藤波朱理選手は2024年パリ五輪でレスリング女子53kg級で金メダルを獲得したアスリート。
その活躍は、日本中に感動と興奮をもたらしました。
中学2年生から公式戦無敗という驚異的な記録を保持し続け、パリ五輪ではその強さを改めて世界に見せつけた藤波朱理選手の気になるプロフィールをまとめています。
藤波朱理の東京オリンピックに出てない理由はなぜ?
藤波朱理選手は東京オリンピックに出場していません。理由は、東京オリンピック出場のための代表選考に出場できる年齢に達していなかったためです。 当時の藤波選手はまだ17歳で、全日本選手権の出場資格である18歳に達していませんでした。 全日本選手権は、東京オリンピックの代表選考を兼ねていたため、出場資格を満たしていなかった藤波選手は出場できませんでした。
年齢制限はオリンピックが定めているものではなく、レスリングの国際競技連盟が年齢に関する規則を設けており、それをIOCが承認しているためです。 結果として、藤波選手は東京オリンピックには出場できませんでしたが、2021年の世界選手権では17歳10ヶ月で優勝し、女子レスリングが五輪種目になってからの史上最年少記録を更新しました。
年齢制限について|藤波朱理が東京オリンピックに出てない理由
オリンピックには、競技によって年齢制限が設けられている場合があります。
- オリンピック自体には年齢制限はありませんが、各競技の国際競技連盟が年齢に関する規則を設けており、IOC(国際オリンピック委員会)がそれを承認しているため、結果として年齢制限が設けられている競技が存在します。 たとえば、レスリングでは、国際競技連盟が19歳以上という年齢制限を設けています。 そのため、藤波朱理選手は、2003年生まれで東京オリンピック開催時には17歳であったため、年齢制限により東京オリンピックの代表選考会となる2019年の全日本選手権に出場できませんでした。
- サッカー男子は、23歳以下の選手に出場資格が与えられています。 これは、ワールドカップとの差別化を図るためです。 ただし、23歳以上の選手を3名までオーバーエイジ枠として出場させることができます。
- 年齢制限は、若い選手にチャンスを与えることや、競技レベルを維持することを目的としています。
藤波朱理wikiプロフィール
名前:藤波朱理
出身地:三重県四日市
生年月日:2003年11月11日
年齢:20歳
オリンピック出場回数:初出場
身長:164cm
体重:53 kg
小学校:四日市市立下野小学校
出身中学:四日市市立西朝明中学校
出身高校:いなべ総合学園高等学校
出身大学:日本体育大学
藤波朱理の父は?
藤波朱理さんの父は藤波俊一さんという、元レスリング選手です。
- 元レスリング選手: 1988年ソウルオリンピックの代表候補に選ばれるほどの選手でした。国体では2連覇を果たしています。
- 指導者としての経歴: 現役引退後は、三重県立いなべ総合学園高等学校で教員として勤務しながら、レスリング部の監督を務めました。 朱理選手が同校に進学した際には、指導にあたっています。
- 日本体育大学コーチ就任: 朱理選手の高校2年生の時、日体大からコーチ就任の要請を受けます。 給与の減額や東京での生活費など、不安要素はありましたが、朱理選手の指導を継続できるメリットを重視し、コーチに就任しました。
- 二人三脚での指導: 俊一さんは、朱理選手の才能を見出し、幼い頃からレスリングの指導にあたってきました。 練習を強制することはなく、朱理選手の自主性を尊重しながら、二人三脚で世界を目指してきました。
- ナショナルコーチ: 俊一さんは、娘のオリンピックをリングサイドで見守りたいという思いから、ナショナルコーチの資格を取得し、日本代表のコーチも務めています。
藤波朱理の兄は?
