アレクサンドル・ニコラエヴィッチ・コミン(Александр Николаевич Комин、1953年 – 1999年6月15日)は、キーロフ地方のヴィヤツキー・ポリャニーという町で生まれました。
ヴャツキエ・ポリャーヌイで1995年1月から1997年7月までの2年半に渡り、誘拐・監禁・殺人を犯した。
アレクサンドル・コミンがロシア奴隷監禁事件の犯人
アレクサンドル・コミンは高校卒業後、18歳のときに犯した犯罪で3年間の懲役を言い渡された。
服役中に、数人のホームレスを地下に閉じ込め、自分のために働かせていたという罪を犯した一人の囚人と出会ったのだ。
人に対して無限の力を享受している人を見たのは初めてで、自分も同じことを経験したいと思った。
また刑期中には刑務所内の縫製工場で働いていた。彼は仕立て屋の仕事が好きだったので、出所後、縫製の専門学校を卒業した。
しかし、小さな町では縫製の仕事を見つけるのは難しく、彼は監視員、電気技師、便利屋などの仕事をしていた。
ソ連の崩壊のどさくさに紛れて、コミンは奴隷を監禁するチャンスをうかがうようになります。
まず最初に、友人のアレクサンドル・ミヒェフに計画を提案し同意を得た。
当初のコミンの計画は、地下室の中に電気暖房付きの温室を設置して野菜を育てることだけで、結果的に友人は騙された。
その後、コミンとミヒェフはカフェで栽培した野菜を売ることを計画した。彼らの計画によれば、階下で働くのは自分たちではなく、年季奉公人である。
コミンは、車は持っていないがガレージを所有していた。すぐにコミンも新しいアイデアを思いついた。自分で縫製業を立ち上げることだ。
2人は4年近くかけてガレージの下に地下壕を掘り、電気や換気、エレベーターの役割を果たすウィンチを設置し、1995年初頭には地下刑務所が完成した。
やがて、未来の奴隷を探す旅が始まった。コミンとミヒェフは街を歩き回り、1995年1月13日、コミンはあるヴェラ・タルパエバと出会いガレージに連れていくとクロフェリンを混ぜたウォッカを飲ませた。
最初、タルパエバは模範的な囚人だった。コミンは彼女で性欲を満たしたが、彼女は裁縫ができず、習いたいとも思わなかった。
タルパエバそこでは、次の囚人となる仕立屋のタチアナ・メルニコワをコミンに紹介し、恋人のニコライ・マーリクと共にガレージに招待すると、やはりクロフェリン入りのウォッカで眠らせ監禁した。
マリークを裸にしてガレージから連れ出すと意識を失ったまま放置した。彼の遺体は1週間後に発見された。
警察は、マリークに犯罪歴のあったことから飲み過ぎて路上で寝てしまい、凍死したという見解で捜査は打ち切られた。
メルニコワは、コミンのためにローブやパンツを縫い始め、市場や企業で販売した。同じ頃、地下壕の建設が続いていたが、タルパエバは未熟な労働者だった。しかし、彼女はほとんど役に立たなかったので、コミンは囚人に掘ってもらうことにした。1995年3月21日、コミンとミケーエフは、ウリツキー通りの店の外で、気丈だが酒好きの37歳、エフゲニー・シショフと出会った。酒を飲むことに同意し、すぐに地下壕に入ったが、建設現場ではシショフはほとんど役に立たなかった。コミンは、Shishovが4級の電気技師であることを知った。コミンは、バンカーの電気アセンブリーを解明して、ラダーを電流から切り離すことを囚人の誰にも許さなかった。彼はシショフの処刑のために電気椅子を作った。むき出しのワイヤーを足と腕に巻きつけ、ソケットに差し込んで、タルパエヴァとメルニコヴァに2つのスイッチを同時に押させた[4]。シショフの遺体はウインチで吊り上げられ、森に運ばれて埋葬された。
一方、メルニコワもコミンの要求を満たすことができなかったことから、コミンは新しい囚人を探すためにタルパエバをまたも利用します。
1995年7月16日、タチアナ・コジコバをコミンのガレージに連れてきて、メルニコワがコジコバを鍛えた。
コミンの監禁ガレージでは1日16時間労働で、1日32ルーブルの日当も支払われていたが、メルニコワとコジコワは脱出を決意した。
コミンがガレージを開けて、中にいるときだけ梯子のプラグが外されることから、2人は隙を見て、コミンを部屋の中に閉じ込めた。
しかし、脱出は失敗に終わりすぐにコミンにつかまると、彼女たちは口を耳まで切り裂くか、顔に「奴隷」の烙印を押すかの選択を迫られた。
