デビー・バイグリ(Debbie Baigrie)さんはイアン・マヌエル(Ian Manuel)という黒人の少年に顔面を就檄され、口と顎の一部を損壊するという重傷を負いました。
イアン・マヌエルはその後、まだ10代の少年だったにも関わらず終身刑が言い渡されますが、デビー・バイグリが思わぬ行動に出たことが感動の結末を迎えることになりました。
イアンがデビーの顔面を銃撃!
1990年7月27日、当時28歳だったデビー・ベアグリーは女友達と一緒にフロリダ州のタンパにでかけていました。
第二子を出産してから初めて友人と外出し、家に帰ろうと車に向かって歩いていた矢先、彼女は急に現れた男に銃を突きつけられます。
デビーが逃げようとすると男は拳銃を発砲、銃弾を顔に受けたデビーは意識を失い、その場に倒れました。
32口径の銃弾はデビーの頬から下あごと舌を貫通していました。数センチずれていれば即死だったと医師に告げらたといいます。
デビーはそれから10年にもわたって歯茎と歯を再建するために約40回もの大掛かりな整形手術が必要となる大怪我を負い、精神にも大きな傷を負っていました。
ただデビーは世話をしなければならない2人の幼い子供がいたことから、涙を見せることなく気丈にもふるまっていました。
事件から3日後、デビーは彼女の顔を撃ち抜いた犯人が捕まったこと、それがイアン・イアンという13歳の少年であることを聞かされます。
少年は別件で逮捕され、その取り調べで強盗する目的で女性を銃で撃ったことを自白したのです。
イアンタンパの州で最も貧しく、最も暴力的な住宅プロジェクトの一つに住む少年の一人。
少年の若年に驚くとともに恐怖、そして怒りが込み上げてきました。デビーはそのとき、その少年に穏やかな日常を奪われ、生活を台無しにされたと強く感じたといいます。
その後イアンには1991年2月、13歳と未成年でありながら武装強盗と殺人未遂の罪で仮釈放なし・終身刑執行猶予なしの終身刑が言い渡されました。
刑事責任年齢対象年齢ぎりぎりのイアンに重い刑罰に処せられた背景には他の関係者の身元は明らかにされていなかったことから「見せしめ」の意味もあったとされています。
デビーの顔面を銃撃したイアンのその後の関係がすごい!釈放を手助け
事件から2年後の1991年12月、再び話をすることになるとは思ってもいなかったデビーとイアンの2人でしたが、
デビーはなんとトラウマを克服するためにイアンに電話をかけます。
するとクリスマスの夜には、デビーの自宅に一本の電話がかかってきました。それは、刑務所にいるイアンからの電話でした。
「ベイグリーさん、イアンです」緊張した様子でそう話し出したイアンは、銃でデビーを撃ってしまったことを謝り、
顔を傷つけてしまったことや苦痛を与えてしまったことを申し訳なく思っていとること、自分が犯してしまった罪を深く後悔し悔やんでていることを述べ、
最後に「ご家族と一緒に良いクリスマスを過してください」と伝えました。後日、デビーのもとにイアンからクリスマスカードが届きます。
まさか自分を撃った犯人本人からの謝罪の言葉、電話やクリスマスカードを受け取ることになるとは思ってもみなかったデビーには、心の準備ができていませんでした。
とても複雑な心境だったといいます。何よりも彼女が驚いたのは、その電話の後に自分がこの少年に対して感心の気持ちを抱いていることに気付いたときでした。
口の痛みはひどく、怒りが消えたわけではありませんでしたが、恐怖心や羞恥心を乗り越えて謝罪の言葉を伝えるために電話を掛けてきたイアンの行為に、デビーは心打たれたのです。
法律で被害者が受刑者と面会することが禁止されていたため、二人は直接会うことはできませでした。
イアンとデビーは、この電話がきっかけで手紙を交わすようになります。この文通を通してデビーは少しずつイアンのことを少しずつ知っていきました。
イアンは、刑務所生活を始めた当初、他の受刑者に比べ年齢が若いという理由からずっと独房に入られたことや、
自分の感じている罪悪感、子供時代の自分や今の刑務所での生活について語り、それに対してデビーは彼を勇気づけ励ますような言葉を綴りました。
イアンは当時、一旦独房に入れば、刑務所で死ぬと言われていたことでかなり精神的にナーバスにもなってしまった結果、20年近く一般の刑務所から隔離された生活を送ることになりました。
デビーがイアンの釈放を手助け
「彼を許すのは難しいことではなかった」とデビーは言いますがそれと同時に「イアンが賢い子だと直感していました。
その後、何年にもわたって、二人は何十通もの文通を続けるうちに、彼の人生を刑務所の中で無駄にしてはいけないと思うようになった。
彼は罪を犯したことを心から後悔していたし、真面目で知性的な性格だった。彼にはチャンスが与えられるべきだと強く感じた」
最初は誰かが書いたものだと思っていたイアンとの文通は途切れることなく続けられました。
その間、デビーは顔の整形手術を経てアゴの機能を少しずつ取り戻していき、そしていつしかイアンを許すことを心に決めていたといいます。
デビーはまた、イアンへの手紙の最後に「あなたの友人より」という言葉を使うようになり、やがてイアンの求刑に異議を唱え彼の釈放を求める活動を開始するのです。
「彼を出してあげなければ、大切な命を見捨ててしまうような気がした。私は殺されなかった。彼に課せられた罰は必要以上に過酷すぎる気がしてならなかった」
世間からの批判を受けながらもデビーは活動を続け、そしてついに2016年11月、2回の減刑に末にイアンが釈放されることになりました。
最高裁判所の決定が殺人以外の何かで起訴された少年のための終身刑を禁止したことも後押しとなりました。
26年の時を経て、デビーとイアンは事件があった場所から程遠くない場所で再会を果たしました。
デビーとイアンの現在がすごい!
強盗事件の被害者となったデビーは、加害者の少年・イアンを許すことを選び、少年が26年間刑務所の中で罪を償った後、2人は友人として再会を果たしました。
自分が殺されかけた相手を、許すばかりか友人として迎え入れたデビーに対する意見は様々です。彼女は今でも親しい友人や親戚からも批判を受けるとがあるといいます。
自分を傷つけた人を許すという行為は、並大抵のことではありません。しかし許すことで、大きな重荷に感じていることや嫌な気持ちを受け入れることができるとデビーは信じています。
「誰でも間違えを起こすことがある、同時に誰もが一生懸命生きてる。そして人生は嫌な気持ちを持ち続けるには短すぎる。
私は、一瞬の内に全てを失う感覚がどんなものかを理解している。必要なのは許す心、これが最高の癒しとなるのだから」
デビーはイアンがまだ収監されている間ににGED(General Educational Development)を取得するようにすすめ、イアンは言われた通りに取得。
※GEDとは、高校を修了していない生徒の学習成果を高校卒業同等と認定するための試験。日本の高等学校卒業程度認定試験に相当、通称:高認。
イアンは料理、運転、食料品の買い出し、洗濯の仕方を学美ながら大学も卒業し、
現在は自分の話を大学の授業で話したことがあり、他の人を助けたいと思っている。自分の物語とアラバマ州モンゴメリーでの生活についての回顧録もまとめています。
デビーはイアンのことを「私の養子のようになった」と話し、イアンも「見知らぬ人を抱きしめているような気がしなかった。デビーは守護天使のような存在であるというだけでなく、第二の母親のような存在だ」と話しています。