福田村事件とは、かつて根拠のない情報を信じてしまったがゆえに村人たちによって香川の行商人たちが命を奪われた事件。
2023年9月に映画のロードショーで放映されることになりましたが「福田村事件」の場所はどこ?
生存者・加害者の子孫は現在、どうしているのでしょうか?
福田村事件とは
福田村事件は、1923年(大正12年)に日本の千葉県で起きた悲しい事件です。この事件は、加害者とされる自警団員8名によって行商団と見なされた朝鮮人が虐殺されたものです。
当時、日本では朝鮮人に対する差別や弾圧が強まっており、「不逞の輩」として見られていたことが背景にあります。事件のきっかけは、行商団として地域を訪れた朝鮮人が地元の船頭と言い争いになり、「どうもお前の言葉は変だ、朝鮮人と違うのか」と差別的な発言をされたことで、自警団が集まってきたことが原因とされています。
事件の背景には、朝鮮人に対する偏見や差別があったとされ、関東大震災の影響もあって事件が起こりました。当時の警察や行政が流言を広め、差別意識を煽ったことも事件の背後に影響を与えていたとされています。
事件後は、長らく闇に葬られていましたが、1980年代後半から新聞などで取り上げられ、真相が明らかにされるようになりました。2003年には犠牲者の追悼慰霊碑が建立され、事件の犠牲者への哀悼の意を表す場となっています。
福田村事件|加害者の現在・子孫は?
福田村事件では、加害者として福田村と隣の田中村(現在の柏市)の自警団員7名が有罪 判決を受けています。
wikipedaiaによると田中村の加害者1名が「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが、あとの7名には大審院で懲役3年から10年の実刑判決が出されたようです。
しかし、受刑者となった加害者全員が、確定判決から2年5か月後、昭和天皇即位による恩赦で釈放された
さらにwikipediaには「「中心人物の一人は、出所後、(田中村)村長になり、(柏市に)合併後は市議も務めた」と四国新聞は報じている」と記載されているものの、こちらの情報については
歴代村長
歴代市議
と加害者の氏名が一致しているわけではないようです。
福田村事件の加害者が村長や市議になったという情報がまさに「デマ」の可能性が高いので注意が必要です。
ちなみに、ネットでは加害者とされる8人の実名を氏名で公表しているサイトもあります。
増田**
鈴木**
田中**
木村**
など。
ただその氏名が本当に加害者8人なのかどうかを確認できる一次資料(裁判の記録など)が確認できないため、安易に「これが福田村事件の加害者の名前」だとして情報を流布しないように気を付けましょう。
福田村事件|生存者の現在・子孫は?
福田村事件に関わった人物の中で、現在の様子が確認できているのは生存者の子孫。
事件直後、当時13歳の少年だった吉田栄太郎さんを含む生存者6人は松戸警察署野田分署で保護されています。
吉田栄太郎さんは1994年に84歳で鬼籍に入ったそうですが、子孫(孫)が吉田龍二さんという方で、現在も野田市に在住しているようです。
福田村事件|場所は?
福田村事件があったとされる場所は千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)三ツ堀の利根川沿い。
2001年には「福田村事件追悼碑建立基金の募集」が始まり、2003年には犠牲者の追悼慰霊碑が野田市三ツ堀の円福寺大利根霊園に建立されています。
■円福寺大利根霊園の場所
住所:〒278-0011 千葉県野田市三ツ堀101
アクセス:つくばエクスプレス「柏たなか駅」 十余二工業団地方面・送迎車10分(要予約)