2人は結局、後者を選び、首輪と手錠をはめられるようになった。
その間にタルパエバは新しい囚人を探すはずだったが、突然姿を消してしまった。
タルパエバの捜索中、ホームレスの若い女性(27歳のタチアナ・ナジモワ)を囚人として監禁したが1年もすると、コミンは彼女も殺害。
ナジモワの死体をソリに乗せて市の遺体安置所に運某としたところ、誰かに見られる危険を察知して死体を捨てて逃走した。
この間、コミンもごく普通の生活を送っていた。彼は同居人と一緒にシュコルナヤ通り53番地のアパートに住んでいたが、毎日、ガレージに通っていた。
同居人も近所の人も、彼がいつも誰もいないガレージに行くことを不思議に思っていなかった。また、コミンは労働局に失業者として登録され、通常の失業給付を受けていた。
コミンは社会活動にも参加していた。この時、彼はすでに起業家としての成功の頂点に立っていた。
1997年1月、コミンは行方不明になったタルパエワと街中で思いがけず出会うと、彼女に新しい協力条件を申し入れた。
その数日後、タルパエワはイリーナ・ガニュシュキナという22歳の女性をガレージに連れてきた。
コミンは、自分のために新しい奴隷を育て始めるために、ガニュシュキナを人工的に(注射器で)妊娠させようとした。
コミンはタルパエワを殺害したが、ナジモワとは異なり、彼女は数時間にわたって拷問を受けた。
コミンの逮捕は、彼自身のミスによるものだった。
彼はガニュシュキナと恋に落ち、彼女との正式な結婚を望んだ。コジコバとメルニコワは、これが脱出のチャンスだと思い、ガニュシュキナを説得して協力を得られるようにした。
1997年7月21日、コミンが数分間ほどアパートに放置した隙に警察に駆け込んだ。
コミンと、彼の後に逮捕されたミヒエフは、すぐに容疑を始め、4件の殺人、他の3人の不法な監禁、奴隷労働の使用、不法なビジネス活動を白状した。
1999年、キーロフ地方裁判所は、アレクサンドル・コミンに無期懲役の判決を下した。有罪判決後、コミンは独房で鼠径動脈を切断して自殺した。
共犯者のアレクサンドル・ミヒエフは懲役20年の判決を受け、2017年に釈放された。
仰天ニュースで紹介されたアレクサンドル・コミンの犯行の手口
1997年7月、モスクワの東にある小さな田舎町ヴャツキエ・ポリャーヌイで恐ろしい事件が発覚した。
1995年1月13日、街の盛り場を彷徨う貧しい未亡人ヴェーラはある人物によって街外れのガレージの中の地下室に放り込まれた。
その人物は彼女に酒を振舞い、もっと飲ませてやるからとガレージへ連れ込んだ。徹底的に酔わせ意識を失わせた。そして彼女をバックにつめた。
そのまま6メートルの地下へ。そこは女性を閉じ込める為に作られた地下室。ヴェーラを監禁した人物とは、このガレージの所有者アレクサンドル・コミン。元々コミンは腕のいい電気工事の技師。家庭もあるまじめな男だった。ところが妻が他の男の元へ。彼は女たちに拠り所を求め金をつぎ込んだ。が、直ぐに女に裏切られ、その頃からコミンにはとにかく女を服従させたい。そんなねじれた思いが生まれた。そしてある計画が・・・。目をつけたのが貧しいヴェーラだった。身寄りの無い彼女なら居なくなっても誰も騒がない。闇に浮かび上がる室内。コンクリートで塗り固められなぜかミシンだけが置いてあった。混乱する彼女にコミンは自らの地下王国の計画を明かした。ヴェーラに拒む余地などなかった。
ドアが開く前に首輪と足かせを自分でつけろという。それはまさしく奴隷の屈辱だった。出入り口は銃はおろか爆弾にもビクともしない扉だけ。窓も無く閉ざされた密室。ヴェーラはただ気が変になりそうなのをおさえる事に必死だった。彼女を閉じ込めたコミンの地下室。それは、計画的につくられたまさに秘密の王国だった。決して逃げ出せず、叫び声さえ聞こえない地下室を作る。それは一人では到底、無理な作業だった。そこで幼馴染みの男昔から内気でコミンの言いなりだったやさしいミヘエフを誘った。ただし女を監禁するという事は秘密だった。たった二人の手作業で。それは誰にも気づかれなかった。昼は電気工事技師として働き、夜と休みの日は全てこの執念の作業に没頭した。掘り始めて4年。その地下王国完成の姿が見えてきた。深さ17メートルまで掘り、5・5メートルの所に僅かなスペースを設けた。計画を知らせされるも気弱なミヘエフは従うしかなかった。
