ダンチョネの意味は?
八代亜紀の「舟唄」の中で出てくる「ダンチョネ」とは何なんでしょうか?
ダンチョネの意味は韓国語?八代亜紀「舟唄」
「ダンチョネ節」は、神奈川県三浦市三崎町発祥の民謡のようです。
八代亜紀の舟歌では「ダンチョネ」は歌詞のゴロがいいので使われたようですが「ダンチョネ」の語源は、「断腸の思い」「団長さんもね」などの諸説があってハッキリしていないようです。しかし、もともとが漁師、船乗りの哀歌なので「身を切られる思い」=「断腸の思い」説が有力なようです。
舟歌は「船乗り」や「船」に関する歌を、全てそのように総称するようです。
なお、ダンチョネは以下のような用法があります。
意味不明な言葉や、よくわからないものを指す俗語として使われることがあります。
冗談や軽口を言う際に、語尾に「ダンチョネ」とつけることがあります。
三浦地方の方言で、「そうだね」や「わかった」という意味で使われることがあります。
ダンチョネの由来
ダンチョネの語源は諸説あり、断腸の思いから転じたという説、中国の故事から取られたという説、漁師の掛け声が元になったという説などがあります。いずれも確証はなく、定説は立っていません。
大正時代に流行した歌謡曲
ダンチョネ節と呼ばれる歌謡曲は、大正時代に流行した歌です。作詞者・作曲者は不明ですが、三崎地方(現在の神奈川県三浦市)で歌われていたものが全国に広まったと言われています。歌詞は、酒と女を愛する男の心情をユーモラスに表現しており、軽快なメロディーと独特な節回しで人気を集めました。
小林旭のヒット曲
1972年に発売された小林旭のヒット曲「ダンチョネ節」は、上記のダンチョネ節をモチーフにした作品です。歌詞はオリジナルとは異なり、男の哀愁や人生の苦悩を歌った内容になっています。小林旭の力強い歌声と哀愁漂うメロディーが多くの人の心を掴み、大ヒットとなりました。
ダンチョネ節を歌った歌手
小林旭 – 1960年発表。映画『海から来た流れ者』主題歌。原曲の民謡だけでは歌詞が短すぎるため、遠藤実によって新たなメロディが追加された
八代亜紀
ちあきなおみ
沖山秀子
ザ・ドリフターズ – LP「ドリフの軍歌だよ全員集合」に収録。
鶴田浩二
ザ・ピーナッツ – 「祇園小唄~ピーナッツのムード民謡」に収録。
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(アルバム『レヴェラーズ・チンドン』でカバー)
まとめ:ダンチョネの意味は韓国語?八代亜紀「舟唄」
ダンチョネとは、大正時代から昭和にかけて大流行した歌の一つです。この歌は、端唄や俗謡として歌われ、酒席などで人々に愛されました。ダンチョネという言葉は、断腸の思いを表現するものであり、船人たちの別れを惜しむ気持ちが込められています。
ダンチョネ節の起源は、東京商船学校の練習船であった月島丸が明治33年11月に駿河湾での暴風雨に遭い沈没し、122人が溺死した海難事故にさかのぼります。この悲劇を背景に、ダンチョネ節は船乗りの悲哀を歌った民謡として生まれました。
歌詞の中には、船乗りたちの別れや苦難、海上での命のやりとりなどが描かれており、その情景を通じて当時の人々の心情が表現されています。また、ダンチョネ節は後に航空兵や兵隊たちの悲哀を歌った歌詞に変化し、軍隊でも歌われるようになりました。
さらに、小林旭によって吹き込まれた「アキラのダンチョネ節」や、八代亜紀の「舟唄」など、後の時代にもダンチョネ節の影響が見られます。
ダンチョネ節の原点は神奈川県民謡とされていますが、その起源は巷の流行歌であり、後に航空兵や兵隊たちの歌としても広がりました。替え歌やアレンジも多く、時代や地域によって異なるバージョンが存在します。