外務省に届けられた1枚の謎の手紙と地図にはなんとキャプテンキッドの財宝の在り処が!?
トカラ列島にある宝島島には17世紀に活躍した海賊「キャプテン・キッド」の財宝が隠されているという伝説があるようです。
キャプテンキッドの財宝はトカラ列島?外務省に
鹿児島県の屋久島と奄美大島の間に点在するトカラ列島は、北から、口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島の7島の有人島といくつかの無人島で成り立っていますが
トカラ列島の有人島の中では南端に位置する「宝島」は日本最後の秘境とも呼ばれ、隆起したサンゴ礁でできた周囲約13kmの小さな島は上空から見下ろすと島全体がハートの形をしています。
数多くの鍾乳洞もある「宝島」はイギリスの海賊、キャプテン・キッドが鍾乳洞に財宝を隠したという伝説が伝えられており、島名の由来になったとの説もあるようです。
島の形がキッドが残した地図が宝島の形に似ていることなどから、戦前の1936(昭和11)年に発行されたアメリカの雑誌 「MODERN MECHANIX」でキャプテンキッドの宝島の地図が紹介されたことをきっかけに、実際に国内外から多くの探検家や賞金稼ぎが財宝を隠したという鍾乳洞を訪れたといわれています。
そしてその翌年(昭和12年/1937年)2月4日のこと、アメリカ・コネティカット州サウシントンから一通の「日本・東京・日本領事館」というへんな宛名書きをした手紙が、外務省に舞い込みました。が外務省宛てに届きました。
差出人の名はな く「米国探偵家秘密情報員より」とだけあり、その内容は
「海賊キャプテン・キッドが1700年ごろに描き残した地図は、日本の南西諸島のどこかの島と思われる。ここには、1億ドル以上の金貨・宝石類が隠されているので、日本政府で探されたらいかが。もし成功したら応分の謝礼をいただく」
というものでした。
外務省の役人は取り合いませんでしたが、新聞記者がかぎつけ、翌日の各紙がこれを大々的に報道しました。
新聞には、「宝島」という見出しはあるものの、 それがトカラ列島の宝島であるとは書かれていません。
誰かが宝島に似ていることに気がつき、うわさが次第に広まったのではないかと思われます。
地図に基づき綿密な調査、発掘を行いましたが、残念なことにいまだ財宝は見つかっておりません。
かつて24時間テレビで、この財宝伝説がネタにされて宝の捜索が徹底的に行われたそうですが、それでも見つかりませんでした。
島内にはほかにも、「イギリス坂」という幕末にイギリス船が宝島に乗り込んできて、狼藉を働いたことに由来する坂もあるほど。
イギリスの作家スティーブンソンによる小説「宝島」のモデルになったという話しもあるようです。
※他にもモデルといわれている島は、ケイマン諸島のケイマンブラック島、ロス諸島のルーム島、クック諸島のスワロー島など複数あります
キャプテンキッドの財宝はトカラ列島?ネットの口コミは?
ちなみに、キャプテンキッドことウィリアム・キッドは1645年頃、スコットランドの牧師の家に生まれたとされ、その後、北アメリカのイングランド植民地に渡ります。
そして1688年、フランスとイングランドが戦争状態に入ると、各国は私掠船活動を奨励するようになったことで、
私掠船とは国家が公認した海賊のことでで、ワンピースで言うところの七武海に近いものがありますが、免許で認められたターゲットを襲う分には、公式な活動として「海賊」とはみなされというだけ。
実際には有象無象の私掠船が南米~東南アジアを中心に侵略行為をしていたようです。
私掠船の船長として武功を挙げていたキャプテンキッドはイギリスの政財界からの出資をつのり「アドベンチャー・ギャレー号」を完成させると東インド会社やムガール帝国のあるインドから太平洋を横断してニューヨークに向かっています。
その最中にトカラ列島・宝島に立ち寄っていたとしても不思議ではないでしょう。