日に何度も下に下りては自分の奴隷が大人しくしているか確かめる。彼が現れることがヴェーラにとっては恐怖だった。言いつけ通り首輪と足枷をつけて、ただコミンの命令を待つ。すると大量の生地を抱えて現れた。命令は意外なものだった。今日からこのミシンで売り物になる服を縫いまくれとの命令。言われるままに一日中作り続けなければならなかった。コミンの監視を受けながら。暴力への恐怖。だが彼女の服従はそれだけが原因ではない。人間は日光を浴びないとビタミンDを作れない。それが不足すると骨が弱り情緒も不安定になる。心身ともに活力を与えてくれる太陽。日照時間の少ない北欧で日光浴が盛んなのはその為である。だがこの地下室では僅かな太陽にもあたれない。ヴェーラはコミンに歯向かう力も口答えする気力も失い、黙々と縫い続けた。彼女には一日26着という厳しいノルマが課せられた。安く買った生地で作らせた服は、コミンが市場で売りその儲けで暮らそうという計画だった。服はいい値段で引き取られた。そして、彼のもくろみ通り身寄りのないヴェーラが姿を消しても誰も探すものはいなかった。大人しく従っていれば食事が与えられる。好きな酒ももらえる。その日暮らしを送っていたヴェーラには、あろう事か地上の生活より地下の生活がましに思えてきた。しかし、ミスがあると容赦なく制裁が加えられた。私一人じゃ無理です。友達を連れてくるというヴェーラの訴えを一度は退けたが、従順なその姿にコミンは試してみようという気になった。コミンは半日だけ外出を許した。ヴェーラにとって久しぶりの太陽だった。そして数時間後。ちゃんと戻ったヴェーラの後ろには幼馴染みのメリニコヴァと恋人のニコライ。一緒に酒を飲もうと言葉巧みに誘ったのだ。ウォッカの瓶には既に睡眠薬を混ぜてあり、2人は何の疑いも無く飲んだ。ヴェーラは完全にコミンに服従していた。一人っきりの地下での生活は寂しく仲間が欲しいと思っていたのだ。いったん地下まで連れては来たが、男は必要なかった。コミンに酔いつぶされたニコライは恋人メリニコヴァの不安をよそに外へ運び出された。ロシアの春先の空の下、裸にされた彼は森の中へと放置された。やがてニコライの死体が発見されたがコミンのもくろみ通り酔っ払いの凍死として処理された。
そして次なる犠牲者がタチアナ・コジコヴァだった。陽気で頭の回転が速く真面目な女性。隣町に嫁いだがうまくいかず、仕事を探しに一時的に戻って来ていた。コミンにとって賢い女ほど征服したいという欲求は大きかった。3人の身寄りの無い女性たちが、姿を消した事など何のニュースにもならないまま月日は流れた。一人の男が快楽の為に作った地下王国。分厚い扉の中で一生をここで終わりたくないと願い続けるコジコヴァ。ここを出るための手段。この状況を外に伝える手立てはある。あたためた作戦を遂に実行する時が来た。小さな紙に住所と「地下室に閉じ込められています。警察に連絡して。」とメッセージを書く。コジコヴァそれをたたんで服にこっそり縫い付ける。買った人が気付いてくれるのを期待して。後は無事に誰かの手に届くのを祈るだけだった。いつもの市場。この店頭に並びさえすれば、彼女たちは助かるかも知れない。そして気付いたのは客ではなく、店の主人。だが。そこにはまだコミンがいた。希望は絶望へと変わった。
従わなければ鞭打ちの刑。死ぬまで泣き叫んでも6メートルの地下の声は誰にも聞こえない。鎖で吊られたままコジコヴァは2日間意識を失った。さらに制裁は続いた。連帯責任で食事は全員鶏の餌。コミンを油断させる事よ。その為に大人しく働いて、服従したフリをすると、コジコヴァは黙々と働いた。一人一日26着のノルマ。それを一着5ドルで売る。光の差さないこの薄暗い地下の一室から生み出される儲けは一日400ドル。日本の価値に換算すると、50万円分に相当する程。そんな大金をコミンは何に使ったのか。買いあさるものは全て建築材料。遊びまわる事もせず、次なる計画へ向け動き出していた。
