だったようです。
学校に行っても教科書やノートがなかったため、成績は”オール1”で最下位。
ただ手先だけは器用だったことから家の修繕などの大工仕事は子供の頃から秋山利輝さんが担当、近所の家の修繕も行っていたそうです。
秋山利輝の経歴
秋山利輝さんにとって転機となったのは中学校卒業の日。
高校進学のめどもなかった秋山利輝さんに先生が大阪の注文家具屋への就職を紹介されると、すすめられるがまま就職します。
厳しい修行に耐える日々が続きますが、努力が実を結び、秋山利輝さんが丁稚になって7年目の22歳の頃には現在の貨幣価値で100万円に相当する月収を得られるほどの職人に成長しえいます。
もともとは会社経営なんてしようと思っていなかったそうですが、「21世紀は昔ながらの利他の心を持った〝できた職人が必要になる」という結論に至ったことから、
1971年に27歳で独立すると、仲間2人と共に3人で有限会社秋山木工を設立し丁稚制度でコツコツ人を育てるようになります。
「木と会話できなければ職人じゃない」と、家具職人としての心構えを語る秋山利輝さんの秋山木工のコンセプトは、「100年でも200年でも使うことのできる家具」
一流の職人集団として家具業界では名高く、社員数34人ながら年商13億円を稼ぎ出す超優良企業へと成長。
特注家具の依頼主には迎賓館や宮内庁、一流企業の名前も並び、職人の技を競う“技能五輪全国大会”では毎年のように金メダル・銀メダル・銅メダルの独占受賞も続けています。
秋山木工が考える家具とは、ただの「モノ入れ」ではありません。丁稚の頃から心身を鍛え、技術を研磨して日本の伝統を受け継いできた職人が、お客さまのご要望の先にある「想い」を形にしています。
たしかな技術と、人を喜ばせたいという職人の想いの心、そしてお客さまとの想いの連鎖ができてこそ、魂が揺さぶられるような本物の家具が生み出される。私たちはそう考えています。
こうして生まれた家具こそが、お客さまの愛情に育まれながら、何代でも受け継がれる、かけがえのない存在になってくれると信じています。
「世界にたった一つの家具」とともに生きる喜びを、全力でお手伝いします。
秋山利輝の本・DVD
秋山利輝さんはこれまでに、次のような本を出版しています。
一流を育てる 秋山木工の「職人心得」
一流を育てる日めくり 秋山木工の「職人心得三十箇条」
丁稚のすすめ
■丁稚のすすめ
女も坊主。起床は5時前。携帯・恋愛もちろん禁止。仕事で迷い、悩んでいるなら、かつて日本人が実践してきた、苦しくも実りある、この働き方に学んでみよう。
第1章 女も坊主。丁稚に課した10のルール(自己紹介がきちんとできないと入社できない;入社したら、男も女も全員坊主になる ほか)
第2章 不器用な人間ほど一流になれる(初仕事は家具の納品から;先輩が後輩を指導する ほか)
第3章 私が家具職人を目指した理由(秋山木工を設立した理由;貧しかった幼少時代 ほか)
第4章 一人前になったらクビにする(なぜ8年で辞めさせるのか;会社の命令系統の難しさ ほか)
第5章 真の職人になるために必要なこと(いまの時代には“一流の職人”が求められている;職人にとって大事なのは、技術ではなく人間性 ほか)
■一流を育てる日めくり 秋山木工の「職人心得三十箇条」
秋山木工の『職人心得三十箇条』は、職人としての心構えを説いたものです。
でも、特別なものはひとつもありません。
礼儀、感謝、尊敬、気配り、謙虚な心……など、
昔から日本人が実践してきた教えを大切にすれば、「心」は自然と育ちます。
1回では忘れてしまうことも、100回、200回と繰り返せば何とかなります。
人は誰でも、一流になれる芽を持っているのです。
『職人心得三十箇条』は、職人だけでなく、
ビジネスマン、商売をされている方、学校の先生方、
世の中で人と関わりながら生きているすべての方の役に立ちます。
ぜひ、みなさんのお仕事に人生にお役立てください。
■一流を育てる 秋山木工の「職人心得」
入社したら男も女も丸坊主。
5年間の研修期間中の恋愛は絶対禁止。
携帯電話、メールも禁止、代わりに手紙を書く……。
「秋山木工」は注文家具を作る職人集団です。
徒弟制度を取り入れた独自の人材育成制度に注目が集まり、
全国から、海外からも
多くの経営者や幹部の方々が、
続々と見学に訪れています。
この『職人心得三十箇条』は、
秋山木工の職人育成制度の基本中の基本で、
職人としての心構えを説いたものです。
修業期間中は、毎朝、全員で唱和し、
潜在意識に落とし込みます。
「挨拶のできた人から現場に行かせてもらえます」
「連絡・報告・相談のできる人から現場に行かせてもらえます」
「明るい人から現場に行かせてもらえます」
「周りをイライラさせない人から現場に行かせてもらえます」
一流の基本といっても、
特別なものはひとつもありません。
礼儀、感謝、尊敬、気配り、謙虚な心……など、
昔から日本人が実践してきた教えばかりです。
人としての基本を大切にすれば、
「心」は自然と育つのです。
心が一流になれば、技術も必ず一流になります。
職人だけでなく、
ビジネスマン、商売をされている方、
学校の先生方、子育て中のお母様お父様、
世の中で人と関わりながら生きているすべての方の役に立ちます。
秋山利輝の高校や大学など学歴は?
秋山利輝さんの通っていた高校
については学校名は明らかになっていないものの、
秋山利輝の結婚した嫁や子供は?
秋山利輝さんは実は2度の結婚をしています。
1度目の結婚では2人の娘を授かったもおの、結婚した嫁の史さんが病死。秋山利輝さんはお棺にすがりついて「俺も一緒に焼いてくれ」と泣いてたそうです。
その後、しばらくは独身だったようですが、60代になってからなんと30代の女性と再婚をしています。
嫁の方が秋山利輝さんに惚れたということで、結婚前は相手の両親・家族に猛反対をされたものの、それでも結婚すると、2009年ころには第1子の男の子が誕生。
2012年ころには第2子・男の子も生まれているようです。
秋山利輝の年収は?
調査中
秋山利輝さんの会社では社員数30人余りで年商10億の売上となっています。
単純計算すると1人当たり3000万円の売上で、社員一人当たりの平均給料は1000万円程度になりそうです。
ただ秋山木工の初任給は20万円にも満たない水準となっていることから、秋山利輝さんの年収は3000万円、4000万円といった水準なのかもしれませんね。