藤波朱理さんの兄は藤波勇飛さんという、元レスリング選手です。
- 元レスリング選手: 朱理選手より8歳年上で、自身もレスリング選手として活躍しました。 全国中学生選手権で3連覇を達成し、2017年の世界選手権では銅メダルを獲得しています。
- 総合格闘家への転身: レスリング引退後は、総合格闘家に転身しています。
藤波朱理の経歴
■幼少期~中学時代
藤波選手は、ソウルオリンピックの代表候補だった父親と、世界選手権銅メダリストである兄の影響で、4歳の時にレスリングを始めました。幼い頃からその才能を発揮し、数々の大会で優勝を飾っています。
小学生時代には、全国少年少女選手権で4度優勝するなど、頭角を現しました。
中学時代には、さらにその才能を開花させます。中学1年生の時には、ジュニアクイーンズカップ中学生の部40kg級で優勝しました。中学3年生になると、アジアカデット選手権、U15アジア選手権、世界カデット選手権を制覇し、世界レベルの選手へと成長しました。
■高校時代
高校は、父親が監督を務める三重県立いなべ総合学園高等学校に進学しました。高校でもその強さは際立ち、数々の大会で優勝を重ねます。
高校1年生の時には、インターハイで優勝し、クリッパン女子国際大会カデットの部で3連覇を達成しました。
高校2年生の時には、全日本レスリング選手権大会に初出場ながら優勝を果たすという快挙を成し遂げました。
高校3年生になると、ジュニアクイーンズカップジュニアの部で優勝。さらに、全日本選抜選手権では、準決勝で元世界チャンピオンの奥野春菜選手を、決勝で入江ななみ選手を破り、初優勝を飾るとともに世界選手権代表に選出されました。この活躍により、75連勝を記録しました。世界選手権では、対戦相手に1ポイントも与えず、全試合をテクニカルフォール勝ちで優勝しました。全日本選手権では、2連覇を達成しました。
■東京オリンピック不参加
藤波選手は、中学2年生の時の全国中学生選手権決勝で敗れて以降、公式試合で無敗の連勝を続けています。2021年には世界選手権で初出場初優勝を果たし、まさに「無敵」の強さを誇っていました。
しかし、東京オリンピックには出場していません。それは、当時のオリンピック代表選考会に出場できる年齢に達していなかったためです。実力は十分にありながらも、年齢制限という壁に阻まれた藤波選手は、東京オリンピックをテレビで観戦しました。
■パリオリンピックへ
東京オリンピック後も、藤波選手は進化を続けました。2022年の全日本選手権で3連覇を達成し、2023年の世界選手権では2度目の優勝を果たしました。
そして迎えたパリオリンピック。藤波選手は、オリンピックという大舞台でも、その実力を遺憾なく発揮します。決勝では、世界ランク1位のジェペス・グスマン選手(エクアドル)を相手に、圧倒的な強さで勝利し、金メダルを獲得しました。
藤波選手の強さの秘密は、「相手に体を触らせないレスリング」にあります。相手の攻撃を許さず、常に自分のペースで試合を進めることができる藤波選手は、まさに「霊長類最強」の呼び声にふさわしい選手と言えるでしょう。
藤波朱理のツイッターやインスタグラム
藤波朱理のツイッター
藤波朱理のインスタグラム
藤波朱理のフェイスブック
藤波朱理の成績・戦績
■40kg級での戦績
2016年 - ジュニアクイーンズカップ 中学生の部 優勝
2016年 - JOC杯カデットの部 3位
2016年 - 全国中学生選手権 3位
2016年 - 全日本女子オープン選手権 中学生の部 3位
2016年 - 全国中学選抜選手権 2位
2017年 - ジュニアクイーンズカップ 中学生の部 優勝(44kg級)
2017年 - 全国中学生選手権 2位(44kg級)
2017年 - 全日本女子オープン選手権(中校生の部)優勝(48kg級)
2017年 - 全国中学選抜選手権 優勝(48kg級)
■49kg級での戦績
2018年 - クリッパン女子国際大会 カデットの部 優勝