今の地下室の下にさらに地下室を作る計画のため、コミンは儲けの殆どをつぎ込んだ。彼女たちは毎日のノルマをきっちりこなした。しかし外の様子が分からないストレスは日に日にたまる。天気もコミンの服から判断するしかない。そこで時間が分かればきっと仕事もはかどると時計を置いてほしいと訴えた。作業能率があがるならと地下にはカレンダーが張られ、時計が置かれた。しかし、コジコヴァにはある狙いが。コミンの行動を時間によって把握した。そんなある日。休憩時間でもないのに突然現れたコミンは奥の洗面所へ。無防備な男と開けっ放しのドア。静かにドアの外へ。この梯子を登れば脱出できる。しかしコジコヴァは気を失っていた。原因は梯子に手を触れた事。なんとコミンは万一の脱出に備え高圧電流を流していたのである。またも虐待が始まった。鎖で縛り付けた彼女の額にコミンは刺青を彫り始めた。額だけでなく2人の顔全体に何百回も針を刺した。逃げ出す気力を奪うため彼女たちの顔に奴隷という言葉のイレズミを入れた。
誰にも気づかれず地下王国ができて一年。また新たに女性が連れてこられた。22歳のイリーナは淑やか美しい娘。彼女の出現でコミンの態度が変わった。若いイリーナだけに注がれるおぞましい視線。イリーナだけには仕事はさせず毎日隣の部屋へ連れて出す。この状況がそれぞれの心に微妙な変化をもたらした。洗脳されているヴェーラはあの女をどうにかしなければ私の地位が危ない。ヴェーラに騙され連れて来られたイリーナは既に離婚はしていたが若い母親だった。その頃、母を失った幼子を想い祖母であるイリーナの母親が警察に届けていた。しかし行方を知るものもいない。地下王国の存在など知るよしも無い。そんなイリーナにジェラシーを抱くヴェーラ。一方、コジコヴァの想いは全く違っていた。これはうまく利用できるかもしれない。コジコヴァは考えた作戦を打ち明けた。鍵を握るのはコミンに寵愛されているイリーナ。もっとあいつをその気にさせて、惚れたフリをして女として惚れさせたら男には必ず隙が出来る。
翌日、イリーナはコミンに気のある素振りを見せ始めた。ヴェーラに外出を許したようにやがてイリーナにもその特権が与えられるかもしれない。同じ女性として忍びないやり方ではあったが、他に手は無かった。この状況に危機感を抱いたヴェーラの嫉妬は益々エスカレート。愛する彼女を罵るヴェーラを許せなくなったコミンは、毒入りのウォッカを飲ませ16時間もがき苦しんでヴェーラは息絶えた。コジコヴァはイリーナを励ましながら次なる作戦を指示した。それはイリーナがしたためた愛の詩。愛するあなたの子供が産みたいとの熱烈な思いに。コミンは。なんと涙を流し始めた。もちろんそれはイリーナの本心ではない。予想以上の手ごたえに女たちは毎晩、愛の詩をしたためてはコミンに送った。妻になってとのコミンの告白にイリーナに外に出ることを条件に答え、遂にイリーナはここを出る事となった。
「必ず助け出すから。」とコジコヴァにそっと告げ、彼女たちの思惑通りに脱出への突破口は出来た。イリーナにとって2ヶ月ぶりの外の世界。そしてコミンはイリーナの実家へ案内させた。そこは結婚するに当たってその事情を説明に来たのだ。半その内容とは、イリーナは悪い男たちに監禁されそこから何とか逃げてきたところで自分と出会ったと。そして彼女の面倒を見るうちに恋に落ち、結婚を決めたという身勝手なシナリオだった。この行動にはイリーナの捜索願を取り下げさせる狙いがあった。何度も母にシグナルを送ったが、真実を伝える事は出来なかった。やがてコミンの家での新婚生活が始まった。しかし、出かけるのはいつも彼一人。玄関には外からしか開けられない南京錠。地下で助けを待つ2人の事が心配ではあるが、失敗は彼女たちの死を意味する。コジコヴァもイリーナを信じ待つしかなかった。
そしてこの家での生活が4ヶ月を過ぎた7月のある日。コミンがいつものように出て行ったが南京錠をかけていなかった。チャンスは今しかない。コミンが帰る前に全てが発覚しないと犠牲者が出る。娘をしっかりと抱き自由の道へ踏み出す。夢中で走った。駆け込んだのは警察だった。イリーナが脱出したその日、地下室が開けられ。コジコヴァもメリニコヴァも無事救出された。2年半ぶりの太陽に目を傷めぬように保護されて全員助かった。信念と絆の賜物だった。地下室に7人を拉致監禁、うち4人を殺害したアレクサンドル・コミンはロシアでも最も重い終身刑。獄中で「イリーナに裏切られた事もこれから自分がどんな罰を受けるかも分かっている。それでもまだイリーナを愛している。これは本当だ。」と語った直後、彼はどこからか手に入れた刃物で静脈を切り自殺。共犯となった幼馴染みのミヘエフは懲役20年とされ今も服役中。脱出のプランを練ったコジコヴァには政府が金を出し顔の刺青を消す手術が施された。もう一人の被害者メリニコヴァの刺青は傷が深く、今も消せないままだった。惨劇の舞台となった地下室は今も残っている。