2016年にミズーリ州で発生したクローディン・ブランチャード(通称ディーディー)が殺害された事件について。
事件の裏には、ディーディーの娘であるジプシー・ローズ・ブランチャードが関与していたとされますが娘の動機は?
ディーディー・ブランチャード殺害事件の経緯
2015年6月14日、アメリカ合衆国ミズーリ州スプリングフィールドで、クローディン・”ディーディー”・ブランチャード(48歳)が殺害されました。
娘のジプシー・ローズ・ブランチャード(当時23歳)と、彼女のオンライン上の恋人ニコラス・ゴデジョン(当時26歳)が犯人として逮捕されました。
ディーディー・ブランチャード殺害事件|犯人は娘のジプシー!動機は?
ジプシーは、自身が長年にわたって母親から受けてきた虐待に耐えかね、殺害を依頼したとされています。
ディーディー・ブランチャードは、娘のジプシーに対して、彼女が病気や障害を抱えているかのように見せかけ、不必要な医療処置や薬物を与え、様々な慈善団体から寄付金を集めるなどしてきました。実際には、ジプシーは健康であり、母親によって病気や障害を捏造された状況で育ってきました。ジプシーは、幼少期から母親の支配と虐待に苦しんでおり、その状況から逃れるために殺害を依頼したというのが事件の背景です。
ジプシーはインターネット上でゴデジョンと知り合い、彼に母親殺害を持ちかけました。
ディーディー・ブランチャード殺害事件|犯人の娘・ジプシーその後・現在は?
ジプシーは第二級殺人を認め、10年の懲役刑を受けました。
ゴデジョンは第一級殺人を認め、仮釈放なしの終身刑と25年の懲役刑を受けました。
この事件は、代理ミュンヒハウゼン症候群という精神疾患や、親による子の虐待という問題に光を当てました。
これは、親や介護者が他者の病気を誇張し、捏造することで注目や同情を得ようとする精神疾患です。
事件が明るみに出ると、ジプシーは母親の支配から解放され、自らの人生を切り開くことができました。この事件は、家族の関係や精神的な苦痛、そして犯罪という過酷な現実を浮き彫りにしました。
ディーディー・ブランチャードの生い立ち|娘・ジプシーは1991年(24歳)で出産
ディーディー・ブランチャードは、1967年5月3日にアメリカのルイジアナ州チャックベイで生まれました。当時の彼女の名前はクローディヌ及びクローディア・ピトレでした。
ディーディーは自分の思い通りにならないと怒りを露にする性格で、後に窃盗を行うようになりました。しかし、彼女はその後、看護師の補佐として働き始めました。
1991年7月27日、24歳の時にディーディーはロッド・ブランチャードと結婚し、彼らはジプシー・ローズという娘をもうけました。ロッドは当時わずか17歳でした。
ディーディーとロッドはガンズ・アンド・ローゼズのファンであり、その為、子供に「ジプシー・ローズ」と名付けたのでした。しかし、実はロッドはジプシーを生む前からディーディーとの結婚が間違っていたと思っており、ジプシーを生まれる前に2人は離婚しました。
ディーディーは離婚後もジプシーを連れ、自身の家族と一緒に生活を始めました。しかし、ディーディーはジプシーに対して異常な病気を診断し、多くの医療処置を施すようになりました。
ジプシーが8歳になると、ディーディーは彼女が白血病や筋ジストロフィーなどの疾患に苦しんでいると主張し、様々な医療処置を行いました。しかし、実際にはジプシーはこれらの疾患を抱えていませんでした。
ディーディーは周囲には魅力的で献身的な母親に映り、彼女の行動に疑問を持つ人はほとんどいませんでした。さらに、彼女は自身が看護師の訓練を受けていたため、医学的な症状を正確に説明することができました。
2005年にはハリケーン・カトリーナの被害者であることを主張し、これが医療ファイルの紛失の口実にもなりました。彼女はジプシーと共にミズーリ州に移住し、寄付金などの支援を受けました。
しかし、ジプシーが成長するにつれて、ディーディーの虚偽が露呈し始めます。ジプシーはディーディーから離れようとし、複数の試みを行いましたが、ディーディーは彼女を制限し、虐待を行いました。