大樹寺は岡崎城から約3kmほど離れた場所にあるお寺で、松平家・徳川将軍家の先祖代々のお墓があります。
松平家・徳川将軍家の菩提寺(位牌を祀るお寺)で、文明7年(1475年)に松平家の第4代当主である親忠により創建されました。
大樹寺と徳川家康の関係
徳川家康はまだ若い19歳の時の桶狭間の戦いで、今川義元の側についていました。
織田信長に主君が討たれたことで窮地に立たされた徳川家康は、大樹寺に逃げ込むも、織田軍の追撃が岡崎にまでいたり、ついに家康のいる大樹寺をとり囲みます。
松平家の祖先の墓前で切腹の覚悟を決めたところ、当時の住職・登誉(とうよ)上人に諭されて思いとどまり、再起を誓ったとされ、その40年後には天下統一を成し遂げました。
「家康殿、戦国の世は、武士が自分の欲のために戦い、国土が穢れている。その穢土を厭(いと)い離れ、永遠に平和な浄土を欣い求めて、それを成すことが、あなたの役目である。」
これは「厭離穢土、欣求浄土」という言葉で、平安時代の僧侶である源信が書いた「往生要集」にあります。
引用:https://jp.fujitsu.com/family/sibu/toukai/sanei/sanei-21.html
大樹寺の位牌の見学は?
■大樹寺の施設情報
住所:岡崎市鴨田町字広元5‐1
電話: 0564-21-3917
拝観時間:4~9月/9:00~16:30(受付は16:10まで)、10~3月/9:00~16:00(受付は15:30まで)
拝観料:(宝物殿・大方丈・文化財収蔵庫)
大人400円、障がい者350円、小中学生200円、幼児無料。団体割引(15名以上)一人350円
朱印料:300円
駐車場:91台
アクセス:東岡崎駅からバスで15分の大樹寺で下車し、徒歩5分。または、愛知環状鉄道の大門駅から徒歩で15~20分。
位牌は宝物殿(位牌堂)の中に安置されています。
見学では他にも、東海地方随一の美しさと称えられる多宝塔や、冷泉為恭の描いた障壁画などの重要文化財のほか、松平八代の墓、家康33回忌に3代将軍徳川家光公によって造られた73歳の時の家康の木像も目にすることができます。
大樹寺の位牌は徳川将軍の身長と同じ?
徳川家康は死ぬ前に「遺体は駿河久能山に葬る事、葬礼は江戸増上寺で行うこと、位牌は三河大樹寺に立てること、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請せよこれにて関八州の鎮守とせよ」と遺言したとされています。
そのため、大樹寺の位牌堂には江戸幕府初代将軍家康公から第14代将軍家茂公までの臨終時のの等身大(臨終時の身長)の位牌が並んでいます。
※家康の遺体は駿河久能山に祀られています。
等身大の位牌とは世界で唯一とのことで、歴だの徳川将軍の位牌の身長および、法名は次のようになっています。
初代家康 前大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士 159㎝
2代秀忠 台徳院殿一品大相国公 160㎝
3代家光 大猷院殿贈正一位大相国公 157㎝
4代家綱 厳有院殿贈正一位大相国公 158㎝
5代綱吉 常憲院殿贈正一位大相国公 124㎝
6代家宣 文昭院殿贈正一位大相国公 156㎝※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160㎝前後
7代家継 有章院殿贈正一位大相国公 135㎝※急性肺炎による呼吸不全によって満6歳で薨去(こうきょ)
8代吉宗 有徳院殿贈正一位大相国公 155.5㎝※身長は六尺(約180㎝)あったとも伝えられる。
9代家重 惇信院殿贈正一位大相国公 151.4㎝※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156㎝前後
10代家治 浚明院殿贈正一位大相国公 153.5㎝
11代家斉 文恭院殿贈正一位大相国公 156.6㎝
12代家慶 慎徳院殿贈正一位大相国公 153.5㎝※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154㎝前後
13代家定 温恭院殿贈正一位大相国公 149㎝
14代家茂 昭徳院殿贈正一位大相国公 151.6㎝※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157㎝前後
現存の徳川家康の位牌は当時のものではなく、家康の13周忌にあたる寛永5年(1628年)に尾張藩主・徳川義直が調進したものだそうです。
15代将軍・徳川慶喜の位牌だけ大樹寺に置かれていないのは将軍職を引いた後も存命だったことから。
臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したため
生類憐みの令を行った5代将軍の徳川綱吉の位牌は124cmしかありませんが、低身長症(胴体は普通の長さなのに腕と足が短い)だったという説があります。※綱吉の死因は、餅が喉に詰まったことによる窒息死
他にも徳川将軍にまつわるエピソードには、
徳川家康は自分の爪を噛んだり、ぶつかってきた味方に斬りかかったりと、短気な性格だった
2代秀忠は嫉妬深い正室「お江」を恐れて、側室をひた隠しにした。
11代家斉は17人の側室に52人もの子どもを産ませた。
14代家茂は公武合体の象徴となるべく、側室をもたず、皇女和宮への至誠を貫いた
■完全保存版 徳川家のすべて
歴史上最後の武家政権として、約300年もの長きにわたり日本の舵取りをした徳川家。本誌では、徳川将軍15人を解説するだけではなく、「天下の副将軍」水戸光圀率いる水戸徳川家、徳川中興の祖・徳川吉宗を輩出した紀州徳川家、そして筆頭格でありながら将軍輩出叶わなかった尾張徳川家の御三家など、徳川家出身者全員の功績と人物像も解説。家系図なども用いて徳川家繁栄の全貌に迫ります。