芥川龍之介の家系図はどうなっているんでしょうか?
芥川龍之介の孫や子孫は今でも存命なのでしょうか?子供の名前は?
芥川龍之介の家系図|孫・子孫は?子供の名前は?
芥川龍之介の家系図で孫・子孫は次のとおり
■子供
芥川比呂志(長男) – 俳優
芥川多加志(次男) – もっとも文学志向が強かったが、東京外国語学校仏語部在学中に召集され、1945年(昭和20年)4月13日にビルマ(現・ミャンマー)で戦死[38]。
芥川也寸志(三男) – 作曲家
孫
芥川耿子(比呂志三女) – エッセイスト、詩人、童話作家
芥川貴之志(也寸志長男)- ファッションデザイナー[39]
芥川麻実子(也寸志長女)- メディアコーディネーター
子供の名前は、それぞれ親友の菊池寛の「寛」(比呂志)、小穴隆一の「隆」(多加志)、恒藤恭の「恭」(也寸志)をもらって万葉仮名風に一字一音から漢字を替えてつけたものである。
長男 比呂志……作家菊池寛の「寛」を「ひろし」と読ませた。
二男 多加志……画家小穴隆一の「隆」を「たかし」と読ませた。
三男 也寸志……法学者恒藤恭(つねとう きょう)の「恭」を「やすし」と読ませた。
芥川龍之介は「たつのすけ」と間違えられることが 嫌いだったそうです。
それで 子ども達には、人から間違えられない名前を付けたそうです。
芥川には笑顔の写真がほとんど存在しないが、晩年のフィルム映像では、息子たちと笑顔を見せる芥川の姿が記録されている。このことから子煩悩であったことがうかがえる。なお、この映像では比呂志と多加志は映っているが、也寸志はこのとき家の中で寝ていたため映っていない。
也寸志の回想によれば、父の遺品にはSPレコードがあり、そのうち多くを占めていたのはストラヴィンスキーだったという。『火の鳥』(組曲版)と『ペトルーシュカ』を所有していたというが、演奏者などの詳細は不明である。
芥川龍之介の子供|比呂志
芥川龍之介の長男
俳優
芥川龍之介の子供|多加志
芥川龍之介の次男
もっとも文学志向が強かったが、東京外国語学校仏語部在学中に召集され、1945年(昭和20年)4月13日にビルマ(現・ミャンマー)で戦死[38]。
芥川龍之介の子供|也寸志
芥川龍之介の三男
作曲家
小説家・芥川龍之介の三男として東京市滝野川区(現・東京都北区)田端に生まれる。母は海軍少佐・塚本善五郎の娘・文。兄は俳優・芥川比呂志。也寸志の名は龍之介が親友の法哲学者・恒藤恭(つねとう きょう)の名「恭」を訓読みし万葉仮名に当て命名された。
ロシアでの紹介はヤスシ・リューノスケビッチ・アクタガワ。
父は1927年に自殺したが、也寸志は父の遺品であるSPレコードを愛聴し、とりわけストラヴィンスキーに傾倒した。兄弟で毎日『火の鳥』や『ペトルーシュカ』などを聴きながら遊び、早くも幼稚園の頃には『火の鳥』の「子守唄」を口ずさんでいたという。絵本の詩を即興で作曲することもあったが、当時まだ五線譜を知らなかったので、自己流の記譜法で書きとめた。このとき作った節を、作曲家になった後で気に入って自ら出版したこともある。
芥川龍之介の孫|耿子
芥川龍之介の孫で比呂志の三女
エッセイスト、詩人、童話作家
芥川龍之介の孫|貴之志
芥川龍之介の孫で也寸志の長男
ファッションデザイナー
芥川龍之介の孫|麻実子
芥川龍之介の孫で也寸志の長女
メディアコーディネーター
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まとめ:芥川龍之介の家系図|孫・子孫は?子供の名前は?
・子供
芥川比呂志(長男) – 俳優
芥川多加志(次男) – 最も文学志向が強かったが、1945年(昭和20年)4月13日にビルマで戦死
芥川也寸志(三男) – 作曲家
・孫
芥川耿子(比呂志三女) – エッセイスト、詩人、童話作家
芥川貴之志(也寸志長男)- ファッションデザイナー
芥川麻実子(也寸志長女)- メディアコーディネーター