エンデュアランス号とは、アーネスト・シャクルトン(Ernest Shackleton)が帝国南極横断探検隊に挑戦中、南極沖で沈没した船。
アーネスト・シャクルトンをはじめ氷の上に取り残された28人の乗組員は、絶望的な困難を越えて奇跡の生還を果たし「エンデュアランス号大漂流」という本も出版されています。
■エンデュアランス号大漂流あらすじ
初の南極大陸横断を企てた英国のシャクルトン隊長みずからによる探検記。壮図なかばにして船を氷に砕かれ遭難するも、氷海に投げ出されて孤立無援となった探検隊を率い、全員が奇跡の生還を果たすまでを描く。シャクルトンのリーダーシップと隊員の団結心、深い友情と信義、大自然との死闘、そして彼らの不撓不屈の精神…数ある南極探検のなかでも傑出した冒険記として読み継がれてきた、感動の記録。
エンデュアランス号wiki|アーネスト・シャクルトンの帝国南極横断探検隊
サー・アーネスト・シャクルトンは大英帝国南極横断探検隊の隊長に任命されると、1914年8月9日に入念な準備の後、当時の最高技術をもって建造された大型木造帆船エンデュアランス号に乗り込みプリマス港を出港。
英国政府と民間の篤志家の支援を受け、当時の海軍大臣だったウィンストン・チャーチルにも支持されたこの計画は、船で南極大陸まで探検チームを運び、上陸した探検チームが南極点経由で大陸を陸路横断するというものでした。
順調に進み、探検隊は新年直前に南極圏の流氷と遭遇したが、航路を海氷に阻まれ最終的には1月17日頃に前進したのが最後となり、エンデュアランス号は氷山群に閉じ込められてしまいます。
ただエンデュアランス号は全長144フィート(約44m)で3本のマストがあり、船体は流氷に当たっても壊れないよう強化されていたためすぐには沈没はしませんでした。
乗組員は当初、春になれば氷が割れ、船が安全な場所まで漂流するのではないかと期待して氷上に一時しのぎのキャンプを作ります。
エンデュアランス号はその後、流氷にゆっくりと押しつぶされてしまい船内に水が入りこんで沈没しますが、アーネスト・シャクルトンは1年以上も流氷の上を駆け回ってペンギンやアザラシを狩り漂流を続けると、やがて数百キロ離れた無人島「エレファント島」へとたどり着きます。
そこからシャクルトンは隊員数名と、エンデュアランス号から外した吹きさらしの救命艇「ジェイムズ・ケアード号」で800マイル(約1,290km)で航海に乗り出すと16日間をかけてサウスジョージア島に上陸成功。
険しい山脈と氷河を越えノルウェーの捕鯨基地まで歩くと、1916年8月に始まった救出作戦により、エレファント島に残っていた隊員22名の全員が救助された。
シャクルトン・アーネストwiki|エンデュアランス号で南極大陸横断
英国の極地探検家。1874年生まれ。1901年予備海軍中尉に任ぜられ、同年スコット大佐のディスカバリー号南極探検に参加。
1908年極点へ120キロ余りに迫り、前人未到の新記録をたてたが、飢餓と猛雪で引き返す。その功績でナイトの名誉称号を受ける。
南極探検を経て、第一次大戦には陸軍少佐として参加。戦後クエスト号による南極遠征の途についたが、1922年1月5日、また別の探検のためにサウス・ジョージア島へ戻った。そこで心臓発作を起こして47歳で世を去り、その島に埋葬された。
107年前に南極沖で沈没、探検船「エンデュアランス号」発見
【ワシントン=冨山優介】英国の探検家アーネスト・シャクルトン(1874~1922年)が乗船し、1915年に南極沖で沈没した探検船「エンデュアランス号」を海底で発見したと、海洋史跡の保護に取り組む「フォークランド海洋遺産財団」の調査チームが発表した。木造の船がほとんど当時の状態のまま残っており、チームは「発見は極地の歴史上、画期的な出来事だ」としている。
エンデュアランス号は南極大陸への進路を海氷に阻まれ、10か月近く漂流して沈んだ。シャクルトンら探検隊は海氷上に張ったテントや無人島で過ごし、ボートで1000キロ・メートル以上離れた島へ救援を呼びに行くなどして生還を果たした。
https://www.yomiuri.co.jp/science/20220404-OYT1T50090/
沈没したエンデュアランス号は、9869フィート(約3000メートル)の深海で発見されました。
1世紀以上も前にフランク・ワースリー(Frank Worsley)船長が記録した当初の位置からは、南に4マイル(約6.4キロ)ほど離れていたそうです。