粟田貴也の経歴|年収や高校は?自宅の息子や父親も丸亀製麺社長?

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粟田貴也さんはあの丸亀製麺を擁する飲食店チェーン「トリドール」の創業者で、ワタミ創業者の渡邉美樹さんと並ぶ立志伝中の人物の一人。

たった1店舗から始めたお店が今や、世界中に展開するグローバル企業へと成長させた粟田貴也さんのプロフィールをまとめています。

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粟田貴也wikiプロフィール

名前:粟田貴也(あわたたかや)
出身地:兵庫県神戸市
生年月日:1961年10月28日
年齢:58歳
出身高校:加古川東高校
最終学歴:神戸市立外国語大学(夜間・中退)
職業:株式会社トリドールホールディングス社長

粟田貴也さんのことはトリドール社長と聞いてもピンとこない人が多いかもしれませんが、丸亀製麺をプロデュースした会社の社長といったほうが早いかもしれませんね。

トリドールでは元々は焼き鳥居酒屋からスタートしていて現在は丸亀製麺だけでなく、カフェ、ラーメン、天ぷら、とんかつ、パンケーキと幅広く飲食店を展開しています。

そんな粟田貴也さんは兵庫県神戸市出身で3歳の時から加古川に生まれ育っています。

高校3年生の時に大学進学も失敗したことから、母親のすすめもあって警察官の採用試験を受て合格し、春には兵庫県芦屋市の警察学校に入学することも決まっていたものの、
結局、1年浪人して大学進学しています。

粟田貴也の経歴

粟田貴也社長は大学進学したのは良いものの、学業にはあまり身が入らなかったようですね。

神戸外語大学を中退すると佐川急便で資金を獲得。

当時の佐川急便といえばハードワークの代わりに手取りで45万円を超える高い給料がもらえることが評判で
ワタミ株式会社の創業社長である渡邉美樹社長も佐川急便で開業資金を貯めています。

渡邉美樹社長が1984年(昭和59年)5月に第1号店として居酒屋つぼ八のFC店を東京の高円寺に出店したのとほぼ同時期に、
粟田貴也社長も1985年(昭和60年)も焼鳥店「トリドール三番館」を開業しています。

オープン後は閑古鳥が鳴く日々が続き試行錯誤の連続。

「お客様は、来なくて当たり前」という前提に立って考えた末に
女性客にターゲットを絞ってブームになりつつあった「チュウハイ」を取り入れて一気に繁盛店に。

その後、女性客のブームが去るなど浮き沈みがありながらもファミリー層にターゲットを絞ることで軌道に乗るようになり、
2000年にはセルフ式讃岐うどん専門店「丸亀製麺」をリリースしています。

香川県のうどんといえば普段は近所のうどん屋を素通りしている人で、わざわざ讃岐うどんを食べようと全国から人が集まる集客力・知名度・魅力を備えています。

粟田貴也社長は香川県のうどんについて「製麺所で手づくりの、できたてのうどんが食べられる」という付加価値、体験があり、つくり手やお客様のストーリーがあると分析。

その体験やストーリーにお客様はお金を払っているという結論から「できたてのその瞬間を食べる」業態として『丸亀製麺』のコンセプトを固めています。

飲食店チェーンといえば、サイゼエリアに代表されるようにセントラルキッチン方式が一般的です。

作る人のスキルによってクオリティが変わる属人化のリスクを排しながら設備投資を抑制しつつ、品質は均一化でき、稼働も安定すると一石三鳥・四鳥の戦略ですが、
粟田貴也社長は丸亀製麺ではあえて誰でもがすぐできるマニュアル化ではなく、手間暇かけた教育や研修など〝非効率〟な取り組みを地道に行なっています。

うどんの原料である小麦粉は温度・湿度に敏感で、製麺に携わる担当者の力量が問われる「人材の育成」が鍵を握る業態となっているものの、
うどん業界では史上初の全国47都道府県の出店を達成し、いまや全世界1600店舗を数え、グループ売上1100億円を誇ります。

ハワイ以外にも香港、上海、北京、モスクワ、シドニー、ソウルに子会社を設立し、バンコクでは同社初のFC店を展開し
丸亀製麺の大ヒットを受けて2006年に東京証券取引所マザーズ市場に上場、2008年に東京証券取引所第一部に市場変更しています。

ただ粟田貴也社長は現状には決して満足はせずモチベーションを高く保つために、私は「現状を否定する」ことを標榜していて、
現在はかつて1997年には30兆円にのぼった外食産業ですが、いまは25兆円に縮小している状況を打開すべくすでに様々な手を打っています。

焼きそば専門店「長田本庄軒」
極細醤油ラーメン専門店「丸醤屋」
自家製ゆでたて生麺ミートスパゲッティレストラン「神戸元町グリル三番館」
麺専門店「麺屋通り」
ファミリー層を顧客としてターゲットにしている釜飯と焼き鳥の「とりどーる」
揚げたてから揚げ専門店 「とりサブロー」

などなど様々な業態へと幅広く展開を続けています。

株式会社トリドールホールディングス
丸亀製麺などを運営するトリドールホールディングスの企業情報、経営理念、IR情報、サステナビリティの取り組み、グループ採用情報などをご覧いただけます。

粟田貴也のツイッターやインスタグラム

粟田貴也社長はツイッターやインスタグラムなどSNSアカウントは開設していないようです。

粟田貴也の高校や大学など学歴は?

粟田貴也社長は高校は、1924年(大正13年)創立の旧制加古川中学校の流れを汲む兵庫県内でも屈指の伝統校兵庫県立加古川東高等学校に入学しています。

大学は神戸市立外国語大学に進学をしているものの、夜間通学で卒業を待たずに中退しています。

粟田貴也の父親は?

粟田貴也社長の父親は兵庫県警の警察官をされています。

ただ粟田貴也社長が小学校6年生の時にのがをくも膜下出血で倒れ、中学校1年生の13歳の時に他界すると、
遺族年金もあり、生活が貧困を極めたわけではないものの、病弱な母親のパート勤務で2歳上の兄と一緒に育ててくれたそうです。

兄は現役の警察官として現在も働いているそうですが、
粟田貴也社長の父親の生まれ故郷は香川県丸亀市で小さな頃は毎年のように田舎に帰ってはうどんを食べていたことも、丸亀製麺創業のアイデアにつながったんじゃないでしょうか。

粟田貴也の結婚した嫁は?子供はいる?

粟田貴也社長は幼なじみの女性と結婚していて子供は2男1女に恵まれています。

初期費用600万円・家賃8万円で1店舗絵を開業したときにはすでに結婚していたそうで「3つの店が持てたらいいな」という願いを込めて「Tori doll三番館」としたそうです。

この時に粟田貴也社長が木に墨で手書きした看板はトリドール本社に掲げられているそうです。

粟田貴也の年収や資産は?

粟田貴也社長のトリドールの平均年収は733万円でした。

役員報酬はというと2018年3月期で取締役4名に対する報酬総額は1億4100万円となっていたので、年収はおそらく5000万円以上にはなるんじゃないでしょうか。

資産に関しては粟田貴也社長はトリドールの大株主で32.31%の株式を保有しています。株価時価総額は役1300億円弱なので、粟田貴也社長の資産はざっと400億円弱といったところでしょうか。

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