1974年にアメリカ・アイオワ州で当時17歳だったメアリー・ジェイン・ジョーンズ殺人事件。
事件からしばらくは証拠が不十分で犯人逮捕には至らなかったものの、DNA鑑定の結果が証拠として採用されるようになった結果、38年の時を経て犯人逮捕となりました。
Iowa murder 1974 Mary Jayne Jones
コールドケース「アイオワ州の1974年ウェイトレス殺人」事件の概要
1974年4月9日、アイオワ州ブレイクバーグ近くの孤立した農家で17歳のメアリー・ジェイン・ジョーンズが殺害されているところを発見。
裸でベッドの上に置かれた彼女の遺体には殴られ、顔と心臓を高出力のライフルで至近距離から撃たれた生々しい事件の様子がありました。
ノースカロライナ州フェイエットビル出身のジョーンズさんは、妊娠していた妹のパット・ウィリアムズさんを助けるために、1973年の夏にアイオワ州ブレイクバーグ近くのオッタムワに引っ越していました。
11月の出産後、妹のウィリアムズさんはノースカロライナ州に戻りましたが、ジョーンズさんは友人がいて、ヘンリーズ・ドライブインでウェイトレスの仕事をしていたことから留まっていました。
最後にメアリー・ジェイン・ジョーンズが目撃されたのは4月8日の午後、オッタムワの銀行でのことで、彼女の死体はその翌朝にはマックス・マーリンの所有する農家で発見されています。
コールドケース「アイオワ州の1974年ウェイトレス殺人」はDNA鑑定で再調査
警察当局は、班員逮捕に向けて捜査を進めるものの、逮捕に十分な証拠をまとめることができないまま1年が過ぎ、
血まみれの毛布を含む現場の証拠品は保管場所で保管され、事件はコールドケース(長期間にわたり完全には解決していない犯罪、いわゆる未解決事件・迷宮入り事件のこと)とされました。
それから約10年後、イギリスのレスターに住む若い遺伝学者がDNA指紋鑑定の手法を確立すると、
その3年後には初めて殺人犯の逮捕と有罪判決に役立つことが立証され、次第に警察の捜査で重要な証拠として取り扱われるようになります。
こうした背景を受けてメアリー・ジェイン・ジョーンズの死から24年後の1998年、FBIはCODIS(Combined DNA Index System、統合DNAインデックス・システム)の稼働をスタート。
その11年後には数十年間未解決だった犯罪の捜査に新技術を活用するためのコールドケース・ユニットを設立されると、
1900年以来、約425件の未解決の殺人事件のうちメアリー・ジェーン・ジョーンズの事件も再調査が始まります。
コールドケース「アイオワ州の1974年ウェイトレス殺人」の犯人は?
メアリー・ジェーン・ジョーンズさんは、その容姿から多くの男性客の注目を集めていました。
その中の一人に、ヘンリーズの常連で、メアリー以外の多くのウェイトレスにも淫らな誘いをかけていたロバート・ジーン・ピルチャー(27歳、オッタムワ出身の駆除業者)がいました。
メアリーのファンの一人であるピルチャーは何度もデートに誘っては断られていたことは誰もが目にしていたようです。
そして、ピルチャーはメアリーの死体が発見された農場を営むマーリンのいとこであり、ピルチャーがよく女性を農場に連れてきていたことはよく知られていた。
メアリーが死体で発見される4日前にもピルチャーは違う女性を農場に連れて行き、性的暴行をしていたことが確認されていたことから、
ピルチャーの殺人事件を立件することを視野に入れて、警察は1974年当時に一度、ピルチャーを逮捕しています。
陪審員は彼を有罪とするものの有罪判決は覆され、この時はピルチャーの立件には至りませんでした。
しかし、決定的な証拠が2010年に入って見つかります。
事件当時の現場にあった血塗りの毛布から採取したDNAサンプルを全国の重罪人のDNAデータベースと照らし合わせたところ、ピルチャーのDNAと一致。
人の刑事、ウェイン・シェルトンは、ピルチャーの有罪を確信していたので、彼が引退した後も、2007年に亡くなるまで手がかりを追い続けた。
警察は2012年11月13日にモーテルでピルチャーを逮捕すると、
2014年9月に行われた2回目の裁判で第二級殺人罪を認め懲役10年を宣告されます。
コールドケース「アイオワ州の1974年ウェイトレス殺人」の事件後…
判決を言い渡された当時のピルチャーの年齢は68歳。
ピルチャーは5~6年の刑期を模範的な行動を取れば最終的には仮釈放委員会で釈放日が決定されるようです。
さらにピルチャーはホームレスとなっており、仕事も収入もなかったことから家族に対してなんらかの賠償金を支払うこともないようです。