煙石博さんは広島県出身の元中国放送のアナウンサーで2012年に窃盗容疑で逮捕され、その後、約4年半に渡り冤罪を訴えることになりました。
2017年3月、最高裁判所で逆転無罪の判決を受けましたが現在は?
煙石博wiki|冤罪事件の発生から現在までの経緯
■2012年
9月24日午前9時20分頃: 広島市南区の広島銀行大河支店で、女性会社員Aが記帳台に現金6万6600円入りの封筒を置き忘れる。その後、銀行員が封筒を発見するが、現金は入っておらず、振込用紙2枚のみが残されていた。
10月11日: 煙石博氏はこの事件の容疑者として広島県警広島南警察署に逮捕される。警察は、銀行の防犯カメラの映像を根拠に、煙石博が現金を盗んだと主張した。
11月1日: 煙石博さんは起訴される。
■2013年
11月27日: 広島地方裁判所は、煙石博に対し、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡す。判決は、防犯カメラの映像を根拠に、煙石博以外に現金を盗んだ者がいないと判断した。煙石博側は即日控訴。
■2014年
12月11日: 広島高等裁判所は、一審の有罪判決を支持し、煙石博側の控訴を棄却する。煙石博側は即日上告。
■2016年
12月15日: 最高裁判所は、弁論を開くことを決定する。最高裁が事実認定を行うことは稀であるため、異例の決定となる。
■2017年
2月17日: 最高裁で弁論が開かれる。検察側は棄却を求める。
3月10日: 最高裁第二小法廷は、一審、二審判決を破棄し、煙石博に無罪を言い渡す。判決は、防犯カメラの映像は煙石博が現金を盗んだことを明確に示すものではなく、その他の証拠からも煙石博が犯人であると断定するには合理的な疑いが残ると判断した。
■2018年
5月9日: TBS系テレビ番組「1番だけが知っている」にて、煙石博の冤罪事件が取り上げられる。
煙石博wiki|冤罪事件の無実を晴らした証拠
煙石博さんの裁判で争点となった証拠は、主に銀行の防犯カメラ映像と、被害者女性の証言でした。
警察は、事件のあった銀行の防犯カメラ映像を根拠に、煙石博さんを窃盗容疑で逮捕しました。
裁判では、検察側は、この防犯カメラ映像を主要な証拠として、煙石博さんが現金を盗んだと主張しました。
一方で、弁護側は、映像の画質が粗く、煙石博さんが現金を盗んだ決定的瞬間が映っていないことを指摘し、無罪を主張しました。
検察側は、防犯カメラに死角があり、その間に煙石博さんが現金を盗んだ可能性があると主張しましたが、弁護側は、映像を詳細に分析した結果、煙石博さんがそのような行動をとったとは考えにくいと反論しました。
また、被害者とその母親は、封筒に現金が入っていたと証言しましたが、弁護側は、証言の信用性に疑問があると主張しました。
最終的に最高裁は、防犯カメラ映像だけでは窃盗の立証は不可能であること、そして被害者側の証言にも疑問点があることを認め、煙石博さんに無罪判決を言い渡しました。
煙石博wiki現在|冤罪事件で賠償金は?
煙石博さんは、2017年3月10日に最高裁判所で無罪判決を受けた後、安堵の気持ちと同時に、複雑な思いを抱いています。
煙石博さんは、無罪を勝ち取った喜びよりも、 「嬉しいというより、濡れ衣が晴れてほっとしている。」 と述べています。
煙石博さんは、無実の罪で逮捕・起訴され、4年5か月もの間、精神的な苦痛を味わってきました。 そのため、無罪判決を受けても、単純に喜ぶことはできず、 「おめでとうとは思えないのです。元々お金を盗っていないのに、突然とんでもない火の粉を浴びて苦しめられ、人生を失ったのですから」 と複雑な心境を吐露しています。
また、煙石博さんは、事件の影響で、事件現場となった広島南警察署付近に近づくことができなくなってしまいました。
しかし、煙石博さんは、無罪判決を機に、 「平凡な生活に、元の煙石博に戻れることを一日も早くできるよう頑張りたい。」 と前向きな気持ちも示しています。
そして、自身の経験を活かし、 「安心して暮らせる日本になるよう、襟を正していくことはできないでしょうか、それを心から望んでいます。」 と、冤罪防止を訴えています。
冤罪だった場合に支払われる補償金について、日本では精神的、肉体的に受けた苦痛の補償として、拘束されていた日数1日あたりにつき1,000円~12,500円を、国が支払うということが「刑事補償法」で定められています。