2018年 - ジュニアクイーンズカップ カデットの部 優勝
2018年 - JOC杯カデットの部 優勝
2018年 - アジアカデット選手権 優勝
2018年 - 全国中学生選手権 優勝(52kg級)
2018年 - 世界カデット選手権 優勝
2018年 - 全日本女子オープン選手権(中校生の部)優勝(52kg級)
2018年 - U15アジア選手権 優勝(54kg級)
2018年 - 全国中学選抜選手権 優勝(54kg級)
■53kg級での戦績
2019年 - クリッパン女子国際大会 カデットの部 優勝
2019年 - ジュニアクイーンズカップ カデットの部 優勝
2019年 - インターハイ 優勝
2019年 - 全日本女子オープン選手権(高校生の部)優勝
2020年 - クリッパン女子国際大会 カデットの部 優勝
2020年 - 全日本選手権 優勝
2021年 – ジュニアクイーンズカップ ジュニアの部 優勝
2021年 – 全日本選抜選手権 優勝
2021年 - 世界選手権 優勝
2021年 - 全日本選手権 優勝
2022年 – ジュニアクイーンズカップ ジュニアの部 優勝
2022年 - アジア選手権 優勝
2022年 – 全日本選抜選手権 優勝
2022年 – 全日本学生選手権 優勝(55kg級)
2022年 - 全日本選手権 優勝
2023年 - ザグレブ・オープン 優勝
2023年 - ダン・コロフ-ニコラ・ペトロフ国際大会 優勝
2023年 - アジア選手権 優勝
2023年 – 全日本選抜選手権 優勝・明治盃受賞
2023年 - 世界選手権 優勝
2023年 - アジア大会 優勝
2024年 - パリオリンピック 優勝
まとめ:藤波朱理wiki|父・兄は?東京オリンピックに出てない理由はなぜ?
藤波朱理選手は、2003年11月11日生まれの女子レスリング選手です。身長は164cmで、階級は53kg級です。父親は1988年のソウルオリンピックの代表候補だった藤波俊一氏で、兄は2017年の世界選手権フリースタイル74kg級銅メダリストで総合格闘家の藤波勇飛氏です。
藤波選手は、父親と兄の影響で4歳の時にレスリングを始めました。幼い頃からその才能を発揮し、数々の大会で優秀な成績を収めています。中学2年からは公式戦で無敗を続け、2024年8月現在、その記録は137連勝に達しています。これは、オリンピック3連覇、世界選手権10連覇を達成した吉田沙保里選手の119連勝(個人戦のみに限定すれば「206連勝」)を大きく上回る記録です。
藤波選手は、中学1年の時にジュニアクイーンズカップ中学生の部40kg級で優勝し、中学3年で出場したアジアカデット選手権、U15アジア選手権、世界カデット選手権の全てで優勝を果たしました。2019年には、父親が監督を務める三重県立いなべ総合学園高等学校に進学します。高校時代もその強さは揺るぎなく、1年生の時にインターハイとクリッパン女子国際大会カデットの部で優勝し、2年生の時には全日本レスリング選手権大会で優勝を果たしています。高校3年生の時には、全日本選抜選手権で初優勝を飾り、世界選手権代表に選出。世界選手権では、対戦相手に1ポイントも与えず、全試合をテクニカルフォール勝ちという圧倒的な強さで優勝しました。
高校卒業後は、日本体育大学に進学し、父親と共に東京へ移住しました。父親は34年間務めた教員の職を辞し、日本体育大学のコーチに就任。娘のオリンピック出場を全力でサポートしました。2021年の世界選手権では、初出場ながら優勝という快挙を成し遂げます。2022年は怪我により世界選手権を棄権するも、全日本選手権で3連覇を達成しました。そして2023年の世界選手権では、2度目の優勝を果たしています。
2024年のパリオリンピックでは、金メダルの大本命と目されていました。大会直前の3月には左肘を脱臼し手術するというアクシデントに見舞われましたが、見事復活。オリンピック初出場ながら、決勝で世界ランク1位のジェペス・グスマン選手を破り、金メダルを獲得しました。